ところが、一行が川に沿って歩き出して間もなく、あたりが暗くなり始めました。空をおおう雲がみるみる濃いねずみ色に変わっていきます。
先を行くゴブリンが言いました。
「夜が来るヨ。今日は早かったな」
「もうすぐ真っ暗になるゾ。朝になるまで歩けなくなるゾ」
ともう一匹も言います。
「へぇ、地下の闇の国にもちゃんと夜が来るんだ」
とメールが言うと、ポポロが不安そうに空を見て言いました。
「普通の夜じゃないわよ……。闇の気配がものすごく濃くなってきてるわ。闇が明るさを食べているのよ」
「そうね。闇が濃すぎて、本当に息が詰まりそう」
とルルも顔をしかめて頭を振ります。
二匹のゴブリンはきょろきょろ何かを探していましたが、やがて、川沿いに広がる森へ走っていくと、一本の大木を見上げて互いに言い合いました。
「この木なら大丈夫そうだヨ、キョウダイ」
「そうだな。暗くなる前に登るんだゾ、キョウダイ」
「ワン、その木に登るの?」
とポチは驚きました。ゴブリンたちが見ているのは、背の高いまっすぐな木でした。枝がはるか上のほうにあるので、登りにくく、居心地も悪そうに見えます。
「他の木じゃだめなのかい?」
とフルートも尋ねました。周囲には、もっと枝振りの良い木がたくさん生えています。
「ダメダメ。そっちはみんな人面樹だゾ」
「夜になれば目を覚ますから、そっちに行くと食われるヨ」
うへぇ、と一同は思わず声を上げました。闇の国というのは、まったくとんでもないところです。
「しょうがねえな。待ってろ」
とゼンは言うと、腰の荷袋から細いロープの束を取り出しました。それを担いで、まっすぐな木に登っていくと、太い二本の枝の間にロープを張り渡し、何やら作業をしてから、また下りてきます。
「足場を作ったから、もう落ちる心配はねえ。上がっていいぞ」
足場!? と驚いたのはゴブリンたちでした。あっという間に木の上に登っていき、渡したロープの上に防水布を張って床が作ってあるのを見ると、面白がって飛び跳ね始めました。
「すごいゾ、すごいゾ! 木にしがみつかなくても落ちないゾ!」
「夜でもちゃんと眠れるヨ! これはすごいヨ!」
「なんだい。闇の国って、夜には眠れないわけ?」
とメールはあきれましたが、ゴブリンたちが興奮して大騒ぎしているので、木に登っていって注意しました。
「おとなしくしなったら。あんまり暴れるとロープが切れるよ」
そこへ少年たちも登ってきました。ゼンが面白くなさそうに言います。
「ロープは絶対切れねえよ。鋼の糸を芯にしたドワーフのロープだからな。ただ、あんまり騒ぐと枝が揺れて落ちらぁ」
ゴブリンたちはゼンににらまれると、ゼンから一番離れた場所に下がってひそひそと話し出しました。どう見ても悪口を言っているのですが、ゼンは、ふん、と無視しました。
そこへ、風の犬に変身したルルとポチも飛んできました。ルルは背中にポポロを乗せています。フルートが手を貸してポポロを木の上に降ろすと、ルルとポチも犬に戻って足場へ飛び下りてきました。
「ふぅん、なかなかいいじゃない? 上に枝が屋根のように張りだしていて、小さな家にいるみたいだわ」
「ワン、本当にゼンはこういうのが得意だなぁ」
と犬たちに感心されて、ゼンはようやく機嫌を直しました。
「山で猟をしている間、獣に襲われないように木の上で寝ることもあるんだよ。そら、さっさと飯にするぞ。完全に夜になったら、おまえらには見えなくなっちまうんだからな」
とまた荷袋をかき回して、それぞれに食料を配ってくれます。彼らが出発してきたユラサイで、王宮の調理人が準備してくれた携帯食でした。米を竹の皮で包んで蒸し上げたもので、中には肉や松の実が混ぜ込んであります。
すると、突然ルルがウゥーッとうなり、ポチがワンワンワン、とほえ出しました。二匹のゴブリンたちがキャーッと木の幹に飛びつき、もっと高い枝へよじ登っていきます。
「どうしたの!?」
とフルートたちが驚くと、ルルが怒ってうなりながら言いました。
「あの怪物たち、ポチの夕食をいきなり盗っていったのよ! とんでもない泥棒だわ!」
ゴブリンたちは彼らから見えない枝の上まで登っていくと、今度は食事の取り合いを始めました。
「オレが取ったんだから、オレのだヨ!」
「違う、オレが取ったんだゾ! オレのものだ!」
「横取りするなヨ! オレのなんだから!」
「違うゾ! オレのだ! おまえはもう一匹から取ってこい!」
フルートたちの頭上で騒々しく喧嘩を始めます。
「ああもう、ホントに!」
とメールは言うと、たちまちゴブリンたちのいる枝まで登っていきました。メールは森の民の血を引いているので、木登りは得意なのです。あわてて逃げようとする二匹を捕まえて、すぐにまた下へ降りてきます。
「この馬鹿野郎!!」
とゼンにどなられて、ゴブリンたちは縮み上がりました。身を寄せ合い、めそめそと泣き出してしまいます。
「だって、だって、しょうがないんだゾ。オレたち、すごく腹が減っていたんだから。ゴブリンだって、食べなかったら死んじゃうんだゾ」
「もう夜になるんだヨ。呪いに捕まっちゃうから、オレたち地面に降りられない。餌を探しに行けないんだヨ」
泣いて言い訳しますが、盗った食料は胸にしっかり抱えたまま放しません。ゼンはひどく渋い顔になりました。
「ったく……誰もおまえらに自分で飯を探しに行け、なんて言ってねえだろうが。おまえらの分もちゃんとあるんだから、それはポチに返せ」
「オレたちの分!?」
とゴブリンたちは驚きました。あたりはずいぶん暗くなっていましたが、それでも、二匹が大きな目をまん丸にしているのが見えます。
フルートは苦笑しながら言いました。
「ポチたちのは、犬の体に良くない食材を抜いて作ってもらってあるんだよ。君たちには食べられないものはないんだろう? だったら、ぼくたちと同じもののほうがいいよ」
と、ゼンが渡してきた二つの携帯食をゴブリンに差し出します。ゴブリンたちはますます目を大きくしました。確かめるように何度もフルートと食料を見比べ、そっと近づいてくると、次の瞬間、ポチの食料を放り出して携帯食をひったくっていきます。
「か――返さないゾ! オレたちにくれるって言ったんだからな! もうオレたちのモノだ!」
「お、オレ、もうかじっちゃったヨ! だからオレたちの餌だヨ! 返さないヨ!」
「返せなんて言わねえって」
とゼンはますますうんざりした顔になり、フルートはまた苦笑しました。
「ゆっくり食べていいよ。もっとほしければ、おかわりもあるから」
竹の皮の包みの上から携帯食にかぶりついていたゴブリンが、またびっくりしてフルートを見ました。とても信じられない、という顔をしています――。
間もなく、あたりはすっかり暗くなりました。本当に、自分の手元も見えないほどの暗闇です。さすがに食事をするのに不便になって、ゼンが荷袋から灯り石を取り出しました。柔らかな白い光が輝き出したので、一同が、ほっとします。
「うん、守りの呪符はちゃんと効いているね」
とフルートが周囲を確かめながら言いました。
完全な暗闇の中で、森の木々がいっせいにざわめきだしていました。生き物のように枝を動かし、身をよじって獲物を探しているのですが、木の上に登っている彼らには気がつきません。時折コウモリのような生き物も森の中から飛び出してくるのですが、梢で輝く灯り石を振り向くことはありません。術師のラクからもらった呪符が、敵の目から彼らを隠し続けているのです。
ゴブリンたちは、ゼンが枝から下げた灯り石をぽかんと見上げていました。そんなものを見たのは生まれて初めてだったのです。食事を途中にしたまま石を見つめ、まぶしそうに目をしばたたかせています。
そんな二匹にフルートは話しかけました。
「そういえば、君たちのまだ名前を聞いてなかったね。なんて言うの?」
「名前?」
と二匹は不思議そうに言いました。
「どうしてそんなことを聞くんだゾ?」
「オレたちには名前なんかないヨ。だって、ゴブリンなんだから」
メールは肩をすくめました。
「でも、それじゃ呼びにくいだろ。ただでさえ、あんたたちはそっくりなんだから。あんたたち、兄弟なのかい?」
「そうだゾ。オレたち、一緒に生まれたんだゾ」
「だから、オレたちはお互いにキョウダイって呼ぶヨ。でも、他の連中は、オレたちをただゴブリンって呼ぶヨ。そうでなかったら、ゴミとか屑とか、出来そこないとか呼ぶんだヨ」
そう呼ばれることを当然と思っている口調に、フルートは思わず眉をひそめました。
「そういう呼び方は、ぼくたちは好きじゃないな……。君たちに名前をつけなくちゃ」
すると、ゼンが言いました。
「名前はゾとヨでいいだろ。さっきから一匹はやたらと、なんとかだゾ、って言うし、もう一匹は、なんとかだヨって言ってやがるからな」
「えぇ? ゾとヨ? いくらなんでも、そんな名前ってないだろ!」
とメールが驚きますが、ゼンは譲りません。
「名前ってのはわかりやすいのが一番いいんだよ。こいつらだって、自分の名前をすぐ覚えられらぁ。おまえがゾで、おまえがヨ。それで決まりだ」
二匹のゴブリンはきょとんとしていましたが、やがて、互いの顔を見合わせました。
「どうやら、オレの名前はゾらしいゾ」
「オレはヨなんだってヨ」
「あんまり聞いたことない名前だゾ」
「それに、ずいぶん短い名前だヨ」
なんだよ、文句があるのか、とゼンが言おうとすると、ゴブリンたちが急に表情を変えました。顔を見合わせたまま、にやぁっと大きく笑います。
「誰にも似てない、オレたちだけの特別な名前だゾ」
「短いから呼びやすいヨ、悪くないヨ」
「キョウダイ。これからヨと呼んでやる。だから返事をするんだゾ」
「いいヨ。オレもこれからキョウダイをゾと呼ぶヨ」
ゴブリンたちが互いにヨ、ゾ、と楽しそうに呼び合い始めたので、フルートは思わず笑ってしまいました。
「どうやら名前が気に入ったらしいな。まあ、確かに覚えやすいか」
こういうわけで、二匹のゴブリンの名前は、ゾとヨに決まったのでした――。