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第15巻「闇の国の戦い」

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17.庭園

 見えない障壁を突き抜けたアリアンは、勢いあまって地面に倒れました。とたんに、緑色に体を受け止められます。アリアンは驚いて顔を上げました。周囲には細かい葉の茂みがあって、輝くように白い花が咲いています。

「ここは……?」

 とアリアンは急いで立ち上がり、周囲を見回してまた驚きました。そこは庭園でした。手入れの行き届いた木々や植物が一面に広がっていて、美しい花を咲かせています。植物の間には小径があって、東屋(あずまや)があります。頭上を見上げれば、白い雲を浮かべた青空も広がっています。まるで地上の世界に戻ってきたようです。

 けれども、ここは地上ではありませんでした。静かすぎたのです。鳥の声も、吹き渡る風の音も聞こえません。庭園の植物は風に穏やかに揺れていますが、アリアンの長い髪や服が風になびくこともありません。振り向けば、彼女がたった今まで走っていた荒野は、どこにも見当たりませんでした。同じような庭園が広がっているだけです。結界の中に入り込んだのに違いありません――。

 アリアンは、そっと踏み出してみました。夢の中の世界のようでしたが、ちゃんと歩くことができます。庭園の小径に沿って用心しながら進んでいくと、やがて東屋が近づいてきました。その手前に人影があります。

 アリアンは、どきりとして立ち止まりました。それは綺麗な茶色の巻き毛をした、若い女の人でした。その頭に角はなく、着ている服も淡い緑色をしています。人間です。

 アリアンはためらいました。自分は黒い服を着て角を生やした闇の民です。魔力を使い果たしてしまったので、今は人間の姿に化けることもできません。ここがどこなのか知りたいと思うのですが、怖がらせてしまいそうで、声をかける勇気が出ませんでした。女性は、アリアンには気づかずに、庭園から花を摘んでいます……。

 

 すると、突然頭上でまた羽音がしました。黒い翼の男がアリアン目がけて急降下してきます。アリアンは真っ青になると、身をひるがえして駆け出しました。翼の追っ手から逃れようとします。

 庭園は広く、いくら駆けても終わりにたどり着きませんでした。綺麗に刈り込まれた木々は背が低いので、潜り込んで隠れることもできません。背後に羽音が舞い下りてきます――

 アリアンは後ろから腕をつかまれて悲鳴を上げました。ついに捕まってしまったのです。乱暴に引き戻され、後ろを向かされて、思わず目をつぶってしまいます。

 ところが、相手が言いました。

「おまえは誰だ!? どうやってここに入り込んだ!?」

 厳しい口調ですが、まだ若い声です。アリアンは目を開け、そこに美しい青年が立っているのを見て、びっくりしました。長い黒髪の頭の両脇に、ねじれた二本の角を生やし、背中に黒い翼を持っていますが、親衛隊の象徴は身につけていません。アリアンが返事をできずにいると、青年はつり上がった赤い目でにらみつけて、さらにどなりました。

「どうやって入り込んだと聞いているんだ! ここは誰であっても立ち入り禁止だぞ! 死にたくなければ出ていけ!」

 相変わらず非常に厳しい声です。青年の腰には細身の剣が下がっていましたが、それを抜いて切りつけてきそうな迫力でした。

 アリアンは身をすくませました。何か言おうと思うのですが、恐ろしくて声が出せません。青ざめたまま首を振ると、青年は怒りの表情に変わりました。本当に剣を抜こうとします。

 

 そのとき、ぴぃん、と鋭い音が響き渡りました。張り詰めた弦を弾いたように、あたりの空気が震えます。

 青年は舌打ちしました。

「またか。今日はなんだって言うんだ」

 と、いまいましそうにつぶやくと、音がした方向へ手を伸ばします。とたんに、庭園の中に別の光景が現れました。鈍色の雲が渦巻く荒野に、体に階級章を巻き付けた数人の男たちが立っていました。全員が角と翼を持っていて、黒い胸当てをつけています。

「トアじゃないか。どうして――」

 と青年はつぶやき、青ざめて立ちすくんでいるアリアンをちらりと見てから、男たちの方へ歩き出しました。何かをくぐり抜けるようにして、荒野の中へ出て行きます。

 

 親衛隊員たちは、何もなかった場所からいきなり青年が姿を現したので、一様に驚きました。その前で、青年が腕組みして言います。

「なんの用だ、おまえたち。ここはぼくの屋敷だ。おまえたちが立ち入れるような場所じゃない」

「これは王子。お騒がせして申し訳ありません」

 と隊長格の男がわざとらしい丁寧さで頭を下げました。

「裏切り者が、都へ輸送される途中で脱走したのです。このあたりで姿を消して、どこを探しても見つかりません。王子ならばご存じではないかと思いまして」

 隊長も他の隊員たちも、あからさまな疑いの目を青年に向けていました。彼がかくまっているのだろうと考えているのです。

 青年は端正な顔を不愉快そうに歪めました。

「どうしてそう考える? 裏切り者なんか、ぼくには関係ないぞ」

「その者は人間に荷担したのです」

 と隊長は答え、青年がぴくりと反応したのを見つめて続けました。

「人間に味方して闇に逆らったのですから、重罪です。王は死に値すると考えています。我々にお引き渡しください、王子」

 青年はいっそう不愉快そうな顔になりました。

「知らないと言っているだろう。他を当たれ」

 言い捨てて立ち去ろうとします。

 

 その背中へ、隊長が言いました。

「フノラスドが目覚めようとしています」

 青年は、はっきりと反応しました。立ち止まり、驚いたように振り向きます。

「フノラスドが……いつからだ?」

「一週間ほど前から兆候が見えていました。すでに生贄は集まりつつあります」

「おまえたちが探している裏切り者というのも、生贄の一人か」

「左様です。人間に味方した者を援護する奴など誰もありませんから」

 侮蔑するように言う隊長に、他の隊員たちが笑って同調しました。人間に味方するような馬鹿は生きている価値がない。人間どもと一緒に、とっととフノラスドに食われればいいんだ――。

 青年はすさまじい目で隊員たちをにらみつけました。

「ここを立ち去れ!」

 隊長はいっそう疑う顔になりました。

「やはり裏切り者を隠していますな。お引き渡しいただきましょう。逆らえば、王子と言えど王の怒りに触れますぞ。それとも、あなたが裏切り者の身代わりになりますかな、ウルグの王子」

 たちまち青年の目に怒りがひらめきました。整った顔が憎悪に彩られ、めくれ上がった唇の端から牙がのぞきます。次の瞬間、青年は剣を抜きました。隊長の男を一瞬で切り殺し、さらに他の隊員へ剣を向けて言います。

「立ち去れと言っているのだ、阿呆(あほう)ども! これ以上ぼくを侮辱するなら、おまえたちも一人残らず殺してやるぞ!!」

 荒野の彼方から雷のとどろくような音が響きました。親衛隊員たちは震え上がり、いっせいに翼を広げました。死んだ隊長を後に残して、一目散に逃げていきます――。

 

 青年が靴音高く庭園に戻ってくると、闇の民の少女は遠く離れた場所へ下がって震えていました。青年が近づこうとすると、顔をこわばらせて、いっそう下がります。青年が親衛隊長を殺す場面を、庭園に映った景色に見ていたのです。

 青年は立ち止まり、少し考えてから、少女に向かって言いました。

「おまえは人間を助けたのか?」

 ぶっきらぼうな声です。少女はいっそうおびえた顔になって、うなずきました。

「何故だ?」

 と青年はまた尋ねましたが、少女は答えませんでした。言えません、というように首を振ります。

 青年はそんな少女を見つめ続け、やがて、はーっと長い溜息をつきました。青い空を見上げて、前髪をかきむしります。

「まったく……闇の民だぞ? それを助けようだなんて、どうかしているぞ、本当に」

 言っている相手は自分自身でした。また溜息をつくと、少女へ目を戻します。

「おまえの名前は?」

 今までよりずっと穏やかな声でそう聞かれて、少女は驚き、青年が返事を待っているのを見て、おそるおそる答えました。

「アリアンです……」

「ぼくは闇王の第十九王子のキース・ウルグだ」

 と青年は答えました。アリアンがうなずきます。先ほどの親衛隊長とのやりとりから、見当はついていたのです。

 青年は庭園の小径を歩き出しました。

「ついてこい。おまえを逃がしてやる。地上への出口へ連れていってやろう。ただ、今はまだだめだ。親衛隊や闇王が見張っているからな。ほとぼりが冷めるまで、ぼくの屋敷に隠れていろ。ここなら王の家来たちも絶対に入ってこない」

 アリアンはまた驚きました。自分の耳が信じられなくて、どうしてですか? と尋ねると、青年は笑いました。苦笑いなのに、どこか愛嬌のある笑顔が広がります。

「しょうがないだろう。人間の味方をして生贄にされそうになっていると聞かされてしまったらな」

 先に立ってまた歩き出した青年を、アリアンがあわてて追いかけます。

 

 闇の国の王子のキースと、アリアン。

 フルートたちと深い関わりを持つ二人は、そうとは知らないうちに、こうして闇の国で出会ったのでした。

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