砂まじりの風が吹く中を、アリアンとグーリーは進み続けていました。行く手は見渡す限りの荒野です。どこにも町や村は見当たりません。
ギェェェ、とグーリーが鳴きました。見上げるように巨大なグリフィンですが、先を行く少女におとなしく従って歩いています。
「大丈夫よ」
と少女は答えました。
「一度透視したものは忘れないから、道を間違えたりはしないわ……。グーリーこそ、道を踏み外さないように気をつけて。両脇はずっと呪いの大地よ。踏み込んだら、たちまち捕まってしまうわ」
グェェン、とまたグリフィンが鳴きました。今度は尋ねるような声です。すると、少女が振り向いて、困ったようにほほえみました。
「それが、私にもどこへ行けるのかよくわからないの……。道はずっと続いているし、ところどころで別れて町や城まで通じているのだけれど、これをまっすぐ行った先だけが、何もない場所だったのよ。本当に何もないの。荒野さえ、そこにはなかったのよ」
グリフィンは大きなワシの頭をかしげました。ちょっと考えるような様子をしてから、またグェン? と尋ねてきます。
「しかたないわ。他の場所へ行けば間違いなく捕まってしまうから……。何もない場所は、結界になっているのかもしれないのよ。闇の国から脱出する出口が隠されているかもしれないわ」
と言って、アリアンは行く手へ目を向けました。鏡が手元にない今、砂煙にかすむ先を新たに見通すことはできません。馬車の中で見た光景を頼りに急ぎ続けます。
すると、ふいにグーリーが空を見上げ、ワシの頭に生えた耳を動かしました。キィッと鋭く鳴きます。
「追っ手!?」
とアリアンは顔色を変えました。グーリーがにらみつける空を一緒に見上げます。
たちまち、そちらから一人の闇の民が姿を現しました。黒い翼を打ち合わせて飛んできます。先の闇の親衛隊たちは黒い服を着ていましたが、こちらの闇の民は黒い胸当てをつけ、その上から親衛隊の象徴を巻き付けています。
胸当てを見たとたん、アリアンは飛び上がりました。
「あれはトア――! 逃げるのよ、グーリー! すぐにここまで来るわ!」
トアというのは闇王の親衛隊の階級でした。上位から二番目に位置していて、闇王に呪われた大地の上でも自在に飛ぶことができます。
また走り出したアリアンの後を、グーリーがついていきました。気がかりそうに何度も空を振り向きます。アリアンを乗せて全力で駆けたいのですが、グーリーには荒野の通り道がわからないのです。すぐに背後に羽音が追いついてきます。
「見つけたぞ! 人間に荷担した裏切り者! おとなしく一緒に来い!」
太い声が空から響いてきました。黒い翼が羽ばたくたびに、トアの男が迫ります。
グーリーはいきなり立ち止まりました。空の敵を見上げて、グェェェン、と鳴きます。
「グーリー!?」
アリアンが驚いて振り向いたとき、グリフィンは巨大な翼を広げ終わっていました。砂埃を巻き上げながら空に舞い上がり、トアの男へ向かっていきます。
「無理よ、グーリー! トアにはかなわないわ!」
とアリアンが叫ぶと、グーリーがまた一声鳴きました。アリアンが立ちすくみます。グリフィンは、早く逃げろ、とアリアンに言ったのです。
黒い胸当てのトアが空中で停まりました。頭の正面に二叉に別れた角を生やした大男です。手には槍を持っています。
「馬鹿が。飛んできたな」
と槍を投げつけようとすると、グーリーが急に停止しました。翼を打ち合わせて、猛烈な風を送ります。トアは自分の翼を羽ばたかせて風に逆らいました。グリフィンの翼が停まった瞬間を狙って、急降下していきます。
すると、グーリーが今度は大きくのけぞりました。ワシの前脚を伸ばして、かぎ爪の間にトアをがっちりと捕まえます。闇のグリフィンは、闇の国でもとりわけ力が強い怪物です。大男が抜け出せなくなって、もがきます。
「放せ! 何をする!?」
とトアがグーリー目がけて魔法を繰り出そうとすると、それより早くグーリーがくちばしを突き出しました。男の体に絡みついていたトアの階級章を食いちぎります。
とたんに上空の雲間で稲妻がひらめきました。男が恐怖の表情になって叫びます。
「闇王、やめてくれ! 俺はトアだ!」
けれども、雲から稲妻が降ってきました。階級章をなくした男とグリフィンを直撃します――。
「グーリー!!」
アリアンは悲鳴を上げました。地面にたたきつけられても、一頭と一人はまだ生きていましたが、そこへ今度は大地の呪いが襲いかかったのです。黒い大蛇が何匹も現れて、グーリーとトアに食いつきます。血しぶきが地面に散り、咆吼と悲鳴が空を震わせます。
「グーリー! グーリー!!」
アリアンは泣きながら呼びました。助けに行きたくても、呪われた大地に踏み込むことができません。手を伸ばして必死で呼び続けると、グーリーが絡みつく蛇の間からアリアンを見て鳴きました。
ギェェ……
弱々しい声でしたが、それでも、行け、と言ってきます。
空の彼方からはまた羽音が聞こえていました。新たな追っ手がやって来るのです。叫び続けるトアの声を目印に飛んでくるようでした。
アリアンは涙を流しながら言いました。
「助けに来るわ、グーリー……必ず助けてあげる。だから、待っていてね……。ごめんなさい!」
背中を向けて、また駆け出したアリアンは、自分を見守るまなざしを感じ続けていました。グーリーが見送ってくれているのです。闇の蛇は獲物に絡みつき、食いつき、体の内部へ入り込んでいきます。トアは体の中を食い破られて絶叫を上げ続けていますが、グーリーはまったく声を上げません。鳴けばアリアンが戻ってきてしまうと思って、こらえているのです。そんなグーリーの思いやりさえ、はっきりわかってしまいます。
あふれる涙を拭いながら、アリアンは必死で走り続けました。今はとにかく逃げ切るしかありませんでした。そうしなければ、グーリーは絶対に助けられません。
背後で羽音が大きくなりました。空から舞い下りてくる音です。男たちの声が切れ切れに聞こえてきます。
「――だぞ――!?」
「――は――だな――」
「が――ない――ぞ」
自分がいないと言われているのだとアリアンは察して、いっそう足を速めました。なんとか目の届かないところへ逃げ込もうと、荒野の坂を駆け下り、先に現れた丘へ駆け上がり、さらにそのむこう側へと駆け下ります。男たちの話し声は聞こえなくなりましたが、代わりに翼がまた空へ舞い上がる音が聞こえてきました。追っ手が空高くまで昇れば、逃げるアリアンはすぐに見つかってしまいます。
早く! とアリアンは心で自分に叫びました。早く、あの何もなかった場所へ行かなくては! 地上への出口が隠されているかもしれない、あの場所へ――!
ふいに、アリアンの脳裏に一人の少年の姿が浮かびました。黒髪に赤い瞳の闇の民の少年です。額にはアリアンと同じように一本の角があって、人なつこい顔で、えへへっ、と笑います。それが、急ににじみ、もっと小さな姿に変わりました。茶色の髪に灰色の瞳の、幼い人間の男の子です。やっぱり、アリアンに向かって、えへへ、と笑います。先の少年にそっくりな、とても人なつこい笑顔です。
ロキ! とアリアンは心で叫び続けました。ロキ! ロキ――!
聖なる光の中で一度死に、人間になって再びこの世に生まれてきた弟でした。姿形は変わってしまっても、やっぱり彼女のたった一人の肉親です。ロキが生きている地上へ――そこへ通じるかもしれない場所へ向かって、死にものぐるいで走り続けます。
すると、アリアンはいきなり何かにぶつかりました。行く手に、目に見えない障壁があったのです。クッションのように、アリアンの体を跳ね返します。
アリアンは驚いて、改めて行く手を見ました。――何も見えません。荒野の中にいるはずなのに、荒野が目の前から消えていたのです。空も大地も見えません。振り向けば、そこにはちゃんと荒野があるのに、行く手には空っぽの空間が白々と広がっています。
何もない場所! とアリアンは思わず言いました。ここが探し求めていた場所でした。やはり結界です。中に入り込もうとしても、拒まれてしまいます。
アリアンは両手を障壁に押し当てて、魔法を送り込みました。銀の輝きが障壁の上を広がって消えていきますが、結界は開きません。
その背後から、また羽音が聞こえてきました。丘の向こうから近づいてきます。アリアンは障壁へもう一度魔法を送り込みました。先より強い魔法を送ったつもりでしたが、やはり入口は開きません。羽音が大きくなってきます。
アリアンは見えない壁にすがりつきました。必死で呼びかけます。
「お願い、通して! 追っ手が来るのよ! お願い、開いて……!」
やはり障壁はびくともしません。羽音が迫ってきます。
アリアンはついに泣き出しました。魔法はもう使えませんでした。もとより、アリアンは魔法があまり得意ではありません。魔力も弱いので、力を使い果たしてしまったのです。泣きながら名前を呼び続けます。
「ロキ――ロキ、ロキ――」
涙が見えない壁を濡らします。
とたんに、アリアンの両手が壁の中にめり込みました。続いて体全体が、すうっと壁の向こうへ入っていきます。アリアンは悲鳴を上げ、そのまま、前のめりに倒れてしまいました――。