キースは、神の都と呼ばれる宗教都市ミコンで出会った青年でした。ミコンの聖騎士団の隊員で、フルートたちを助けて、共に闇と戦ってくれました。とても親切な人物だったので、フルートたちもすっかり信頼していたのですが、その正体は闇の国の王の十九番目の王子でした。半分人間の血を引いていた彼は、闇の国を嫌って、地上の宗教都市に身を隠していたのです。
キースは、フルートたちに正体を明らかにした後、仲間になるよう引き止める彼らを振り切って、闇の国へ戻っていきました。ぼくは闇の民だ、君たち光の戦士とは相容れない存在なんだよ、と淋しそうに言う声が、今もフルートたちの耳の底に残っています。
「いるかな? あいつは闇の国が大っ嫌いだったんだ。また国を飛び出して、地上に行っちまってるかもしれねえぞ」
とゼンが腕組みして言いました。
「うん、いないかもしれない」
とフルートは素直に認めました。
「でも、キースが言っていたんだよ。世界中どこに逃げても、すぐに闇の王の家来が自分を見つけて国に連れ戻してしまうんだ、って。例外は、闇の民が侵入できないミコンだけだった。だとしたら、今もやっぱりこの国にいる可能性は高いんだ」
なるほど、と一同は納得しましたが、今度はメールが言いました。
「でもさ、どうやって彼を見つけるんだい? あたいたち、本当に右も左もわからない状態だよ」
「ワン、大声でキースを呼ぶわけにもいかないですしね。ポポロの魔法使いの目では見つけられないですか?」
「この国に来てから、遠くが見通せなくなっているのよ……。少し先の場所なら見えるんだけど、その先は黒い霧がかかっているみたいに、かすんでしまって見えないの……」
ポポロがしょげたので、ルルが慰めるように言いました。
「ここが闇の国だからよ。ポポロは光の魔法使いだから、淀んだ闇の向こうは見通せないのよね」
すると、フルートが一つの方向を指さしました。
「行くなら、この方角だよ。さっきの闇の民は、王に知らせるんだと言ってこっちへ飛んでいった。闇の王がこちらにいるんだ。とすれば、キースだって近くにいるかもしれない」
なぁるほど、と全員はまた多いに納得しました。相変わらず推理力のあるフルートです。
「ワン、それじゃさっそく出発します」
「闇の花を刺激しないように高い場所を行くわよ」
と二匹の風の犬たちが空を飛び始めます。
空から見下ろす闇の花畑は、どこまでも続く血の海のようでした。吹く風に揺れる姿は普通の花ですが、ひとたび攻撃を受けたり、生き物が花畑に踏み入ったりすれば、たちまち蔓を伸ばして相手を絡め取り、引き裂いて食ってしまいます。花の根元には、そうやって殺されたものたちの骨が数え切れないほど隠されているのです。
メールは青ざめた顔でゼンにまたしがみついていました。森の民の血を引く彼女には、闇の花の声が聞こえてしまいます。それは、延々と繰り返される恨みと呪詛(じゅそ)の歌でした。自分たちまで呪われてしまいそうに思えて震えていると、ゼンがその腕をぽんぽんとたたきました。
「大丈夫だ、心配ねえ」
根拠など何もないはずなのに、ゼンがそういうと、本当に大丈夫のような気がしてきます――。
ルルも空を飛びながら顔をしかめていました。
「本当に嫌な場所。闇の匂いが強すぎて気分が悪くなりそうよ」
すると、ポチが速度を上げてルルに追いついてきました。
「ワン、ぼくの後を来て。ぼくが起こす風が、闇の気を少し散らすはずだから」
とルルを追い越して先に出ていきます。ルルは目を丸くしました。ポチは彼女をかばってくれたのです。急に恥ずかしいような気持ちになって、うつむいてしまいます。
そんなルルの背中では、ポポロが緊張しながら行く手を見ていました。あまり遠くまでは見通せませんが、それでも精いっぱい目を凝らして、先にあるものを見極めようとします。
すると、ふわりと後ろからポポロの体に腕が回されてきました。フルートです。驚くポポロを優しく抱きしめながら言います。
「そんなに気負わなくていいんだよ……。今からそんなに本気で見張っていたら、すぐに疲れてしまうよ。大丈夫、ぼくらはみんな一緒にいるし、ユラサイの術師たちの呪符にも守られているんだからね」
「フルート」
ポポロは真っ赤になりました。フルートは全身に堅い鎧を着ているのに、羽根のように柔らかく暖かなものがポポロを包みます。
闇の気配におびえる少女たちと、それを支える少年たち。勇者の一行は闇の花畑の上を飛び続けます――。
やがて、広大な闇の花畑の終わりが見えてきました。灰色の地面の先に今度は森が広がっています。いじけたようにねじれた木々がぎっしりと生えた、薄気味悪い森でしたが、それでもフルートたちは少しほっとしました。間違って降りれば即座に捕まって食われる花畑より、暗い森のほうがまだましに思えます。
うん? とゼンが行く手へ目を凝らしました。
「今、森の向こうに尖った屋根みたいなもんが、ちらっと見えたぞ。やっぱりこっちに街があるんだな」
「闇の国の街だ。充分注意していくぞ」
とフルートが言い、全員は改めてうなずきました。怪物のような木々の寄り集まった森が近づいてきます。
すると、森の直前で急に騒ぎが聞こえてきました。
「よせ! よせ! やめろと言っているんだゾ!」
「そんなこと、できないヨ! 闇の花に食われちゃうヨ!」
キィキィと甲高く響く声が叫んでいます。フルートたちは思わず空から見下ろしました。
森の手前の荒れ地に三匹の怪物がいました。とても小さな二匹の黒い怪物と、熊に似た大きな灰色の怪物です。灰色の怪物にはトラのような縞模様があります。
熊トラの怪物が言いました。
「行けと言っているのがわからないのか、役立たずのチビども! あいつは宝を抱えたまま花畑に入って、そこで闇の花に食われたんだ! 宝は花の下にある。さっさと取ってこい!」
こちらの怪物はかなり流暢(りゅうちょう)にしゃべっています。知性が高いのでしょう。
小さな二匹がまたキィキィと言いました。
「それは無理だゾ! 花畑に入ったら、オレたちだって食われてしまうんだから!」
「そうだヨ! 宝を持ってくる前に、オレたちが死んじゃうヨ!」
「ゴブリンだ」
とゼンが言いました。熊トラの怪物に無理難題を言いつけられている二匹は、大きな目と耳のサルのような姿をしていたのです。体は小さくとも、れっきとした闇の怪物です。
熊トラがゴブリンたちをどなり続けていました。
「貴様らがどうなろうと知ったことか! 俺は奴の宝が欲しいんだ! 闇の花が襲ってきたら、逆に食ってやれ! 貴様らは意地汚い屑(くず)だ。闇の花だって貴様らの口にはご馳走だろう!」
「そんな! 無理だと言っているんだゾ! 闇の花は食えないゾ!」
「そうだヨ! 毒に当たって死んじゃうヨ!」
二匹のゴブリンが必死で抵抗します。
空から見守っていたフルートたちは、あっと声を上げそうになりました。熊トラの怪物が太い腕でいきなりゴブリンを殴りつけたからです。小さな二匹が潰れるように倒れて泣き叫びます。
「痛いヨ! 痛いヨ!」
「無理だゾ! 絶対にできないゾ――!」
けれども熊トラは問答無用で二匹を捕まえると、のっしのっしと花畑へ歩いて行きました。気配を感じていっせいに揺れ出した花の前で立ち止まり、二匹を高々と持ち上げて言います。
「あいつが食われたのはあのあたりだ! 行ってこい! 片方が食われたら、もう一方が持って帰ってくるんだ!」
ヒィーッとゴブリンたちは悲鳴を上げました。どんなに身をよじっても、熊トラにがっちり捕まっているので、逃げ出すことができません。熊トラが二匹を花畑に投げ込もうとします。
空の一行は思わず緊張しました。闇の花は獲物を選びません。花畑に落ちれば、ゴブリンたちだって一瞬でばらばらに引き裂かれてしまいます――。
すると、一行の中から突然声が上がりました。
「やめろ! よせ!」
仲間たちは、ぎょっとしました。フルートが身を乗り出して地上へ叫んでいたのです。
「お、おい、フルート……」
あわてて止めようとしましたが、フルートは叫ぶのをやめません。
「よせと言ってるんだ!! その手を離せ!!」
ゴブリンを放り投げようとしていた熊トラが、手を止めました。いぶかしそうに空を見上げます。
ラクからもらった呪符も、声を出してしまえば、その姿を敵から隠すことはできなくなります。熊トラが、ぎょろりと目をむいて驚いた顔になりました。ほえるようにどなります。
「貴様、何者だ!!?」
フルートは闇の怪物に見つかってしまったのでした――。