それから間もなく、フルートとポポロは書院を出て、王宮の中庭へ来ていました。闇の国への行き方がわからなければ、フルートたちは身動きがとれません。ひとまず解散して、また何かあったら集合することにしたのです。
八月を目前にした昼下がりは、本当にうだるような暑さでした。中庭ではたくさんの樹木が木陰を作っていますが、それでも暑さから逃れることはできません。フルートたちは涼を求めて、自然と庭の中央にある池へ向かっていきました。歩きながら話をします。
「闇の民は悪魔か何かのように思われているし、実際、闇の国には闇の怪物がたくさんいるんだけれど、もともと闇の民は人だったんだよね。ポポロたち天空の民と同じ種族だったんだ」
とフルートが確認するように言うと、ポポロがうなずきました。
「そうよ……。二千年前、空の上の天空の国で対立が起きて、それが光と闇の戦いになってしまったの。天空の国のやり方に反発した人たちが、地下に潜って闇の民になってしまったのよ」
「デビルドラゴンに、心の闇につけこまれたんだ。あいつは人の持つ闇をあおって、世界を破滅させようとするから……。奴が敗れて幽閉されなかったら、世界は本当に滅んでしまって、ぼくたちは生まれてこなかったんだろうな」
とフルートが考えながら言いました。二千年も昔の光と闇の戦いは、はるかな時間を超えて、確かに今の自分たちまでつながっています。
ポポロがちょっと首をかしげました。赤いお下げ髪はいつも通りですが、その服が、黒い長衣から白っぽい半袖の服に変わっていました。彼女が着ているのは星空の衣と呼ばれる魔法の服なので、場面や状況に合わせてデザインがひとりでに変わります。半袖になったおかげで、ポポロもいくらか涼しそうな様子になっていました。
「本当に、どうやってデビルドラゴンを幽閉したのかしらね……。ことばで言うのは簡単だけど、信じられないくらい強力な魔力が必要になるはずなのよ。デビルドラゴンは、世界の悪そのものの象徴なんだもの」
「天空の国でその話を聞いたことはなかったの? 天空王から教えられたとか」
「ううん……。闇の民が元は天空の民だったことさえ、ほとんどの人は知らないわ。二千年前、天空の国で光と闇の戦いが始まったことも、知っている人はほんの少しなの」
「どうしてだろう? デビルドラゴンの闇魔法が、天空の国まで及んでいるのかな?」
とフルートが言ったので、ポポロはまた首をかしげて少し考えました。
「違うと思うわ……。天空の国にはいろいろな魔法が存在しているの。光の魔法なんだけど。ほら、ルルたち風の犬が魔王に操られて地上を襲ったとき、天空王様はルルたちの記憶を消してしまわれたでしょう? 操られて人を傷つけたり――殺してしまったりした記憶が、風の犬たちの心を壊してしまうから、って。天空の民に対しても、そんな魔法が使われている気がするわ」
「でも、ポポロはこうしてわかっているし、心が壊れるようなこともないのに」
とフルートが不思議がると、ポポロは顔を赤らめました。
「あたしはこう見えても天空の国の貴族よ、フルート。心を強くする修業も、何度もしてきたの……。天空の国の大半の人たちは、自分たちが空の上の国に住んでいることさえ知らないのよ。あたしも昔はそうだったわ。国の名前さえ知らなかった。花野とか世界とか呼んでいたけれど、その外側がどうなっているかとか、他の国があるんだろうかとか、そんなことさえ考えたことがなかったの。世界に疑問を持たないようにする魔法が国全体をおおっていたから……。天空の国が空に飛び上がったときに、人々が空から落ちるんじゃないかと恐れて大騒ぎをしたから、それを収めるために魔法がかけられたんだ、って聞いているわ。その事実に耐えられるくらいの心と魔力の強さを持つ人だけが、真実に気がつくことができるし、貴族と呼ばれるようになるのよ」
ふうん、とフルートは言いました。その頃にはもう池の畔(ほとり)まで来ていたので、池に面したベンチに座って話し続けます。
「天空の国の人たちが自分の国のことさえよく知らないなら、確かに、闇の民と天空の民の関係を理解するのは難しそうだね。光と闇の戦いのことを知らないのも無理はないか。ただ、天空王ならば、デビルドラゴンを倒したときのことも詳しく知っていそうな気がするんだけどな」
フルートは頭の中で天空の民の王を思い出していました。背の高い立派な人物で、光そのもののような銀の髪とひげをしています。これまでにも幾度となくフルートたちを助けてくれた、頼もしい大人の一人です。
すると、ポポロが真剣な顔になって言いました。
「天空王様は確かにすごい魔法使いだし、いろいろなことをご存じだけれど、だからといって、なんでもできるわけではないのよ。逆に、力が強すぎるから、行動を制限されたり禁止されたりすることも多いわ。ただそこにいるだけで、光と闇のバランスが変わってくるから、天空王様が降りることができる地上の場所は限られているし……。天空王様は、もしかしたら、デビルドラゴンを幽閉したときのことをご存じなのかもしれない。でも、それをあたしたちに教えてくださらないってことは、きっと、教えることが許されていないんだと思うわ。少なくとも、今はまだ――」
そこまで話して、ポポロはフルートが驚いたように見つめているのに気がつきました。なに……? と聞き返すと、フルートは感心したように言いました。
「君は本当に天空の国の貴族なんだなぁ、って改めて思ったんだよ。世界や魔法のことを本当によく知っているよね。すごいや」
ポポロはたちまち真っ赤になると、頬に両手を当てました。
「ご、ごめんなさい。あたし……つい夢中になって、偉そうなこと言っちゃったわ……」
「そういう意味じゃないよ。前より自信のある感じになってきて、すごくいいな、って思ったのさ」
とフルートは言いましたが、ポポロは赤くなったまま池の岸辺を歩き出しました。ちょっとずつ自信はついてきても、やっぱり恥ずかしがり屋のポポロです。フルートはほほえむと、後を追いかけようとベンチから立ち上がりました。
とたんに、大きな悲鳴と水音が上がりました。あわてたポポロが濡れた岸に足を滑らせて、池へ落ちてしまったのです。池は広く、意外に深さがありました。小柄なポポロの体がたちまち水に沈んでしまいます。
「ポポロ!」
とフルートは池に駆け寄り、ためらうことなく自分も水に飛び込みました。急いで潜ってポポロを捕まえようとします。
すると、そのすぐ隣にポポロが浮いてきました。赤いお下げや前髪から水しずくをしたたらせながら、泣き出しそうな顔で言います。
「ご、ごめんなさい……びっくりさせちゃって。大丈夫よ」
そう、大丈夫に決まっていました。フルートたち勇者の一行は、海の王からもらった人魚の涙を飲んでいるので、水中でも息をすることができます。水に落ちても、決して溺れることはなかったのです。フルートはそれを忘れて、とっさに水に飛び込んでしまったのでした。
けれども、フルートは何も言いませんでした。水に浮いているポポロをまじまじと見つめます。半袖の白い服になっていた星空の衣が、水に落ちたとたん、また色と形を変えていました。肩や腕がむき出しになった、薄紅色の胴着のような服です。水の下になった部分にスカートのようなものはついていますが、丈がとても短いので、すんなりした素足がすっかり見えています。メールが着ている海の民の服を、もっと短く、かわいらしくしたような衣装です。
フルートがみるみる顔を真っ赤にしていったので、ポポロは自分に目をむけ、きゃっと悲鳴を上げて胸を抑えました。薄紅の服はポポロの胸を半分くらいまでしかおおっていなかったので、そのふくらみがはっきり見えてしまっていたのです。
「やだ――。み、水に入ったから、ほ、星空の衣が水着に変わっちゃったのよ――」
とポポロがうろたえて言いました。フルートの視線から体を隠そうと必死で抑え続けますが、丸い肩や白い素肌はとても隠しきれません。フルートもポポロから目を離すことができませんでした。池の水は澄んでいるので、水の中の下半身もよく見えます。ポポロは小柄ですが、意外なほど女性らしい体つきをしていたのです。フルートの心臓の鼓動がたちまち速くなっていきます。
やがてフルートは両手を水から出しました。ポポロへ腕を伸ばし、体に回して抱き寄せようとします。フ、フルート……とポポロが真っ赤になって焦ります。
ところがその時、すぐ近くの水面に、ざばっと音をたてて茶色の頭が現れました。二人に向かって話しかけてきます。
「やっぱりおまえらだったな。水音がしたから、きっとそうだろうと思ったんだ」
ゼンでした。着ていたシャツを脱ぎ捨てて、上半身裸でいます。広い池の中を泳いでやってきたのでした。
「ったく、こう暑くちゃ水浴びの一つもしたくなるよなぁ。――お、なんだよ、フルート。なんでそんなににらんでやがる。俺が何かしたか?」
恋人同士の邪魔をしてしまったことに、ゼンはまったく気づいていません。
すると、そこにもうひとつ水しぶきが上がって、メールも水面に浮いてきました。こちらはいつもの花柄シャツに半ズボンという恰好です。
「フルートたちも泳いでたのかい? あれ、ポポロったら、かわいい服を着てるじゃないのさ。天空の民の水着? へぇ、よく似合ってるね」
「まったくだ。しかも、なかなかスタイルいいじゃねえか、ポポロ。色っぽいぜ」
とゼンが言ったので、フルートは怒って飛びかかりました。ゼンの頭を抑えつけて水に沈めてしまいます。ゼンはフルートの手を払いのけると、水面に顔を出してわめきました。
「こら、フルート! いきなりなにしやがる!? いいじゃねえか、ポポロの水着姿を見たって! 減るもんじゃなし!」
「だめだ! ゼンはメールのを見てればいいだろう!?」
「馬鹿野郎! んなもん、見慣れすぎてて新鮮みも何もねえだろうが! やきもち焼くのもいい加減にしやがれ!」
「うるさい!!」
少年たちが水の中で組んずほぐれつの取っ組み合いを始めたので、メールがあきれました。
「まったくもう。男の子ってのはどうしてこう騒々しいんだろうね。やめなよ。よけい暑くなってくるじゃないのさ」
ポポロは水に浮いたまま、真っ赤になって恥ずかしがっています。
その時、ゼンを抑え込もうとしていたフルートの手が急に外れました。しぶきを上げて池に沈んでしまいます。
「ばぁか、何やってやがる!」
とゼンは笑って後を追いかけていきましたが、親友が水中で目を閉じてぐったりしているのを見て仰天しました。
「おい、フルート!!」
あわてて捕まえて水の上に浮かぶと、フルートの体が力なくゼンの肩に載ってきました。気を失っているのです。ゼンは大急ぎで足が立つ岸辺へ移動しました。ポポロやメールも驚いて泳いできます。
「フルート!?」
「どうしたのさ、いったい!?」
「わかんねえ。いきなりだ! おい、しっかりしろ、フルート! おまえまでメールの真似をする必要ねえだろうが!」
すると、ポポロが急に後ろを振り向きました。池の一箇所が淡い青い色を帯びています。そこがきらめきを放ち始め、やがて、水面が音もなく盛り上がると、人の姿に変わっていきました――。