ユラサイの国の首都ホウは、夏のかげろうに揺らめきながら、大河と山地の間に横たわっていました。
この季節、ホウの都は風向きの関係で風通しが悪くなるうえ、都のいたるところに水路があるので、湿度が上がってひどく蒸し暑くなります。それは、朱塗りの立派な建物が集まった王宮も例外ではありません。王宮の書院に集まったフルートたちは、うだるような暑さに汗をかきながら、一人の人物を見つめていました。水色の衣の僧侶が白紙の巻物を広げた机に向かい、筆を使って巻物に字を書いています。
「かの竜が己(おのれ)の宝に力を分け与えたので、我らはそれを奪い、竜の王が暗き大地の奥へと封印した」
と僧侶の目の前に座ったポチが言っていました。姿は白い小犬ですが、人間の少年の声です。そらんじるように言うことばを、僧侶が巻物に書き写していきます。
「宝を取り戻さんとしたかの竜は捕らえられ、世界の最果てに幽閉された。これは、全世界と我らの存在を賭けた、闇の竜との戦いの顛末(てんまつ)である――」
「来るぞ!」
とゼンが言いました。背は低いのですが、がっしりした体格の少年です。仲間たちがいっせいに緊張する中、黒い長衣に赤いお下げ髪の少女が片手を上げました。ポポロです。巻物へ呪文を唱えようとします。
すると、突然巻物が火を吹きました。炎がめらめらと天上近くまで燃え上がります。書写していた僧侶は椅子を倒して飛びのき、ポチも机の上で大きく飛び下がりました。炎はあっという間に巻物を包み込んで焼き尽くしました。燃えた後の灰まで崩れて、跡形もなく消えてしまいます。
「まただよ!」
とメールが叫びました。痩せた長身に花柄の袖無しシャツと半ズボンを着て、緑の髪を一つに結った美少女です。その足下で、茶色い雌犬のルルも言いました。
「紙に書き写そうとすると、完成する直前に闇魔法が発動してしまうわね。これでもう五度目よ」
「デビルドラゴンの魔法だ」
とフルートは言いました。口調は重々しいのですが、少女のような顔をした小柄な少年です。今は金の鎧兜も脱いでいるので、いっそう華奢に見えます。
「二千年前の光と闇の戦いで奴が倒されたいきさつを書き記そうとすると、とたんに魔法が動き出して、書を焼かれてしまうんだ。耐火性の紙を使ってもだめ。神竜の守護力を持つ僧侶にいてもらってもだめ。文章を途中までで止めてもやっぱりだめ。ポポロ、魔法は使えたかい?」
とフルートに聞かれて、黒衣の少女は、ううん、と首を振りました。
「書を闇魔法から守ろうとしたんだけど、魔法が発動しなかったの。呪文が言えなかったわ……。デビルドラゴンの闇魔法は、ものすごく強力にこの世界にかけられているわ。天空王様でも対抗できないくらいよ」
それを聞いて、ゼンが肩をすくめました。
「天空王でも無理なら、他の誰にだってやっぱり無理だぞ。デビルドラゴンのヤツ、よっぽど自分が倒されたときのことを知られたくねえらしいな」
「ワン、それはそうですよ。あの無敵のデビルドラゴンが敗れて、世界の最果てに幽閉されたいきさつだもの。あいつは、また世界に復活してくるときのために、記録を徹底的に消そうとしたんです」
とポチが机の上から言いました。そこに書が燃えた痕は残っていません。魔法の火なので、焼け焦げさえ残さずに消えてしまったのです。
すると、彼らと一緒にいた、もう一人の人物が言いました。
「それにも関わらず、おとぎ話の書からユウライ戦記がよみがえりました。序文だけですが、こうして我々も知ることができるようになったのは、勇者殿とポチ殿のおかげです。書に記して残すことは不可能なようですが、その文面は我々の頭の中に刻まれております」
緑の衣を着て長いあごひげを生やした、年配の男性です。ユラサイの王宮に勤める歴史学者のコウでした。巻物を書き記していた僧侶が、うなずいて同意します。
「文字で記せば術に燃やされてしまいますが、口伝えで人にこれを知らせることはできます。人々に呼びかけて、闇の竜の襲撃に備えるように話していきましょう」
「神竜の加護のある場所でお願いします」
とフルートは真面目な顔になって言いました。
「ユウライ戦記は光の連合軍がデビルドラゴンを倒した記録ですが、口伝えのおとぎ話で後世に残そうとしても、ほとんどの場所では形が変えられて、全然違う物語になってしまいました。デビルドラゴンの魔法は、口伝えの内容まで変形させてしまうんです。無事に元の形のままで残っていたのは、神竜の加護の厚い場所だけです」
「私たちは神竜に仕える僧侶です。私たちの大社殿はこの世で最も強く神竜から守られている場所ですから、闇の竜に対抗していくのにふさわしい拠点となるでしょう」
と僧侶が答えると、歴史学者も負けずに言いました。
「我らがいるこの王宮も、神竜の加護は非常に厚い。ホウ全体が、神竜に守られている都なのです。ユウライ戦記を知る者が都の外に出なければ、戦記を変形させられることはないでしょうし、外に出るときに神竜の守りを身に帯びていけば、やはり守られるはずです。あのおとぎ話の書も、そのようにして社殿町からこの都へ運び込まれたのです」
「ったく。いろいろ面倒くせえよな」
とゼンはぼやくと、顔を流れていく汗をぬぐいました。本当に暑い日です――。
ユラサイの皇帝の竜子帝が、皇位をねらう親族からポチと体を入れ替えられ、ついにはデビルドラゴンと対決することになった事件から、二週間が過ぎようとしていました。フルートたちはこの出来事を、竜の棲む国の戦い、と呼ぶようになっていました。ユラサイは神竜によって守られる国だったからです。二千年前、初代の金の石の勇者の呼びかけで光の連合軍に加わり、デビルドラゴンと戦って世界を守った、重要な国でもありました。
ユラサイに残されていた書物から、その戦いの記録の片鱗を見つけ出したフルートたちは、デビルドラゴンを倒す手がかりを得て、準備を整えていました。ユウライ戦記を書き記そうとする試みも、その一つでした。
「占神(せんしん)は、闇との戦いの予感が強まってきている、と言っていました。その時に備えて、みんなに過去の戦いのことを知ってもらう必要があるんです」
とフルートは僧侶と歴史学者へ話していました。
「もちろん、戦いなんか起きないに越したことはありません。ぼくたちは、そのためにできるだけのことをしていきます。でも、あの占神でさえ、未来については絶対そうなるとは言えないんだと話していました。備えをしておいて間違いはないんです。ユウライ戦記を書き記すことができないなら、口で伝えて――。みんなに呼びかけて、闇と戦う準備をしておかなくちゃいけません」
見た目は本当に小柄で優しげな少年だというのに、フルートは大人も顔負けのような話をしていました。王宮の僧侶や学者が、大真面目でそれにうなずきます。
「人々に過去の戦いと闇の竜の存在を伝える役目は、我々にお任せください、勇者殿」
と歴史学者のコウが言いました。自分の孫のような少年相手に、非常に丁寧な口調です。
「帝(みかど)も勅令を出すと約束してくださいました。闇と戦うための手段については、我々学者と術師たちが協力して考えることになっております」
フルートはうなずきました。ユラサイは、術と呼ばれる、光や闇とはまた違った体系の魔法を使う国です。デビルドラゴンに対しても大きな力を発揮するに違いありません。
すると、ゼンが言いました。
「戦いの準備のほうはそれでいいとして、問題はユウライ戦記で言っていた『竜の宝』ってヤツだぞ。それがヤツを倒す鍵になりそうなのに、ポチが覚えていた内容だけじゃ、いったいなんのことかさっぱりわからねえんだからな」
「かの竜が己の宝に力を分け与えたので、我らはそれを奪い、竜の王が暗き大地の奥へと封印した。宝を取り戻さんとしたかの竜は捕らえられ、世界の最果てに幽閉された」
とポチがもう一度、その部分のユウライ戦記をそらんじると、メールが首をひねりました。
「竜の王ってのは、神竜のことだったよね。かの竜ってのはデビルドラゴンのこと。つまり、デビルドラゴンが宝に自分の力を分け与えて、神竜がそれを隠したから、そのせいでデビルドラゴンは負けたんだ。だけど、竜の宝ってのはホントに何のわけ?」
すると、ポポロが言いました。
「力を分け与えられるものは、いろいろあるのよ……。ものにも与えられるし、人や生き物に与えることもできるし。メールが腕にはめているその海の腕輪にも、メールのお父さんの渦王が、海の力をたくさんわけてくれているのよ」
ああ、とメールは左上腕にはめた腕輪を見ました。青く光る輪の上で、楕円形の石が深い青色に輝いています。海の民の血を引くメールは、この腕輪のおかげで長期間海から離れていられるのです。
「宝って言うからには、やっぱりこんな装飾品みたいな形をしているのかしらね」
とルルが言うと、歴史学者のコウがあごひげを撫でて言いました。
「このユラサイで竜の宝と言えば、宝珠のことになりますがな。力のある竜は足に握って持っていると言われております」
「デビルドラゴンはユラサイの竜とは違うぞ」
とゼンが肩をすくめます。
すると、フルートが静かに言いました。
「デビルドラゴンの宝が隠されている場所の見当だけはついたじゃないか。暗き大地の奥ってのは、闇の国のことじゃないか、って」
闇の国は、闇の民が地底に作った彼らの王国です。ゼンたちドワーフも地下の洞窟に暮らしていますが、闇の国はそれよりずっと深い場所にあって、闇魔法で隠されています。地上とはまったく関わりを持たない国ですが、時々そこから闇の民や怪物が現れて、地上に害をなしていくので、人々は闇の国を恐れていました。悪いことをした人間が死後に行くという地獄と混同されることさえあります。
「勇者殿たちは、本当に闇の国へ行かれるつもりなのですか? いくらなんでも、あまりに危険でございますぞ」
と歴史学者のコウが心配しました。
「行くしかないんです。ぼくたちはどうしてもデビルドラゴンを倒す方法を見つけなくちゃいけないから。――大丈夫。一人でいくわけじゃない。みんなで一緒に行くんですから」
そう答えたフルートの声には、強い響きがありました。仲間たちの力を信じているのです。ゼン、メール、ポポロの三人は思わず笑顔になり、ポチとルルは大きく尻尾を振ります。
「ですが、どうやってそこへ行かれるのですか? 闇の国がどこにあるのか、ご存じなのですか?」
と僧侶が尋ねると、とたんに、勇者の一行は渋い表情に変わりました。
「それなんだよなぁ……! いったいどうやったら闇の国に行けるのか、全然見当がつかねえ!」
「竜子帝に調べてもらっているんだけど、まだ何もわからないんだよね」
ゼンとメールが溜息混じりに答えます。
「待とう……きっと行き方が見つかるさ」
とフルートは言いましたが、これについては、フルートもさっきほどの確信は持てません。
一同は、闇の国があるはずの足下へ、なんとなく目を向けてしまいました――。