メールとポポロは、縄で囲まれた儀式の場のすぐ外側に立って、絶体絶命の光景を眺めていました。ロウガもそばにいます。
フルートは金の石を掲げたまま顔を歪めていました。魔王になった黒竜を倒さなくてはならないのに、ルルを人質に取られて身動きがとれません。ゼンやポチも、歯ぎしりしながら立ちすくんでいます。ルルには赤い光のいましめが絡みついていました。ユーワンが呪文を唱えるたびに、いましめが締まって、青い霧のような血が噴き出してきます。
「畜生! ルルを放しなよ!」
とメールはユーワンへ花を飛ばしました。すると、黒竜がさえぎるように頭を下げて黒い息を吐きました。花が茶色く枯れて落ちていきます。竜が少女たちへ頭を向けてきたので、ロウガは二人に飛びついて押し倒しました。毒の息が頭上を通り過ぎて、後ろの木立を枯らします。
「ポポロ! メール!」
フルートたちが叫ぶ声にもうひとつの声が重なりました。
「早く倒すのよ、フルート! 私のことなんかかまわないで、早く――!」
空中で動けなくなっているルルでした。青い霧の血を噴き出しながら叫んでいます。
「このままじゃ全員殺されてしまうわ! 黒竜の中のデビルドラゴンも力を得て、いっそう強力になるのよ! 早く金の石で倒しなさい!」
ユーワンが意外そうにそれを見上げました。
「おまえは話ができたのか――。では、余計なことは何も言えないようにしてやろう」
赤い光の縄が伸びてルルの口にも絡みつき、風の体に食い込みました。ルル! とポチが悲鳴のように叫びます。
フルートは青ざめたまま立ちつくしていました。全身が激しく震えます。金の石はその手の中にありますが、光れ、と叫ぶことができません。
キァァァ、と黒竜がまた鳴きました。山道や山の斜面へ転がるように逃げていく人々へ、黒い息を吐きかけます。すると、人々がいっせいに倒れました。即死した者はありませんが、全身が火傷を負ったようにただれてしまって、地面を転げ回って苦しみます。空へ逃げようとしたユウライの兵は、飛竜と一緒にぼたぼた地上へ落ちてきます。
黒竜が笑いながら言いました。
「殺しはせん。人間は生きたまま食らうのが一番旨いからな」
ポポロは泣き声を上げて目をおおいました。彼女は今日の魔法を使い切ってしまっています。夜が明けるまで、どうすることもできません。
竜が巨大な頭を空から地上へ伸ばしました。竜子帝の家臣も、ユウライやガンザンの兵士も、区別なく呑み込もうとします。人々の悲鳴とうめき声が山頂に響きます――。
すると、かがり火が燃え続けている祭壇の前から声が聞こえてきました。
「竜よ! ユラサイの守護獣たる神竜よ! 悪しき存在がこの国を踏みにじり、国民(くにたみ)を食らおうとしている! 疾く来たりて、皆を救いたまえ――!」
けれども、そこには誰もいませんでした。ただ声だけが祭壇の場所から響いてきます。ユーワンは驚きました。姿隠しの術でも使っているのかと目を凝らします。
後見役のハンも倒れたまま仰天していました。両脚は黒竜の息で焼けただれていましたが、その痛みも忘れて祭壇を眺めます。聞こえてくるのは甲高い少年の声でした。先刻、竜子帝が儀式で神竜を呼んだ声にそっくりなのですが、竜子帝は祭壇から離れたところで金の鎧兜の少年と共にいました。やはり驚いた顔で祭壇を見ています。
声はさらに呼び続けていました。
「神竜よ! ユラサイを闇へ渡すわけにはいかぬ! 闇の竜を退けるために、疾く来たれ! 姿を現されよ!」
その時、ようやく人々に声の主の姿が見えました。それは人ではありませんでした。全身真っ白な一匹の小犬です。四本の足を大地に踏ん張り、小さな頭を高く上げて、祭壇の上空へと呼びかけています。
あっけにとられていたユーワンが、ふいに、はっと気がつきました。全身をわなわな震わせてどなります。
「貴様はあの時、社殿にいた犬! さては、わしの術はまだ続いておったのか! 貴様が竜子帝だったのだな――!!」
そのことばを聞くことができた人々は、全員自分の耳を疑いました。祭壇の前に立つ白い小犬を眺めます。帝……とハンが声を震わせます。
ユーワンに正体を見破られても、竜子帝は少しもたじろぎませんでした。犬の姿を人々の注目にさらしながら、夜空へ向かって言い続けます。
「いでよ、神竜! 疾く来たれ! ――朕が真の皇帝であろうとなかろうと、そんなことはもうどうでもいい! 朕の声が聞こえたら、ユラサイと人民を助けてくれ!!」
先刻の儀式で泣きそうになりながら呼んでいたのが嘘のような、力に充ちた強い声でした。
とたんに、祭壇の上で何かがまたたきました。銀の光が祭壇と犬の竜子帝を一瞬照らして、また暗くなります。
人々を追って食おうとしていた黒竜が、ぎょっとしたようにそれを振り向きました。ユーワンも顔色を変えます。泣きじゃくっていたポポロが、両手から顔を上げて叫びました。
「来るわ――!」
フルートたちも人々も、息を飲んで祭壇の上を見つめました。
空にまた銀の光が現れていました。あっという間にふくれあがって、空と山頂をまぶしく照らします。
次の瞬間、その中央に竜が姿を現しました。黒竜よりも二回りも大きな白い竜です――。
「神竜だ!」
とポチが歓声を上げました。ひゃっほう! とゼンも叫びます。
「やっと呼べたな、この馬鹿皇帝!」
フルートは黙って目を細めました。本物の皇帝のはずの竜子帝が神竜を呼び出せなかったのは、竜子帝がその意味を見誤っていたからです。自分が皇帝だと証明することだけが目的では、神竜は現れません。皇帝になって国と人民を守りたいと願う、真の皇帝にこそ、神竜は姿を見せるのです。
白く輝く竜が犬の竜子帝に話しかけました。
「いにしえの契約に従って我は来た。この国には闇の気配が色濃く漂っている。何が起きているのだ、皇帝よ」
「闇の竜に取り憑かれた黒竜が、邪悪な術師と共謀してユラサイを蹂躙(じゅうりん)しようとしている! さらにユラサイを足がかりに、世界も征服しようと企んでいるのだ! 神竜、力を貸してくれ!」
と竜子帝が答えます。
神竜は巨大な頭を動かして黒竜を見ました。響き渡る声で言います。
「愚か者、黒竜。己の欲望に負けて闇へその身を貸し与えたか。即刻闇の竜を追い出して、一族の元へ戻れ」
「わしは魔王だ!」
と黒竜は言い返しました。
「貴様の言うことなどもう聞かん! 貴様は二千年も前に我々の元から去ったのだ! 貴様が竜の王だったのは昔の話! もうわしに命令することはできないぞ!」
雷のような声ですが、神竜に比べれば迫力がありませんでした。強気に出ようとする陰に、相手を恐れておびえる響きがあります。
ユーワンは舌打ちしました。懐に手を入れて呪符を取りだし、黒竜を援護するために術を繰り出そうとします。その拍子に、空にいるルルから注意がそれます。
とたんに、ルルが口のいましめを振り切りました。首をねじり、自分の背中に向かって叫びます。
「今よ! 行って!」
空に長々と伸びたルルの体の上に、人が立ち上がりました。風の背中に伏せて隠れていたのです。光のいましめに縛られていない、尾に近い場所でした。ためらうことなく地上へ飛び下りてきます。
それはルルと一緒にさらわれていたリンメイでした――。