ガンザンの呼びかけに応えるように、祭壇の上に竜が現れていました。全身のうろこを白く輝かせながら、空中で身をくねらせます。神竜だ! 神竜が現れたぞ! と人々が叫び、ガンザンの兵たちが武器を掲げて歓声を上げます。
ユウライは顔色を変えてトウカへ言いました。
「白い竜は神竜だ! ガンザンの奴め、本当に神竜を呼び出したぞ!?」
神竜を呼べるのは皇帝だけなので、弟のガンザンこそがユラサイの支配者だということになってしまいます。
すると、竜を見つめていたトウカが、冷ややかに笑いました。
「落ち着いてくださいませ、ユウライ様。あれは神竜などではありませんわ。よくご覧になって」
なに!? とユウライが上空を見直します。
山の頂上を囲む森の手前では、フルートたちも驚いて空を見上げていました。犬の竜子帝が声を震わせながら言います。
「ガンザン叔父が神竜を呼び出した――! ユラサイに真の皇帝が誕生したのだ――!」
ほっとしている声ではありません。なんだか今にも泣き出してしまいそうに聞こえます。
フルートたちは何も言えませんでした。空の中で長い体をくねらせる竜を、茫然と見つめてしまいます。
すると、ロウガが腕組みして言いました。
「あれは竜じゃない。他の連中はだませても、俺たち竜仙郷の人間はだませないさ。見ろ」
そのことばが終わらないうちに、不思議なことが起き始めました。宙に浮かぶ竜からうろこが次々とはがれ出したのです。白い雪のように地上へ降ってきます。
「な、なんだ……!?」
ガンザンは仰天しました。その上にも堅いうろこが降ってくるので、頭をかばいながら下がります。うろこは地面に落ちると卵の殻のように潰れて、汚れた灰色に変わりました。うろこのはがれ落ちた竜が色と姿を変えていきます。白く輝く体がにごった赤茶色になり、四本の脚が体から外れて地面に落ちてきます。さらに竜の頭までが落ちて地響きを立てたので、人々は驚きの声を上げました。空中には全長三メートルほどの赤黒い体だけが残っています。くねりながら動き回る様は、巨大なミミズのようです。
「なんだ、ありゃあ?」
と驚くゼンに、メールが言いました。
「メクラヘビだよ――あんなでも蛇の一種さ。父上の島にもいるよ。あんなに大きいのは初めて見たけどね」
ロウガは肩をすくめました。
「ガンザンは蛇に術をかけて神竜に見せかけようとしたんだな。そんなまがい物は通用しなかったってことだ」
蛇は空中でのたうち続けていました。長い体がひっきりなしに動いて、もつれるように輪を作っては、またほどけます。
フルートは眉をひそめました。
「苦しんでいる……何故だろう?」
「どこかから力が来て、あの蛇を捕まえているのよ……。ものすごい力だわ」
とポポロが言います。
すると、蛇がひときわ大きくのたうちました。まるで見えない手がねじったように、長い体がもつれて絡まり、さらにきつく締まります。とたんに、ぼきぼきと骨の折れる音が響きました。蛇の体がいくつにもちぎれ、血をまき散らしながら落ちてきます――。
驚くフルートたちに竜子帝が言いました。
「術で神竜を作ろうとしてもだめなのだ。神竜の怒りに触れて、必ず正体を明らかにされた上で、破壊されてしまうのだから」
ガンザンが祭壇の前から自分の陣営へ逃げ帰っていました。竜子帝やユウライの陣営から批難や揶揄(やゆ)が飛びますが、もう言い返すことはできません。
ポチが首をかしげて言いました。
「そうか……だから、竜子帝はそもそもの始まりにぼくを捕まえたりしたんですね。風の犬の姿が白い神竜に似て見えたから、神竜の代わりにしようとして」
そうだ、と犬の竜子帝は答えると、嫌なことを思い出したように、むっつりと黙り込んでしまいました。
トウカがユウライに話しかけていました。
「ご覧なさいませ、偽の神竜など通用するはずがないのですわ。さあ、今度はユウライ様の番。祭壇の前へおいでになって。――大丈夫、神竜は必ず現れますわ」
一瞬不安な顔になったユウライへ、あでやかに笑って見せます。
ユウライはうなずくと、人々へ声を張り上げました。
「ガンザンは真の皇帝ではない! 神竜がガンザンを否定したのだ! ユラサイの皇帝は、国の祖となる名前を持つこの私だ! 今、それを証明して見せよう!」
人々はいっそうざわめきました。縄を乗り越えて祭壇へと進んでいくユウライに注目します。先帝の弟に当たる男は、青地に銀糸で刺繍を施した服を着ていました。青と銀は正式な場で皇帝が身につけることになっている色合いです――。
縄に囲まれた神聖な場所の中央で、ユウライは祭壇を見ました。幅一メートル長さ二メートルほどの細長い机を置き、白い布をかけただけの簡単な場所です。中央には神酒をたたえた大杯や供物が供えられ、机の両脇に大きなかがり火が焚かれています。ポチが油を投げ込んで燃え上がった炎も、今はもう落ち着いて、時折火の粉を空に上げるだけになっていました。
ユウライは大きく息を吸いました。ざわめきが潮の引くように静まっていくのを背中で聞きながら、両手を合わせ、祭壇に向かって声を張り上げます。
「神竜よ!! 我はこの国の真の皇帝のユウライなり!! 皇帝の呼びかけに応えて、今すぐその姿を人々の前へ現したまえ!!」
「現れるはずがない」
と後見役のハンがつぶやいていました。
「ユウライ殿は先々帝が亡くなられた時にも帝選びの儀をされたが、ユウライ殿に神竜は現れなかった。ユウライ殿は皇帝ではない」
そして、後見役は焦る視線を祭壇の奥へ向けました。祭壇のかがり火は周囲を照らしますが、その向こうに広がる暗がりまでは光が届きません。ハンには竜子帝の姿を見つけることができなかったのです。
ユウライは祭壇に向かって呼び続けていました。
「来たれ、神竜!! 天より下り、その白き姿で、我が真の皇帝であることを明らかにしたまえ――!!」
すると。
祭壇の上空で、ぴかり、ぴかりと光が二度ひらめきました。かがり火の炎が風にあおられたように大きく揺らめきます。
人々は、はっとして祭壇に注目し直しました。先ほど偽の神竜が現れた場所に、また何かが現れようとしていました。靄(もや)のようなものが寄り集まって、次第に濃くなっていきます。細く長い、蛇のような形です……。
縄の向こうの観客席から、トウカは祭壇へ片手を伸ばしていました。瞳を輝かせながら呼びかけています。
「そう、そのままおいで――ユウライ様の元へ、早く――」
ごく低い声です。周囲の人々は、祭壇で呼ぶユウライと、そこに姿を現そうとするものに気を取られて、彼女が呼んでいることには気がつきません。呼びかけに応えるように、空中の幻がいっそうはっきりしてきます。
ところが、その時、トウカが悲鳴を上げてよろめきました。
いつの間にか、すぐ横にガンザンが来ていました。縄を越えて儀式の場の端を駆け抜けたのです。その手には小太刀(こだち)が握られていました。刃がトウカの脇腹に深々と刺さっています。
悲鳴に振り向いた人々は驚愕しました。ガンザンがいきなりユウライの愛人を突き刺したのです。わけがわからず、誰もが立ちすくんでしまいます。空中の幻が揺らめいたので、ユウライも振り向き、トウカ! と叫びます。
すると、ガンザンがどす黒く笑いました。
「だまされるものか! 兄者に神竜は呼べん。あれは貴様が呼び出しているものだ! 死ね、女術師め――!」
怒声と共に、血まみれの小太刀がトウカの頭上へ振り上げられました。