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第14巻「竜の棲む国の戦い」

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63.問いかけ

 祭壇の前から竜子帝が駆け出したので、人々はあっけにとられました。夜目にも白い小犬が向こうへ走っていくのが見えます。竜子帝はその犬を追いかけているのです。

 ハンが白髪を振り乱して叫びました。

「お戻りを、竜子帝! 犬など放っておくのです――!」

 竜子帝のところへ飛んでいこうとする後見役を、ロウガが抑えました。

「俺が行って連れ戻してくる」

 と人混みをかき分けて駆け出します。山頂の会場全体で驚きと不満とあざけりの声が高まっていきます。

 

 ユウライが椅子から立ち上がり、勝ち誇った声を上げました。

「見ろ、竜子帝は降竜の儀を放棄して逃げ出したぞ! 竜子帝は己がユラサイの皇帝にふさわしくないことを、身をもって証明したのだ! 今この瞬間をもって、あの子どもは皇帝ではなくなった! 私は――」

 私は帝選びの儀を要求するぞ、とユウライは続けようとしました。私こそがユラサイの真の皇帝であることを、この場所で証明してみせよう、と。

 ところが、その声を押しのけるように、野太い声が響き渡りました。

「帝の選び直しだ!! この俺が神竜を呼び出してやる!! 俺が本当の皇帝だということを皆に見せてやるぞ!!」

 ユウライの弟のガンザンでした。ユウライは細身で長身ですが、こちらはいかにも武人という雰囲気の、がっしりとした大男です。金の刺繍を施した黒い服をひるがえしながら、張り渡した縄を乗り越えて、儀式の場へ入り込んでいきます。

 ユウライは、自分を差し置いてしゃしゃり出た弟に激怒しました。後ろに控える自分の飛竜部隊へ攻撃を命じようとします。対するガンザンの陣営でガンザンの私兵がいっせいに武器を構えます。

 すると、トウカがユウライの腕に腕を絡めてきました。鼻にかかった甘い声で引き止めます。

「まずガンザン様にやらせてご覧なさいませ、ユウライ様。真の皇帝はガンザン様ではございませんもの。神竜を呼べるはずはありませんわ」

 む、とユウライは我に返りました。それもそうだ、と考えて、祭壇へ進んでいく弟へ目を向け直します――。

 

 ポチは竜子帝の後を追いかけていました。竜子帝は人のいない北の方角へ走っていきます。小犬の体なので、張り巡らした縄も簡単にかいくぐり、夜の闇の中へと逃げていきます。

「だめです、竜子帝! だめですったら――!」

 ポチは人に聞きつけられることも忘れて、必死で呼び止めました。頂上の周囲には暗い森が広がっています。その中へ逃げ込まれたら、ポチにはもう竜子帝を見つけることができません。

 ところが、森の直前で竜子帝がいきなり弾き飛ばされました。頭から何かに激突したのです。地面に転がって、キャン、と悲鳴を上げます。

 そんな竜子帝に、怒鳴り声が飛びました。

「どこへ行くつもりだ、この馬鹿皇帝! 逃げんじゃねえ!」

 ようやく追いついたポチは、あえぎながら立ち止まりました。竜子帝の行く手をフルートたちがさえぎっていました。鎧を着た体で竜子帝を止めたのはフルートです。ゼンが両手を腰に当てて竜子帝をにらみつけ、メールとポポロがそのすぐ後ろに立っています。

 竜子帝はうなり声を上げました。別の方向へ走ろうとしましたが、夜目の利くゼンがすばやくそちらへ動いて進路をふさぎます。そこへロウガも駆けつけてきたので、竜子帝はすっかり囲まれる形になりました。小さな体を震わせて、フルートたちに向かって叫びます。

「だから――だから無理だと言ったのだ! 朕には呼び出せない!! 朕にはできないのだ――!!」

 

 すると、フルートがかがんで片膝をつきました。竜子帝の顔をのぞき込んで言います。

「まだ気がつかないのかい? 本物の皇帝のはずの君に、何が足りないのか」

 フルートの声は静かでした。尋ねるような口調です。

 竜子帝は、かっとなって、先よりもっと激しく言い返しました。

「朕に己を信じる気持ちが足りないからだと言うのだろう!? 何故、自分を皇帝だと信じられないのだ、と! だが、どうして信じられる!? 朕は一度だって、先帝から我が子と呼ばれたことがないのだぞ! 周囲はこぞって朕を皇帝の子ではないと言ったが、先帝は、ただの一度もそれを否定してくれなかったのだ! 兄者や姉上たちのように先帝を父と呼ぶことも許してはもらえなかった!! 兄者たちが次々と亡くなられて、先帝も亡くなろうという時に、他に回す者がなくて朕へ皇位が回ったところで、そんなものはただの順番――」

「違う、そんなことじゃないよ」

 とフルートは竜子帝の話をさえぎりました。小犬の黒い瞳をじっと見つめて言い続けます。

「君は、何故、神竜を呼び出すんだい? なんのために――誰のために」

 誰のために? と竜子帝はまた面食らいました。そんなことは決まっています。神竜を呼んでみせなければ、リンメイたちは救えないからです。そう答えると、フルートがまた言いました。

「リンメイとルルを助けるため。自分が皇帝だと証明して見せてハンを喜ばせるため。それは確かにそうだ。だけど――ユラサイの皇帝っていうのは、たったそれだけの人たちの王なのかな? 思い出してごらんよ。竜仙郷を訪ねる途中で、干ばつに飢え死にしそうな母子に出会ったじゃないか。犬の君が食べられそうになった。彼らに皇帝はいないのかい? だとしたら――彼らは誰に守ってもらえばいいんだろうな?」

 フルートの声は不思議なくらい静かでした。責めることもなく、ただ問いかけるように話しています。竜子帝はますますとまどいました。自分が何を聞かれているのか、フルートが何を言いたいのか、理解できなくて混乱してしまいます。

 ゼンが、うん? と首をかしげました。少し考えてから、親友に向かって言います。

「おい、フルート、それってのはつまり――」

 

 その時、彼らの後ろで大きなどよめきが起こりました。叫ぶような声も上がります。

 フルートたちは、ぎょっとふり返り、そのまま目を見張ってしまいました。

 かがり火に赤々と照らされた祭壇の前に、黒と金の服を着たガンザンが立っていました。祭壇の上空を見上げながら手を広げ、声を上げて笑っています。

 そこには白く輝く蛇のような生き物が浮かんでいました。とぐろを巻いた体を空中でほどいて、ぐんと天へ伸び上がります。とたんに、短い四肢のある長い体と、角とひげが生えた頭が明らかになります――。

 見守る人々がまた叫び声を上げました。

「神竜だ! ガンザン様が神竜を呼び出されたぞ!!」

 かがり火が金の火の粉を巻き上げる夜の空。そこに浮かぶ白い生き物は、確かに竜の形をしていたのでした――。

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