ポチを乗せた輿(こし)は、八人の男たちに担がれて、山道を登っていました。もちろん彼らは竜子帝を運んでいるつもりでいます。山道は松明で照らされていますが、光が届く向こうの景色は黒い夜の闇に沈んで何も見えません。それを輿の前に垂らした御簾(みす)の隙間から眺めながら、ポチが言いました。
「今はぼくよりあなたの方がよく見えるでしょう。近くに危険はなさそうですか?」
ポチの膝には白い小犬がいて、同じように御簾の間から外を眺めていたのです。
「別にこれといったものは見当たらないな。怪しい奴も潜んではいない」
と犬の竜子帝は答えました。怒ったような、そっけない声です。
「じゃあ、やっぱり正々堂々、儀式の場で勝負するつもりなのか」
とポチは言って、行く手の闇を見透かしました。山頂には急ごしらえの祭壇がすでに準備されていますが、そこもまだ見えてきてはいませんでした。
すると、竜子帝が言いました。
「正々堂々と言うが、いったいどうするつもりなのだ、ポチ。朕はこの姿なのだぞ。これでどうやって儀式を行えと言うのだ」
ポチは膝へ目を向け直しました。
「儀式ってどういうふうにやります? 具体的に。何か特別な作法とかありますか?」
「特には……。ただ祭壇に向かって神竜を呼ぶだけだ。全身全霊の想いを込めて。そうすれば、白く輝く神竜が現れ、空へ駆け上る。儀式を行うのが真の皇帝であればな」
最後の一言が皮肉な響きを帯びます。
それを無視してポチは話し続けました。
「それならば、やり方は簡単ですよ。ぼくと一緒に祭壇の前へ行って神竜を呼んでください。それに合わせて、ぼくが呼ぶ真似をしますから」
「無駄だ。いくらそんなことをしても神竜は現れない。朕は本物の皇帝では――」
「フルートが言っていたんです」
とポチはまた竜子帝のことばを無視して言いました。
「竜子帝は本当にユラサイの皇帝なんだ、神竜を呼び出す力をちゃんと持っているんだ、って。ただ、自分でそれを信じられないでいるから、神竜が現れないんですよ。信じて呼んでください、竜子帝。そうすれば竜はきっと現れます」
とたんに竜子帝は唇をめくって大きくうなりました。
「社殿の大僧正のようなことを言うな。朕は信じたのだ。きっと神竜は来てくれるとな。だが、やっぱり朕には現れなかったのだ」
「自分は皇帝じゃないかもしれない、と疑っている間はだめですよ」
とポチは答え、相手がうなっているだけで何も言わないのを見て、また話し続けました。
「フルートはこんなことも言ってました。ユウライがリンメイやルルをさらったのは何故だと思う、って。もし竜子帝が本物の皇帝でないなら、絶対神竜を呼べないんだから、ユウライだって何もしないでただそれを見ていればいいはずだ。人質を取るなんて変だろう、って。――ユウライは、あなたを本物の皇帝だと思っているんですよ。本当に神竜を呼び出すんじゃないかと心配しているんだ。だから、リンメイたちを人質にしたんですよ」
小犬の皇帝は目をむきました。たちまちかみつくように言い返します。
「そんな馬鹿な! ユウライ叔父はずっと朕を先帝の子ではないと言い続けているのだぞ――!」
とたんに、外から驚いたような声がかかりました。
「どうかなさいましたか、竜子帝!?」
竜子帝の声が家臣たちに聞きつけられたのです。ポチはすぐに答えました。
「ひとりごとだ。儀式に備えて精神集中しているだけだから気にするな」
落ち着き払った声に、外から承知の返事が返ってきました。その後はもう、誰も尋ねてきません。
ポチは少しだけ声を低めて言いました。
「口ではどう言っていても、ユウライは、あなたを先帝の子じゃないかと思っていますよ。そうでなければ人質を取るわけがないんだから。……ぼくも、あなたは本物の皇帝なんだと思います。宮殿のあなたの部屋に先帝の肖像画がありましたよね。あの先帝の顔と、今ぼくがなっているこの顔は、よく似ているもの。口元から顎にかけてとか、目元とか。そういうことは、あなた自身よりも、周りにいる人間のほうが先に気がつくものなんです。あなたは絶対に先帝の子どもなんですよ、竜子帝。正真正銘、本物の皇帝なんです」
犬の竜子帝はまたうなり声を上げました。納得していないのです。
それにたたみかけるように、ポチは言い続けました。
「信じてください、竜子帝。信じて、神竜を呼ぶんです。やっぱり竜子帝は本物の皇帝だったんだ、とユウライに思わせなくちゃいけない。――リンメイとルルを救い出すために」
竜子帝は、はっとしました。ポチを見つめ直します。
ポチはうなずき返しました。
「フルートがよく言いますよ。信じるんだ、って。信じることが強い力を生むんだから、って。あなたには必ずできるんですよ、竜子帝」
竜子帝はポチから目をそらし、足下を見つめました。そこには自分の姿になったポチの膝があります。顔を歪め、またうなるように言います。
「そうしなければ、リンメイは救えないか――」
「そうです。彼女たちを助け出すために、絶対に神竜を呼んでみせなくちゃいけないんです」
とポチが繰り返します。
竜子帝はうつむき続けました。
彼らを運ぶ輿は揺れながら山道を登っていきました。
坂道の果てに、頂上の祭壇を照らす灯りが見え始めていました――。