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第14巻「竜の棲む国の戦い」

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56.音のない声

 「ポチたちが無事に宮殿の中に入ったわ……」

 遠いまなざしをしながら、ポポロが言いました。

 そこはホウの都の南にある山のひとつでした。その北側の崖で、フルート、ポポロ、ゼン、メールの四人が都を眼下に眺めています。西の空は茜に染まり、都は夕映えに照らされて、家並みも街壁も周囲の堀も燃えるように赤く輝いていました。まぶしいくらい美しい景色です。

「ポチと竜子帝が入れ替わっていることは、まだ気づかれていない?」

 とフルートに聞かれて、ポポロはいっそう真剣になりました。彼女の魔法使いの目は、その気になればどこまででも見通すことができますが、声のほうはそういうわけにはいきません。音のない映像だけの世界へ目を凝らし、人々の様子や表情を見て答えます。

「大丈夫みたい……宮殿の家来たちがポチへお辞儀をしているわ。白髪の男の人がポチの服を指さして何か言ってる……ルルの血のことね、きっと。わけを尋ねているんだと思うわ」

「服を着替えてる暇はなかったもんねぇ。でも、ポチだから、きっとうまいことごまかすだろ」

 とメールが言います。

 フルートは考えながら言いました。

「白髪の男の人なら、きっとハンという後見役だ。その人がポチを疑っていないなら大丈夫だな。あとは予定通り、夜明けを待って二人を元に戻そう」

 

 すると、ゼンが腕組みをして言いました。

「確かに朝が来りゃポポロの魔法であいつらを戻せるが、どうやってそれをやる? 夜明け前に王宮にこっそり忍び込むのか? けっこう警戒は厳しそうだぞ」

 目の良いゼンは都のあちこちに憲兵の姿を見つけていたのです。都がそれだけ警備されているのであれば、宮殿の守りもかなりのはずでした。

「降竜の儀は公開で行われる。もちろん、都の住人全員の前で行われるわけはないだろうけれど、大勢が儀式を見に行くはずだ。そこに紛れ込むんだよ。」

 フルートの声は落ち着いています。

「どこで儀式をやるだろうね? 宮殿の中かな?」

 とメールも都を見ながら言いました。夕日に赤金色に輝く都は、無数の建物の集まりです。その中央に、ひときわ大きな建物がいくつも寄り集まって建っているのが見えます。そこが宮殿でした。

「ポポロがポチと直接話せればいいんだがな。でなきゃ竜子帝と。やっぱり無理なのか?」

 とゼンが言ったので、ポポロは首を振りました。ポポロの声はポチたちには届かないし、彼らの声をポポロが聞くこともできません。

 ところが、フルートは言いました。

「大丈夫さ。あそこにいるのはポチだからね。必ず必要な情報は伝えてくるよ」

 どうやって、とゼンとメールが尋ねたとき、ポポロが急に言いました。

「ポチがこっちを向いたわ……何か言ってる」

 言っている? とゼンとメールは聞き返しました。フルートだけが、やっぱり、という顔をします。

「周りの人はポチを見てない……声に出さないで話しているみたいよ。……は、北、の、山で……? 何かが北の山である、と言ってるわ」

 とポポロがポチの唇の動きからことばを読みます。

「何かってなんだよ!?」

 とゼンがわめくように尋ねると、フルートが言いました。

「わかりきってることを聞くなよ。降竜の儀が北の山で開かれる、って言っているんだ」

 落ち着き払った声に、ゼンはフルートを殴りそうになりました。

「察しが悪くて悪かったな! こちとら、おまえみたいに頭は良くねえんだ――! だが、北の山ってことは、都の外で儀式をするのか。侵入するには好都合だな」

「夜のうちにそこへ行っていようよ。明るくなる前から隠れていれば、うまいこと紛れ込めるさ」

 とメールが言って、花鳥を作ろうと両手を上げます。

 

 すると、ポポロがまた言いました。

「待って、ポチがまだ何か言ってるわ! ……今夜……今夜の、うち……今夜のうち? どういうことかしら?」

 ポポロにもその意味がわからなくなっていると、フルートが顔色を変えました。

「今夜のうちに!? 降竜の儀を今夜開くって言うのか!? 夜明けを待たずに!?」

 仲間たちも驚きました。竜子帝の叔父たちが儀式を強要しているのはわかっていましたが、いくら急いでいても、朝が来て明るくなってから執り行うだろうと考えていたのです。

「まずいじゃないのさ! 朝にならなきゃ、ポポロの魔法は復活しないんだよ! ポチと竜子帝を元に戻せないじゃないか!」

 とメールが声を上げます。

 ポポロは彼方の宮殿の景色を眺め続けました。ポチは青ざめた顔をしていました。後ろから話しかけられたのでしょう。後見役のハンを振り向いて、何かをしきりに話し始めます。その足下へ目を向ければ、小犬の竜子帝と食魔払いのロウガが、やはり困惑した様子をしていました。竜子帝は、傍目にもわかるほどはっきりと体を震わせています。

 すると、ポチがまたこちらを向きました。おそらく、彼らがいる場所からは誰もいない方向になるのでしょう。たった今まで話をしていたハンが驚き、いぶかしむような表情になります。それを無視して、ポチがまた口を動かしました。声に出さずに何かを言います。

「……?」

 言っていることがわからなくて、ポポロはあわてました。必死でポチの口元を見つめ続けます。何かをする、とポチは言っているようでした。

 とうとうそれを読み取って、ポポロは思わず息を飲みました。フルートたちへ伝えます。

「降竜の儀をする、ってポチが……! 竜子帝と入れ替わったままで儀式をするつもりなのよ!」

「そんな、できるわけないじゃないか! いくら体は竜子帝でも、中身はポチなんだよ!」

 とメールがまた声を上げました。

「ユウライが無理強いしてきたんだ……。何故? どうしてそんなに儀式を急ぐんだ?」

 とフルートがつぶやき、考え込みます。あんたたちは時間と競争をしているんだからね、という占神のことばが思い出されます。

「とにかく、儀式の会場になる山へ行こうぜ! ぐずぐずしてると儀式が始まっちまう!」

 とゼンがどなります。

 

 その時、がさっと崖に面した茂みが鳴りました。

 全員は思わず飛び上がりました。生き物の気配です。

「誰だ!?」

 とゼンがどなると、茂みから怪物が姿を現しました。大きな体は雄牛のよう、人間の男の顔をした頭にも牛の角が生え、前足の付け根に人の目のような模様があります。

 フルートは、とっさに鎧の中からペンダントを引き出しました。――金の石は反応していません。

「闇の怪物じゃない! いにしえの怪物だ!」

 すると、怪物が口を開いて、流暢なことばを話し出しました。

「いかにも、わしは太古の時代の怪物だ。呼び名はトウテツ。人から神の獣と呼ばれたこともあったがな」

「今は違うってわけだ」

 とゼンが弓矢を構えて言い返しました。トウテツという怪物は彼らをなめるような目で見てよだれを垂らしています。どう見てもまともな相手ではありません。

 フルートは炎の剣を抜き、魔法が使えないポポロを背後にかばいました。メールも周囲の花を呼び始めます。花畑がざわざわと生き物のように揺れ出します。

 

 トウテツが話し続けます。

「神の獣は地に落ちた。他の連中と共にな。闇との戦いが我々を狂わせたのだ。我が仲間たちと戦ったのだろう? 共工、渾沌、窮奇、トウコツ……皆、この地を守る神の獣たちだった。今は荒ぶる悪神と呼ばれ、四凶と恐れられ、恐怖と人肉を食うために闇から闇へ駆け回る日々よ」

 狂った笑い声が響きました。それは、以前戦った黒犬の渾沌の笑い声にも似て聞こえます。

 そうか――とフルートはせわしく考えました。二千年前の光と闇の戦いで、このユラサイの地は戦場になりました。ぶつかり合う光と闇の力の間で、聖なる存在だった神獣たちは影響を受けてしまったのです。清らかな聖獣だったユニコーンは、地上の闇と悪意に耐えられなくなって、この世界から消えていきましたが、消えることがなかったユラサイの神獣たちも、姿を変えられ、中身を変えられ、闇の怪物のような凶獣に成りはててしまったのです。

「人を食うだと!?」

 とゼンがどなっていました。

「大した神獣だな! 俺たちのことも食おうってわけか! やれるもんなら、やってみやがれ!」

 ビィン、と鋭い音と共に、白い矢がトウテツに飛びます。

 すると、トウテツが大口を開け、飲み込むように矢を食べてしまいました。ぎょっとした一同に向かって、また狂った笑い声をたてます。

「わしは何でも食らう。おまえらのすべてを食い尽くすぞ。おまえらの攻撃も武器も何もかも――。そのために呼び出されてきたのだからな」

 フルートは、はっとしました。

「おまえを呼び出したのは術師のユーワンだな!?」

 確信を込めて言うと、トウテツがまた笑いました。

「そのような名前だったかもしれぬな……。おまえらに邪魔をさせるな、と言っていた。いずれにしても、わしは腹一杯食らえれば、それでいいのだ。食らっても食らっても満腹になることのない、我が胃袋だがな――!」

 牛に似た人面の怪物が、角を振り立てて突進してきました。フルートがポポロを、ゼンがメールを、抱きかかえて飛びのくと、その間を突進して崖際で振り向きます。

 フルートはポポロを離して駆け出しました。剣を強く握り直します。

「ゼン、こいつを倒すぞ!」

「おう!」

 ゼンも弓を背に戻して駆け出します。二人が向かう先では、トウテツが前足で地面をかき、角を低く下げていました。この怪物を倒さなければ、彼らは儀式の会場へ行けないのです。

 ポチと竜子帝の元へ駆けつけるために、彼らは戦い始めました――。

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