フルートたちが竜仙郷の占神の館に到着すると、入口の門はもう大きく開け放たれていました。頭が半ば禿げた老人が待ちかまえていて、声をかけます。
「占神は奥じゃ。このまま行け」
屋敷の中に入り、幾重にも布を張り巡らした奥の間に進むと、最初の時と同じように占神が待っていました。贔屓(ひき)の背の椅子に座っています。
その顔を見たとたん、竜子帝の姿のポチが驚きました。
「闇の森でポポロやぼくを襲った女占者!?」
すると、ゼンが手を振りました。
「ああ、違う違う、これは別人だ! あの占者の双子の姉貴で、あの女占者も今じゃ――えぇい、その話は後でしてやるよ! 今はあいつらの行方を知るほうが先だ!」
「占神、ルルとリンメイが敵にさらわれました。裏竜仙郷のユーワンという術師のしわざです。行き先がわかりません」
とフルートが言いました。真剣な顔です。
占神はうなずきました。額に下げた黄色い宝石が揺れて光ります。
「あたしにも見えていたよ。術師は目くらましの術を使ったけれど、あたしは先回りができたからね。術師が逃げて行った先は、竜子帝の叔父のユウライのところさ。ユウライは降竜の儀を公開するように言っている。その時に竜子帝が神竜を呼び出さないように、人質にするつもりでいるのさ」
ユウライ――と一同は声に出しました。とうとう竜子帝を狙う人物の名前が明らかになったのです。
とたんに竜子帝が大声を出しました。
「叔父が皇帝の座を狙っていることは、ずっと以前からわかっていたことだ! 何故、叔父が事を起こす前にそれを知らせなかった、占神! 今回だってそうだ! リンメイたちを助けに行けと言っただけで、あの術師が乗り出してくるとは言わなかったではないか! それがわかっていれば、むざむざとリンメイをさらわれるようなことはなかったのに!」
まるで、リンメイをさらわれたのは占神のせいだ、と言うような口ぶりです。
細身の女占者は、動じることなく言い返しました。
「未来というのは決まり切って動かないものじゃないんだよ、竜子帝。いくつもの行き先があって、そのどこへ進むかは、そこまで行ってみないとわからないものなのさ。ひとつの道へ進んで行けば、その先にまたいくつもの分かれ道ができる。その分岐点で進む方向を決めるのは、いつだって人の気持ちだ。――あたしはあんたたちをずっと占いで追いかけていた。今回の分岐点で行き先を決めたのは、あんた自身さ、竜子帝。あんたは、犬になった自分の姿にためらって、あんたの幼なじみに声をかけなかった。だから、未来にあんたの幼なじみを奪われたんだよ」
竜子帝は驚きました。
「朕のせいだと言うのか――!? リンメイをさらっていったのはあの術師だぞ!!」
「その未来を招いたのは、あんたさ。分かれ道を選ぶのは人。選べば、未来は行くべき方向へ進む。あんたは幼なじみに手を差し伸べなかった。その結果がこれなのさ」
厳しい占神のことばに、竜子帝は全身を震わせました。ほえるように叫びます。
「あの場面で朕がためらったのは当然ではないか!!! 誰もがきっとそうするはずだ!! それでも朕のせいだと言うのか、占神!!?」
「他人がどうするかじゃない。あんた自身がどうしたいかなんだよ、竜子帝。未来は決まり切っているものじゃない。その行き先を選んでいくのは、いつだって人の気持ちなのさ」
それを聞いて、フルートたちはいっせいに、はっとしました。未来の行き先を選ぶのは人の気持ち、と繰り返されることばに、とても意味があるような気がしたからです。思わず全員が顔を見合わせます。
ただ犬の皇帝だけが怒りに体を震わせ続けていました。占神のことばは、竜子帝には届いていないのです――。
腕組みしてやりとりを聞いていたロウガが言いました。
「で、俺たちはどこへ行けばいいんだ、占神? 人質を救い出さなくちゃならないんだ。ユウライのところへ乗り込めばいいのか?」
厳しい顔をしていた占神が、穏やかな表情に戻りました。
「それはやめておおき、ロウガ。そんなことをしたら、あんたたちは一人残らず命をなくしちまうよ。あの術師が、復讐心に燃えて待ちかまえているからね――。あんたたちが行くべき場所は都だよ。ユウライは、自分を含めた全員で降竜の儀を執り行うように言ってくる。その場所でなければ、あんたたちは二人を取り戻すことはできないよ」
降竜の儀! と竜子帝がまた叫びました。今度は悲鳴のような声でした。彼は降竜の儀で神竜を呼び出すことができないのです……。
すると、フルートが言いました。
「ポポロは今日の魔法を使い切ってしまいました。明日の朝にならなければ、竜子帝とポチを元に戻すことができません。それまで待つべきですか?」
「いいや、あんたたちは今すぐ都へ出発しなくちゃいけない。できるようになったら、ふたりを元に戻しておやり。あんたたちは、時間と競争をしているんだからね」
「今すぐか? 飛竜は社殿まで飛んで、また竜仙郷に戻ってきている。ずいぶん無理をさせて疲れさせたから、このうえ都まで飛ぶのは無理だぞ」
とロウガが難しい顔をします。飛竜は長時間飛び続けることには向いていないのです
「あたしの一番速い竜を貸してやるさ。もう、じいやが外に準備をすませている。それに乗ってお行き。花使いのお姫様は、あたしの屋敷の花をお使い。一刻も早く都へ。それがあんたたちのするべきことだよ」
「ありがとう、占神」
フルートは礼を言うと、すぐさま仲間たちを振り向きました。
「行くぞ! 行き先はユラサイの都ホウ! ロウガ、案内してくれ!」
おう、と仲間たちがいっせいに答え、ロウガもうなずきました。たちまち占神の部屋から駆け出していきます。
けれども、犬の竜子帝は部屋に残っていました。大亀のような竜の背に座る占神を見上げて言います。
「朕に神竜を呼び出せと言うのか――? 朕にその力がないのを承知で?」
声も体も激しく震えていました。
「そうしなければ、あんたの幼なじみは救えないさ」
と占神は答えました。
「朕にはできない! どんなに頑張ってもできなかったのだ! リンメイを救えない!」
と竜子帝は言い続けました。人の姿であれば、きっと大泣きをしていたに違いありません。
すると、占神が、じっと竜子帝を見ました。冷ややかなほど冷静に言います。
「それじゃあ、あんたの幼なじみを見捨てるんだね。その道を選ぶのも、あんた自身の心なんだよ」
竜子帝は立ちすくみました。占神に何か言い返したいと思いますが、ことばが出てきません。怒りと悔しさに全身は震え続けます。恐怖にも似た感情です――。
すると、部屋の外からフルートたちの声が聞こえてきました。
「竜子帝、急いで!」
「早く来い、馬鹿皇帝! 置いてっちまうぞ!」
占神は竜子帝を見つめ続けていました。さあ、どうする? と問いかけているのが、まなざしでわかります。
竜子帝は叫びました。
「行くとも! 行ってリンメイを救い出す! 神竜など知ったことか! 朕は朕のしたいようにする――!!」
ほえるように言って占神に背を向け、駆け出します。幾重にも張り巡らされたカーテンをくぐり抜け、部屋の外へ、フルートたちが待つ屋敷の外へと飛び出していきます。
それを見送って、占神がつぶやきました。
「そう、それでいいのさ。それでいい」
すると、カーテンをくぐって老人が入ってきました。
「連中は都へ向かったぞ、占神。竜子帝も一緒じゃ」
「そうだね。それじゃあたしたちも出発しようか、じいや」
「もう、そっちの準備も整っとる。おまえさんが乗れば出発じゃ」
占神はちょっと驚いた顔になると、すぐに笑い出しました。
「さすがだね。あたしの先回りができるのは、やっぱりじいやだけだ」
「当然のことを言うな。わしは先の占神じゃぞ。おまえさんに占神を譲って世話をするのが吉、と占いに出たから、それに従っているだけじゃ」
口ではそんな言い方をしても、老人は笑顔でした。占神を見る目には父親のような愛情があります。
ありがとう、と占神は言い、歩き出した贔屓(ひき)に揺られながら、老人と共に部屋を出て行きました。