黒い術師のユーワンに向かって飛びながら、ロウガがフルートたちに言っていました。
「術師の術を防ぐには、呪符を使えなくするか呪文を封じるんだ。呪符は声に出して読み上げると術に変わるから、呪文を邪魔すれば発動しなくなる。もっとも、向こうもそれを警戒して、特別な服を着てるがな。術師たちが頭巾や帽子で顔を隠しているのは、声を封じ込める術を防ぐためなんだ」
「とすると、呪符を使えなくするほうがいいってことか。ポポロ、できそうかい?」
とフルートが尋ねると、う、うん、と魔法使いの少女は自信なさそうにうなずきました。
「たぶん……。いにしえの怪物が消えたから、あたしの魔法も届くと思うんだけど……それを跳ね返されちゃったら後がないわ」
「俺が惹きつけて隙を作ってやる」
とロウガが言います。
その間にも飛竜は術師の飛竜に迫っていました。黒い頭巾をかぶった小男が近づいてきます。手にした呪符をまた宙へ投げようとしています。
すると、突然ロウガが声を張り上げました。
「あきれた仕業だな、ユーワン! 天下を取ると言っていたあんたが、ここで何をしてるんだ!? 人に使われて刺客稼業か!」
なに、と術師が手を止めました。迫ってくる青年の顔をつくづくと見ます。
「誰だ、貴様は。何故わしを知っている?」
「俺を見忘れたか、ユーワン!?」
とロウガがどなり返します。
術師はさらに相手を見つめました。二頭の飛竜が翼の先が触れそうなほど接近して、また離れていきます。フルートたちが振り向くと、術師も彼らを振り向いていました。さらにロウガを見つめて、ほう、と言います。
「なんだ、貴様はロウガか。でかくなったな。見違えて、すぐにはわからなかったぞ」
「六年ぶりだからな。久しぶりだ」
と青年が答えます。口では懐かしんでいるようでも、その顔と声は冷ややかです。術師が竜を旋回させたので、同じように旋回してまた向き合います。
術師のユーワンが笑いました。頭巾からのぞく目が細く鋭くなります。
「食魔払い見習いの坊主が、偉そうに何を言っている? わしの実力を知らんわけではないだろう」
「今の俺はもう見習いじゃない。一人前の食魔払いだ。嫌でも独り立ちさせられたからな――あんたの裏切りのせいで」
ロウガの返事に、ユーワンがまた冷笑します。
「その顔の傷はあの時のわしの置き土産か? 天下を取りに里を出ようとしたわしを引き止めたりするからだ。いい勉強になっただろう」
「ああ、なった。術師ってヤツを絶対信用しちゃならない、ってことは骨身にしみたぜ。親身になって引き止める仲間まで、簡単に術で殺そうとするんだからな。結局、生き残ったのは俺一人だ。他の連中は、あんたが呼び寄せた怪物にみんな食われた」
「わしを竜仙郷などに縛りつけようとするからだ」
とユーワンがまた笑います。
ふん、とロウガは凄みのある笑いを返しました。
「裏竜仙郷の連中は、竜仙郷の掟(おきて)を嫌って里を飛び出して、新しい里を作った。だが、あんたはそこにも縛られたくなくて、やっぱり飛び出していった。あんたは今、誰のために竜子帝を狙ってるんだ。宮廷のいざこざに手を貸して、それで天下が取れるのか!?」
「貴様にはわからんさ」
とユーワンは冷ややかに言い続けました。
「わしは希望の星を見つけたからな。怪しく美しく燃える星よ。それが天下への道を拓く。そのためになら、しばし人にへつらうことなど何でもないわ」
「その星とはなんだ? 人か? それとも悪神か?」
とロウガが尋ね続けますが、ユーワンはそれにはもう答えませんでした。敵を見る目でかつての仲間を見て言います。
「逝け、ロウガ。今度こそ貴様に他の連中の後を追わせてやる」
呪文を唱えて呪符を投げようとします。
すると、ロウガがまた声を張り上げました。
「あいつをどうした、ユーワン! トウカをどうした!?」
ユーワンは呪文を止めました。驚いたように青年を見て、すぐに、ああ、と言います。
「そうか、貴様は……」
言いかけますが、その先はことばにしません。黒い頭巾からのぞく瞳がまた冷笑します。
その時、フルートが叫びました。
「今だ! やれ、ポポロ!」
ロウガの飛竜の背中に座る少女が、術師へ手を向けていました。
ユーワンは、はっとしました。ずっと他の連中の動きにも目を配っていたのに、ほんの一瞬、ロウガだけに気を取られてしまったのです。とっさに魔法使いの少女へ呪符を向けようとします。
すると、その呪符を白い矢が突き破っていきました。いつの間にか近くまで来ていた鳥の上で、青い胸当ての少年が弓を構えています。ユーワンは別の呪符を取り出そうとしましたが、間に合いませんでした。少女の呪文が響きます。
「ローエモーヨフユージ!」
とたんに、ユーワンの黒い服の懐が火を吹きました。たちまち大きな炎になって、男の上半身を包みます。懐にしまってあった呪符が魔法で燃え上がったのです。
ユーワンは叫びながら呪符をつかみ出し、空へ投げました。呪文を唱えたとたん、飛竜と共に姿を消してしまいます。燃えていく呪符で術を作って逃げたのです。
驚いてそれを見ていたゼンが言いました。
「あいつ自身も燃えてやがったぞ。ポポロの魔法に巻き込まれたんだな」
「ちょうどいいさ。あれでやられてくれたら平和になるよ」
とメールが肩をすくめます。
「残念ながら、そんな殊勝なヤツじゃないな。どこかに逃げのびたに決まっている」
とロウガは答えました。術師が消えた空をにらみ続けています。
「でも、敵は逃げました。ひとまずぼくらの勝ちです」
とフルートは言って、ポポロの肩に手を回しました。ポポロは、必ず狙いより拡大する自分の魔法に、また泣き出してしまっていたのです。
一同は空の中で改めて互いを見ました。
飛竜に乗ったロウガとフルートとポポロと竜子帝、花鳥に乗ったゼンとメールとルルと少年皇帝の姿のポチ、そして、一人飛竜に乗っているリンメイ。彼らはようやく合流したのです。
リンメイは犬になった竜子帝を見つめ続けていました。キョン、とまた呼びかけてきます。
竜子帝は目をそらすようにうつむいていましたが、やがて、上目遣いにリンメイを見ました。少女は竜の背で食い入るような目をしていました。それが自分の知っている人かどうかを確かめようとしているのです。竜子帝は溜息をつきました。頭を上げ、リンメイにまともに向き合おうとします。
すると、泣いていたポポロが突然叫びました。
「上――!」
飛竜に乗ったリンメイの真上に、巨大な手が現れていました。五本の指を広げて、少女につかみかかっていきます。それは、そもそもの始まりに風の犬のポチがさらわれた光景と瓜二つでした。ただ、こちらの手には、生々しく焼けただれた火傷の痕があります。
「ユーワンだ!」
とロウガは叫んで飛竜を急行させました。メールたちも花鳥で駆けつけようとします。
ところが、それより早く、手は竜の上から少女を捕まえてしまいました。
「リンメイ!」
と竜子帝は大声を上げました。柱のような指の間から顔と手を出して、リンメイが叫び返します。
「キョン!」
とたんに、風の音が湧き起こりました。花鳥の上でルルが風の犬に変身したのです。次の瞬間にはリンメイをつかむ手へ突進していきます。
「その子を放しなさい! 放しなさいったら――!」
風の刃をひらめかせると、火傷を負った手から血が噴き出します。
空に雷鳴のような怒りの声が響き渡りました。リンメイをつかむ手の隣に、もうひとつ巨大な手が現れ、風の犬のルルを捕まえてしまいます。やはり火傷を負った手です。
「ルル!!」
ポチは花鳥の上から叫びました。駆けつけたくても、ポチは変身することができません。
「急いで!」
とフルートは言って、飛竜の上にまた立ち上がりました。リンメイやルルが捕まっているので、炎の剣ではなく、銀のロングソードを構えます。
けれども、彼らが駆けつけるより早く、二つの手は透き通り、消えていってしまいました。
「リンメイ!」
「ルル! ルル――!」
竜子帝やポチの呼び声が響く空に、一人と一匹の少女の姿はもうありませんでした。