「ルル! ルル――!!」
社殿の中庭でポチは呼び続けました。さっきまでそこにいたはずの雌犬が、姿を消していました。驚いて探し回ります。
「どうしたのよ、キョン……? 何をそんなにあわてているの?」
とリンメイがいぶかしそうに聞いてきました。犬にどうしてそんなに本気になるのかと考えているのです。
すると、門のほうから番兵が駆けてきました。ポチの前にひれ伏して詫びます。
「お許しください! ハン様やラク様が飛竜で都へ向かわれた際に、帝の犬を外へ逃がしてしまいました!」
「外へ!?」
ポチはびっくり仰天しました。急いで門へ駆けていこうとすると、リンメイに引き止められます。
「だめよ、キョン! 社殿の外には敵がいるわ! あなたが外に出て行っては危険よ!」
門番も跳ね起きてポチを押しとどめました。
「リンメイ様のおっしゃるとおりです! 今、皆で手分けをして周囲の森を探しております。きっと見つけ出しますので、帝はここでお待ちください――!」
ポチは立ちすくみ、空を見上げました。社殿を囲む木々と塀の上に広がる空は、どんよりと暗く淀んでいます。その中に、ユラサイの竜に似た風の犬の姿は見当たりません。
見つかったらまたお知らせにまいります、と言って、門番は駆け去りました。外へ犬を探しに行ったのです。
それを見送りながら、ポチは拳を握りました。つぶやくように言います。
「見つからない……見つけられるわけがないんだ……」
「どうして?」
とリンメイが尋ねました。真っ青になって心配するポチを、驚いて見ています。
すると、ポチは少しの間考えてから言いました。
「君――この社殿にはどうやってやって来た? 宮廷のある都から。飛竜に乗ってきたはずだよね? 君の竜はまだここにいる?」
リンメイはますます驚きとまどいました。
「ええ、社殿で世話をしてもらってるわ。でも、キョン」
「お願いだ、それで今すぐぼくを外へ連れ出してくれ! 早く追いかけないと間に合わなくなるんだ!」
「間に合わないって、飛竜で犬を追いかけると言うの? そんな馬鹿なこと――」
言いかけて、リンメイはふと相手を見つめ直しました。
「ぼく? 今、ぼくと言ったの、キョン?」
眉をひそめ、確かめるようにポチの顔をのぞき込んできます。
「どうしてそんな言い方をするの? あなたは子どもの頃から、ずっと自分を朕と言い続けていたじゃない。帝と帝の子どもにだけ許された言い方だから――。それに変よ、あなた。どうしてあの犬にそんなに本気になるの? あの犬は何? なんだか――なんだかまるで――」
言いかけて、ためらうように口ごもってしまいます。
すると、リンメイが言えなかったことばを、少年が答えました。
「彼女はぼくの大切な人なんだ。彼女がどう思っていたって、ぼくは彼女が好きなんだよ」
リンメイは悲鳴を上げました。はっきりと嫌悪の表情を浮かべます。
「何を言ってるの、キョン!? あれは犬よ!」
「ぼくも犬だ」
とポチが答えます。
少女は泣き出しそうになりました。幼なじみがおかしくなってしまったと思ったのです。
少年はそんな彼女を見ていました。ためらいのない、まっすぐなまなざしは、気が変になっている人のものではありません――。
リンメイが目を見張りました。まじまじと相手を見つめ、やがて言います。
「あなた……誰?」
少年が微笑を返しました。それは、少女がよく知っている少年の表情ではありませんでした。顔の作りこそ同じでも、まったく別人の笑顔です。
リンメイは震え出しました。青ざめ、ポチの前から後ずさりながら言い続けます。
「あなた、何者よ……? どうしてキョンと同じ姿をしているの? キョンは――キョンはどこにいるのよ!?」
「だから、あのことばは君のキョンに言ってあげなくちゃいけない、ってぼくは言ったんだ」
とポチは答えました。
「ぼくはポチ、もの言う犬だよ。敵の術のせいで、竜子帝と体が入れ替わってしまってるんだ。本物の竜子帝はぼくの仲間と一緒にいる。敵を見つけるために竜仙郷に行ってるんだ」
リンメイは絶句しました。本当に信じられないような話です。それなのに、彼女にはそれが紛れもない真実だとわかってしまったのです――。
やがて、リンメイはつぶやくように言いました。
「そうよ……ずっと不思議に思ってきたわ。あのルルって犬は、いつも私をにらんでいるような気がしたのよ。ただの犬のはずなのに、なんだか私の気持ちを知っているみたいで、ずっと落ち着かなかった……。あの犬も、もの言う犬なのね? あなたと――同じ――」
「そう、そして、ぼくの大事な人なんだ。ぼくは彼女より小さくて、いつも異性や恋人としては見てもらえないんだけれど、それでもずっと好きだったんだよ。君がキョンを愛しているのと同じなんだ」
だからこそ、ポチはリンメイを放っておくことができなかったのでした。自分自身の姿を見ているように思えたのです。少女が真っ赤になります。
ポチは真剣な顔で言い続けました。
「お願いだ、リンメイ、飛竜を出してくれ! 外に出たルルを連れ戻さなくちゃ! この竜子帝の姿では、ぼくは外に出られないんだよ――!」
門番と衛兵たちは社殿の周囲で犬を探し続けていました。
いくら探し回っても犬はまったく見つかりませんでした。呼んでも口笛を吹いても、餌を準備しても、どこからも姿を現しません。彼らがあせっているところへ、足音を立てて一頭の飛竜が駆けてきました。背中に乗ったリンメイが、門を守る兵士へ言います。
「私も犬を探すわ! 開門しなさい!」
「そ、それはなりません、リンメイ様――!」
と門番は驚いて答えました。リンメイは竜子帝の側室です。そんな大切な人物を外へ出すわけにはいきません。
けれども、リンメイは竜の足を緩めませんでした。鋭く言い続けます。
「いいから早く開けなさい! このまま犬が見つからなかったら、帝はあなたたち全員の首をはねるわよ!」
この一言は効きました。門番は血の気を失い、飛びつくようにして門を押し開けました。その間からリンメイの飛竜は外へ駆け出し、翼を広げて空へ舞い上がります――。
「うまくいった」
飛竜の背中に掛けた布の下からポチが這い出してきました。竜の手綱を握ったリンメイは、あきれた顔で後ろを見ていました。社殿がぐんぐん遠ざかっていきます。
「あなたの言うとおりにしたら、本当に出られたわ……。社殿の門番があれっぽっちの脅迫で門を開けるだなんて、情けないわね」
「誰だって、自分の身が一番大事だもの」
とポチはあっさり答えると、座り直して、竜の長い首を抱きしめました。
「お願いだよ。ルルを探してくれ。たぶん、彼女は空を飛んでいる。きっと竜仙郷に向かったんだ」
少年は飛竜に話しかけていました。竜がすぐに振り向いて、ギェェと鳴いたので、リンメイはびっくりしました。
「あなた、竜と話せるの!?」
「うん、犬だからね。この竜の名前はカーラって言うの? 竜仙郷の場所はわかるから、そっちへ飛んでくれるって。行き先は彼女に任せて」
ポチが言うとおり、飛竜は自分から南西に向かって飛び始めていました。リンメイはますますあきれ、またポチに話しかけました。
「ねえ、あなた――」
「ポチだよ」
と竜子帝の姿の少年が答えます。
「ポチ……あなた、さっき、仲間がいるって言っていたわよね。キョンはその人たちと竜仙郷にいるって……。あなたたちは誰なの? 何のために、ここにいるの?」
「ぼくらは金の石の勇者の一行だよ。闇の竜を倒す方法を探して、このユラサイに来ていたんだ。まさかこんな事件に巻き込まれるとは思っていなかったけどね。仲間たちは竜子帝を敵から守るために、竜仙郷の占神を訪ねている。ルルも、きっとそこへ向かっているんだ。ああ見えて、ルルはすごく淋しがり屋だから――」
ポチは歴史書に夢中になりすぎて、ルルをほったらかしにしてしまったことを反省していました。いつも怒りん坊でお姉さんぶっているルルですが、本当は、仲間の誰よりも孤独が嫌いなのです。もっと抱きしめて話しかけてあげれば良かった、と考えます。
すると、彼らを乗せた飛竜が頭を上げて、ギェェとまた鳴きました。えっ、とポチが驚きます。
「なに?」
とリンメイが尋ねると、ポチは行く手を指さして叫びました。
「あそこ! 怪しい飛竜が飛びたっていく!」
森の切れ間の崖から四頭の飛竜が空へ舞い上がるのが、遠くに見えていました――。