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第14巻「竜の棲む国の戦い」

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第16章 後悔

45.災害

 「明緑帝の没後、明緑帝の長子ヤオ、三男クーラン、長女ミヤ、明緑帝の末弟ドウラにくみするものたちは、それぞれの人物を皇帝に推して譲らず、宮廷は多いに乱れた」

 とポチはユラサイの歴史を読み続けていました。

 そこはまた社殿の礼拝堂の中でした。机の上には巻物が広げられ、ポチとリンメイが椅子に並んで座っています。ポチは今ではユラサイ文字をすっかり読めるようになっていました。たまに読めない文字に出くわした時に、リンメイに尋ねればよい程度です。

「国中で戦乱が起きそうになったとき、竜仙郷から――これはなんて読むの?」

「易者(えきしゃ)よ。この場合は占神のこと。竜仙郷から占神が飛んできて、降竜の儀を行うよう告げた、と書いてあるの」

 とリンメイがすぐに教えてくれます。ふぅん、とポチは心の中で考えました。占神と言えば、今、フルートたちが訪ねている人物です。仲間たちが竜仙郷に到着したことは、先ほどルルからこっそり教えてもらったばかりでした。

 

 歴史書には、占神のお告げの通りに儀式を行い、三男のクーランが神竜を呼び出したので、彼が次の皇帝になった、と書いてありました。その部分を読んだリンメイが、心配そうにポチを見ました。

「ねえ、そういえば、あなたはこの降竜の儀の最中なのよ、キョン。こんなことをしていていいの? 神竜を呼び出すことができなかったら、あなたは皇帝じゃなくなってしまうのよ」

 ポチは困って、ちょっと首をかしげてみせました。

「そのうちにね。今はこの書を読むほう方が大事なんだ……。大丈夫、ちゃんと神竜は呼び出すさ」

 なにしろ、ポチには竜の呼び出し方などわからないのですから、こんなふうに答えるしかありません。もう、とリンメイはあきれた顔をしました。

「勉強熱心なのは偉いと思うけど、本当に変わりすぎだわ、キョン。なんだか別の人がキョンになっているみたいよ。書ばかり読んで、拳法の稽古も全然しようとしないし。皇帝になって何があったっていうの?」

 幼なじみの変貌ぶりに違和感を感じながらも、やっぱりリンメイはそれが別人とは思っていませんでした。ポチはますます答えようがなくなって、曖昧に笑い返しました。

「いろいろあったんだよ。……いろいろね」

 リンメイの困ったようなとまどい顔が、ポチを後ろめたい気分にさせます。

 

 すると、扉の外から、失礼します、と訪問者の声がしました。

 リンメイは飛び上がって顔色を変えると、急いで扉を開けに行きました。外に父親のハンが来ていたのです。

「竜子帝にお話ししたいことがあるのだ。自分の部屋へ戻っていなさい」

 とハンは娘に言いました。反論を許さない厳しい声です。リンメイは悪いことを叱られたように、はい、とうなだれて礼拝堂から出て行きました。後にはハンと竜子帝の姿のポチ、そして、礼拝堂の片隅にルルだけが残ります。

 ハンがポチに近づきながら言いました。

「竜子帝、リンメイはコウインの尼寺へ行かせます。これ以上、娘をそばにお置きになりませんように」

 口調は丁寧ですが、厳しい声のままです。ポチは驚きました。

「どうして!? リンメイは朕を助けてくれているのに!」

「リンメイは帝の側室と思われております。このままにしておいて、良いことは何もありません」

 とハンは単刀直入に答えました。寝ているように見えたルルが、ぴくっと耳を動かします。

 ポチは困惑した顔になりました。

「朕たちはユラサイの歴史を勉強しているだけだ。どうしてそれがいけない?」

「帝は間もなく正式な皇后をお迎えになります。リンメイがそばにいれば、どれほどの誤解を招くことでしょう。宮廷では反発の声も出始めております。皇帝は降竜の儀も執り行わず、こともあろうに神竜の前で女にうつつを抜かしている。神竜がこれをお怒りにならないはずはない。いずれこの国に天罰が下るであろう――と、そのような噂まで急速に広がっているのです。このままではユウライ殿やガンザン殿が必ず口を出してまいります。帝の地位を狙う者たちに隙を与えてはならないのです。リンメイを一刻も早く追放なさってください。悪しき噂も、尼寺までは追いかけてまいりません」

 でも……とポチは渋りました。皇帝の叔父のユウライやガンザンが竜子帝の命を狙っているのではないか、という話も聞いていましたが、だからといって、リンメイを尼寺へ行かせるのはあんまりだと思います。尼寺は中央大陸で言う修道院と同じでした。入所して生涯を神に捧げるので、結婚することも、尼寺の外で暮らすこともできなくなります。そんなことになればリンメイは――。

 考え込むポチの、ずっと後ろのほうで、ルルが低くうなりました。床に伏せ、眠るように壁を向き続けていますが、耳だけはずっとポチとハンの会話へ向けられています。

 

 すると、そこへ礼拝堂の扉が勢いよく開いて、一人の僧侶が入ってきました。息せききって駆けてきて、ポチとハンの前で膝をつきます。

「ご無礼をお許しください――! 宮廷から火急の知らせでございます! 国の北西部で大トウワン山が突然噴火、麓の町や村が炎上しています! また中部では昨日から未曾有(みぞう)の大雨が降り続き、ヒークー川が氾濫、川下が洪水に見舞われております!」

「なんと! 一度にそれだけの災害が!?」

 とハンが驚きました。その反応で、ポチも被害の大きさを知ります。

 そこへ、後を追うように社殿の大僧正も礼拝堂にやってきました。紫の衣をひるがえしながら駆けつけ、ポチたちに言います。

「たった今、この社殿にユウライ殿の使者がやってきましたぞ! 国のあちこちで大災害が起きている、ふさわしくない者が皇帝の座に就いていることに、神竜が怒っているのだから、降竜の儀を公に行うように――と言ってきております!」

「やはり来たか」

 とハンは深刻な表情になり、ポチの肩へぐっと両手をかけました。身長では竜子帝のポチのほうが上なのですが、ハンは力強い大きな手をしています。

「もう一度申し上げます。今すぐリンメイを尼寺へやって、神竜をお呼び出しください! ユウライ殿はリンメイを口実に、竜子帝は皇帝にふさわしくないと言っているのです! このままでは本当に竜子帝が皇帝の座から――」

 

 ガターン、と礼拝殿の扉の外から物の倒れる音がしました。扉の外に立っていた警備兵たちが、あわててそちらへ駆けていきます。

「ついたてが――!」

「リンメイ様、大丈夫でございますか!?」

 リンメイ!? とポチやハンが驚いて振り向くと、入口に少女が姿を現しました。父に言われて礼拝堂から出たものの、立ち去りかねて近くにいたのです。開け放した入口から、人々のやりとりはすっかり聞こえていました。真っ青になって、震えながら言います。

「私のせいなの……? 私がキョンの元に来たから……ずっと、キョンのそばにいたから……それで神竜の怒りを招いたというの……?」

「リンメイ」

 駆け寄ろうとしたポチの前で、リンメイが身をひるがえしました。赤い上着の裾をひらめかせて、あっという間に走り去ってしまいます。激しい泣き声が遠ざかっていきます。

「リンメイ!」

 ポチが後を追いかけようとすると、ハンに引き止められました。

「なりません、竜子帝! リンメイを行かせなさい! あなたにはもっと大きな天命がおありです! リンメイなどにかかずらってはならないのです!」

 ポチは、かっとしました。ハンの手を振り切ってどなり返します。

「そんなことはできない! だって、彼女は――!」

 言いかけてポチは唇をかみ、すぐにハンを残して駆け出しました。リンメイの後を追って礼拝堂を飛び出していきます。

「竜子帝……」

 ハンは目を閉じ、目頭を抑えました。そのまま深い溜息を洩らします。

 

 そこへ、黄色い服を着た男が突然姿を現しました。

「ハン殿、各地に天災が生じているのであれば、術師たちを急いで向かわせねばなりませんぞ。指示を願います」

 術師のラクでした。ハンはすぐに顔を上げました。後見役は、まだ年若く経験も足りない皇帝の補佐をして、国政の手助けをすることが役目なのです。

「わかった。そちらはラク殿にお任せする。私は飛竜で急ぎ都へ戻り、この騒ぎを抑えよう。ユウライ殿の目的はわかっている。竜子帝が神竜を呼び出せないと踏んで、人々の前で降竜の儀を行わせ、竜子帝を皇帝の座から引きずり下ろそうとしているのだ。そうはさせぬ」

「お気をつけて、ハン殿。此度の噴火と大水には術の匂いがしています。皇帝の座を奪うために、ユウライ殿がなりふり構わず仕掛けてきたのかもしれません」

「承知した。ラク殿こそ気をつけて。大僧正、帝をよろしくお願いしますぞ」

 ハンは礼拝堂を出ました。泣いて飛び出していった娘も、その後を追った皇帝も、付近には見当たりません。ハンはもう一度大きな溜息をつくと、宮廷のある都へ戻るために、急ぎ足で歩き出しました。

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