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第14巻「竜の棲む国の戦い」

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43.小川

 占神の館の中庭には小川がありました。木々が重なり合って木陰を作る下を、澄んだ水がさらさらと音を立てて流れていきます。その岸辺に、竜子帝はぽつんと座り込んでいました。流れが緩い川岸の水に犬の自分を映して、じっと見つめています。

 すると、屋敷のほうからフルートがやってきました。竜子帝を見つけて歩み寄ると、声をかけます。

「ゼンとメールが竜仙郷の見物に行くって言っているよ。君も行かない?」

 いつの頃からか、フルートは竜子帝に対して対等な口調で話すようになっていました。友だちに対する話し方です。

 竜子帝は顔をそむけて、フルートとは反対のほうを向きました。

「朕は行かぬ。勝手に行ってくればいい」

 拗ねたような言い方は相変わらずです。

 

 フルートは立ち去る代わりに、竜子帝の隣に腰を下ろしました。鎧兜を脱いで身軽になった姿に朝日が降りそそぎ、少し癖のある金髪を輝かせています。本当に、これが勇者なのかと思うような、優しげな姿と雰囲気の少年です。穏やかにまた話しかけてきます。

「さっき占神たちが言っていたことだけどさ……君はやっぱり、本当に皇帝の子どもなんだと思うよ。占神たちは、暗にそう言っていたもの。あの人たちは優秀な占者なんだろう? だったら、間違いはないと思うな」

 竜子帝はすぐには何も言いませんでした。流れる水と、その上で光るさざ波を見るふりをして、やがて、こう言います。

「おまえたちは本当におかしな奴らだ」

 フルートは目を丸くしました。

「どうして?」

「そなたたちの犬を救い出せれば、それで良いはずではないか。何故そんなに朕のことを気にする。朕に恩を売っておいて、来たる闇の戦いの時にユラサイの協力を取り付けようというのか? あいにくだが、朕は本当に皇帝などではないのだ。そんなことをしても、結局は無駄骨――」

 言いかけて、竜子帝は、キャン、と悲鳴を上げました。フルートがいきなり片手で竜子帝の首を捕まえ、ぐいと抑え込んだからです。竜子帝は地面に押しつけられてもがきましたが、フルートは見た目によらず力が強くて、はねのけることができません。

 すると、フルートが言いました。

「そんなことのために心配してるんじゃない! ポチの体が心配で言ってるんでもない! 友だちを気にかけるのは当たり前のことだ。他に理由なんかない!」

 ひどく怒った声でした。竜子帝はさらにもがきましたが、どうしても抜け出すことができなくて、とうとう地面にうずくまってしまいました。小さな体が震え出します。

 

 フルートは力を抜くと、ぽん、と竜子帝の背中を一つたたいてから手を放しました。座り込んだ恰好で片膝を抱えて、話し出します。

「確かに、闇との決戦の時にユラサイがまた味方になってくれたら、心強いだろうと思うよ。ユラサイは大きいし、不思議な力に充ちているからね……。だけど、ぼくはできれば、決戦なんかしないで闇の竜を倒したいと考えてるんだ。戦えば傷つく人は必ず出てくる。死ぬ人だって出る。それが戦いだ、その犠牲の上に平和や正義が守られるんだ、と言われたって、やっぱりぼくは嫌なんだ。だから、闇の竜を倒す方法を探している。どうすればいいのかは、まだわからない。いや……本当はたった一つだけ方法はわかっているんだけど、それを使うわけにはいかないんだ。ぼくたちは別の道を探している。何が正しくて、何が必要なのか、それさえもわからないから、そんなことは考えないようにしている。ただ、自分たちのやりたいことを全力でやるのさ。そうすれば、思いもよらないところから、道は拓けてくるかもしれないから」

 一気にそんなことを言って、フルートは竜子帝を見つめました。まっすぐなまなざしが、皇帝の瞳をのぞき込みます。

 竜子帝は思わずまた目をそらしました。

「意味がよくわからんな――。闇を倒す方法がわかっているならば、何故それをせぬ。ぐずぐずしている間にも、闇は人々を苦しめるのだろう?」

 今度はフルートがすぐには返事をしませんでした。竜子帝が思わず振り向くと、フルートは立てた片膝に顎を載せて、じっと唇をかんでいました。その表情が痛みでもこらえているようで、竜子帝はとまどいました。

「わかってる……。だけど、そうするわけにはいかないんだ。だって、約束しているから……」

 ひとりごとのようにフルートは言いました。目を閉じて、つらそうにまた唇をかみます。

 

 けれども、フルートはすぐに目を開けて、何事もなかったように話し続けました。

「ユラサイの皇帝が呼ぶ神竜のことだけれどね、やっぱり契約で呼び出されてくる聖獣なんだと思うんだ。契約には必ず何か条件がある。正当な皇帝であること以外にも、まだ充たされていない条件があるんだよ。だから、君には神竜が呼べないんだ」

 なんだかはぐらかすような話の持って行き方でしたが、竜子帝はかっとしました。いきなり自分の痛いところへ踏み込まれて、ほえるように言います。

「そんなはずはない! 朕が呼べないのはただ、朕に皇帝の血が流れていないからだ! 気休めなど必要ない!」

「気休めなんかじゃないよ。ぼくは今まで何度も聖獣が契約で呼び出されてくるところを見てきたんだ。――呼び出す者の命や体が必要なこともあったけれど、君の場合はそうじゃないと思う。そんなことをしたら、皇帝が死んでしまって、国を守ることができなくなるからね。何か他のものが必要なんだ」

 フルートは熱心に言いましたが、竜子帝は耳を貸そうとしませんでした。怒ったまま、小川を渡って向こう側へ行こうとします。

 ところが、その途中で竜子帝は足を止めました。足を濡らして流れていく水を見ながら言います。

「いっそ、命が必要だったら良かったのだ……。神竜を呼び出して朕が皇帝であることを証明できるなら、この命など惜しくはないのに」

 フルートはびっくりしました。竜子帝が本気でそう言っているのだとわかったからです。どうしてそんなことを? と尋ねると、犬の皇帝は溜息をつきました。

「ハンが――」

 と、こちらもひとりごとのように話します。

「ハンだけが、朕を皇帝だと信じて疑わぬ……。どれほど人々が反対しても、朕こそが正当な皇帝なのだと言い続ける。朕は自分が皇帝でなくても本当はかまわないのだ。どうせ、生まれたときから、皇帝になるなどとは思われてこなかったのだから。ただ、ハンにだけは応えてやりたい気がする。一度だけでいい。ハンの前で神竜を呼び出し、そなたの信じていたとおり、朕は皇帝だったのだ、と言ってやることができたら、次の瞬間、朕の命が奪われたとしても、朕は後悔などしないのに」

 フルートは何も言えなくなりました。竜子帝のハンへの想いが、ありありと伝わってきます。それは、切ないほどの思いやりと愛情でした。まるで、父や祖父に対するような……。

 

 そうか、とフルートは心でつぶやきました。竜子帝が神竜を呼び出せないでいる理由に思い当たったのです。

 けれども、フルートはそれを口にしませんでした。占神も言っていたとおり、それは竜子帝自身が、自分の力で見つけなければならないことだったのです。

 フルートは黙って竜子帝を見守り続けました。小川の中にたたずんで流れを見つめる皇帝は、その優しいまなざしに気がつきませんでした――。

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