明け方が近づいて空が白み始めた頃、ロウガが飛竜の速度を落として花鳥に並びました。鳥の背に乗った少年少女たちに話しかけてきます。
「そら、見えてきたぞ。あれが竜仙郷だ」
と指さした彼方に、険しい山に囲まれた里がありました。中央に大きな湖があり、空を映して鈍い銀色に光っています。小さな家々が湖の周りを囲むように建っています。
ポポロが驚いて声を上げました。
「見えなかった……! ここに来るまで、あの村が見えなかったわ!」
ポポロはずっと行く手を透視していたのですが、魔法使いの目では竜仙郷を見つけることができなかったのです。
ああ、とロウガは言いました。
「術で竜仙郷を見ようとしていたのか? そりゃ無理だ。竜仙郷は大きな術で隠された里だから、実際にそばまで行かなきゃ見えないんだ。里を囲む山は険しいから、歩いて里に行くこともまず不可能だし、飛竜に乗らなきゃ絶対竜仙郷にはたどり着けない」
「飛竜には竜仙郷のある場所がわかるんですか?」
とフルートは尋ねました。ごく普通の声です。ロウガや竜仙郷を疑い続けているのですが、そんなそぶりはまったく出しません。
「そうだ。飛竜は竜仙郷で生まれ育っているから、どこからでも故郷に飛んで帰ってくることができるんだ。まだ夜明け前だから、みんな寝ているだろうが、占神だけは訪ねても大丈夫だ。すぐ占神のところへ連れていってやるよ」
そんなことを話すロウガは、親切な部類の人間に見えます。それが本心からなのか、彼らをだまして罠にはめようとしているのか、フルートたちには、やっぱり見極めることができません――。
やがて、彼らは竜仙郷にたどり着きました。高度を下げて湖の岸に舞い下ります。
ロウガは竜から飛び下りると、荷袋をおろし、ぽん、と竜の首をたたきました。
「よぉし、飯にしてきていいぞ、タキラ」
飛竜が一声鳴いて湖に入っていきました。飛竜に前足はありませんが、長い首を水中に突っ込んで、すぐにまた持ち上げます。その口にはぴちぴちと動く魚がくわえられていました。この湖は飛竜の餌場なのです。
メールは手を振って花鳥を花に戻しました。湖の岸辺が一面の花畑に変わります。
「たっぷり水を飲んで休んでおいで」
とメールは花に話しかけ、誰にも聞こえないくらいの声で、そっと付け足しました。
「すぐに戦ってもらうことになるかもしれないからさ……」
ロウガが大きな荷袋を担いで手招きしました。
「来い。占神の家はこっちだ」
フルートたちは密かに緊張しながら歩き出しました。
夜明け前の村はまだ寝静まっていました。まっすぐに伸びた道に沿って、たくさんの家が軒を連ねています。まだ薄暗いのですが、どの家にも赤く塗られた屋根と柱があり、入り口の戸に鮮やかな絵が描かれているのが見えました。いかにも異国風のたたずまいです。
「竜仙郷にはどのくらいの人が住んでいるんですか?」
とフルートはまたロウガに尋ねました。家並みは通りに沿ってずっと続いています。
「そうだな、六、七千人というところか。竜仙郷は人より竜のほうが数が多いんだ」
とロウガが答え、横道へとまた手招きしました。
「こっちだ」
と袋小路へ彼らを連れていきます。
ゼンはそっとあたりへ目を配りました。物陰から彼らを狙っているような気配はありませんし、首筋に刺すような虫の知らせも感じません。それでもゼンは何かあれば即座に応戦できる構えでいました。そのすぐ後ろではポポロが自分の右手を左手で握りしめています。強力な攻撃を放てる魔法の手です。夜明け前ですが、魔法はまだもうひとつ残っているのです――。
袋小路は途中から家がなくなって石塀になり、大きな門の前で行き止まりになりました。赤い屋根をかけた扉が閉じています。その扉も朱塗りで、大きな竜の絵が金の顔料で描かれていました。
フルートがそれを見上げて言いました。
「この門……ポチたちがいる寺院とよく似ているな。あそこにもこんな竜の絵があった」
「ユラサイを守る神竜の絵だ。この絵を扉に描けるのは、神竜に仕える社殿と、皇族と、竜仙郷の占神だけなのだ」
と竜子帝が答えました。その神竜を竜子帝は社殿で呼び出そうとしていたのですが、この時にはそれ以上のことは話そうとしませんでした。
「戸をたたけばいいわけ?」
とメールが尋ねると、ロウガが笑いました。
「いや。ちょっと待っていろ――」
そのことばが終わらないうちに、彼らの目の前で扉が開きました。来客に自分から開いたように見えましたが、扉が開き終わると、その陰から小柄な老人が姿を現しました。
「来たな、ロウガ。占神が待っておるぞ。早う入れ」
男はフルートたちを振り返って、また笑って見せました。
「な? 占神には俺たちがいつ来るのかお見通しだ。だから、約束も呼び出しも必要ないんだよ」
老人が全員を門の内側へ引き入れ、先に立って歩き出しました。黄色い地に赤い糸で竜や雲を刺繍した上着を着て、同じ色のズボンをはき、房のついた帯を締めています。頭は半ば禿げていて、残った髪は雪の色をしていました。小柄なポポロよりもっと背が低いのですが、何故だか不思議な存在感があります。
すると、老人が急に一行を振り向いて言いました。
「そんなに殺気立つもんじゃない。屋敷の竜たちが落ち着かなくなるわい。わしらも占神もおまえたちには何もせんから、安心せい」
フルートたちは、思わずどきりとして足を止めました。老人は低い位置から見透かすような目で彼らを見ています。
ロウガが驚いた顔をしました。
「なんだ、俺は疑われていたのか!?」
「目一杯な。相変わらず食魔以外の気配には鈍感じゃのう、ロウガ」
「悪かったな」
男は憮然としました。そうすると、傷のある強面が妙に若くなります。実際、彼はまだ若いのです。二十三歳になったばかりでした。
すみません、とフルートは素直に謝りました。
「あなたたちが本当に味方かどうかわからなかったんです。ぼくたちは、とても大事な人を守っているから」
「その犬にされた竜子帝のことだろう。そりゃ帝が一緒なんだから、用心するのはわかるが、だからってこの俺を――」
「皇帝だからじゃありません」
とフルートはロウガのことばをさえぎりました。自分よりずっと背が高い男を見上げて続けます。
「竜子帝はぼくらの友だちだからです。友だちを危険な目に遭わせるわけにはいきません」
穏やかでも揺らぐことのない声――いつものあのフルートの口調です。ゼンが、ふん、と笑って腕を組みました。メールはにやりと笑い、ポポロもほほえみます。彼らは、犬の竜子帝を囲んで立っていました。どの方向から竜子帝を襲われても応戦できる体勢です。
竜子帝だけが、思いがけずフルートから友だちと言われて、面食らっていました。きょろきょろと彼らを見回してしまいます。
老人は楽しそうに笑いました。
「いい友だちを持っているようじゃのう、竜子帝。どれ、来なされ。占神が待ちかねておる」
と、また先に立って歩き始めます。
「ち、朕は別に友だちだなどとは……」
竜子帝はそう言いかけて、そのまま口ごもってしまいました。なんだか急に何も言えなくなってしまったのです。嬉しいような恥ずかしいような、不思議な感情が湧き上がってきて、自分でそれにとまどいます。
老人の案内で、一行は奥の建物へと向かいました――。