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第14巻「竜の棲む国の戦い」

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30.怒り

 ポチが目を開けると、少女が真上からのぞき込んでいました。リンメイです。ポチと目が合うと、にっこり笑って見せます。

「目が覚めた、キョン? よく寝ていたわね」

 ポチは体を起こしてあたりを見回しました。そこは社殿の礼拝堂の中でした。ポチは長椅子にリンメイと並んで座り、彼女の膝を枕にして眠っていたのです。目の前には文机があって、読みかけの歴史書が広げられています。

「ごめん。居眠りしちゃったんだな」

 とポチはリンメイに謝りました。これが本物の少年だったら、彼女に膝枕してもらっていたことに照れたのでしょうが、なにしろ中身は小犬のポチなので、そのことに関してはどうということも感じません。膝枕なら、ポポロやメールにも数え切れないほどやってもらっています。

 リンメイが笑顔のままで言いました。

「ずいぶん一生懸命歴史書を読んだから、疲れたのね。でも、だいぶ文字を思い出してきたんじゃない?」

「君のおかげでね」

 とポチは答えました。

 そう、ポチはユラサイ文字が読めるようになってきていたのです。文字の一つ一つが、音ではなく意味を表しているのだ、と気がついた瞬間に、読み方が理解できました。ユラサイ文字はちょうど絵文字のようなものでした。文字自体が意味を持っていて、それを並べることで文章になっているのです。それさえわかれば、あとは、文字一つずつの意味を覚えるだけのことでした。

 

 ポチは目の前の巻物を眺めながら言いました。

「ユラサイは本当に歴史のある国だよね……。あ、ええと……改めてそう思ったよ。建国前の出来事から、こうしてちゃんと記録に残っていて、それが今にまで伝えられているんだから。すごいことだよね」

 ポチたちがよく知っているロムドやエスタ、ザカラスも、中央大陸では古い国々なのですが、ユラサイにはかないませんでした。書物の形で残っている歴史は、ロムドならば、せいぜい五百年というところで、それ以前のことはよくわからないのです。

 すると、リンメイがまた笑いました。

「キョンったら、本当に別人になったみたいね。歴史なんか必要ない、死んでいった連中のやったことなんか学んでどうする、って、ずっと言っていたのに。でも、いいことだと思うわよ。私たちは祖先が作ってくれた道を先に進めているんですもの。先人が何をしてこんな世界を作ってきたのか知らなかったら、きっと正しい方向へは進めないものね」

 そう話す少女の顔には、祖国とその歴史を誇らしく思う気持ちが表れていました。

 ポチは、うん、とうなずくと、ふと気がついて尋ねました。

「今は? 何時頃?」

「もうとっくに昼を回っているわよ。大僧正や父上がキョンを昼食に呼びに来たけれど、あなたがよく寝ていたから、目が覚めたら食堂に来るように言って戻っていったわ」

「え、もうそんな時間? じゃ、君の昼食は?」

「もちろん、まだよ」

 ポチはいろいろな意味であわてました。急いでリンメイに言います。

「食べてきていいよ。ぼく――朕もすぐに食堂に行くから」

「あら、行くなら一緒に行きましょう。護衛が必要よ」

「外にいる衛兵がついてきてくれるよ。いいから食べてきて。ちょっとやらなくちゃいけないこともあるんだ」

 何をするの? と言いたそうにリンメイは首をかしげましたが、ポチが答えなかったので、すぐに立ち上がりました。

「わかったわ。急いで食事をしたらまた戻ってくるから、気をつけるのよ、キョン」

「大丈夫だよ」

 ポチが笑って見せたので、リンメイも笑い返して礼拝堂を出て行きました。入口の大きな扉が閉まります――。

 

 ポチは大あわてで礼拝堂の隅へ飛んでいきました。そこにはルルがうずくまっていました。前足に頭を載せて、壁の方を向いています。

「ルル! ルル、起きてますか!?」

 とポチは尋ねました。雌犬は眠ってしまっているように、身動き一つしなかったのです。ところが、ポチがその顔をのぞき込もうとすると、返事がありました。

「起きてるわよ。何の用?」

 ポチは思わず首をすくめました。ルルの声は「超」がつくほど不機嫌だったのです。

「す、すみません――。ルルも昼食はまだなんですよね? 待たせてごめんなさい。それと――フルートたちと連絡はつきましたか?」

 とたんにルルが跳ね起きました。ポチに向かってガウッと牙をむいて見せます。

「どうやって連絡できるっていうのよ!? ずっとあの子がいたっていうのに! ポポロが心配して何度も呼んでくれていたけど、全然返事ができなかったわよ!」

 腹を立てている真の理由は別のところにあったのですが、ルルはそんな言い方をしました。どっちにしても本当に怒っていて、ポチをどなりつけずにはいられなかったのです。

 ポチはますます首をすくめて、何度も謝りました。

「すみません。本当にすみません。ついユラサイの歴史書に夢中になっちゃったから……。ルル、お願いです。ポポロを呼んでください。フルートに伝えたいことがあるんですよ」

 ポチはルルに対してとても丁寧な口調で話していました。それは今まで通りのことなのですが、リンメイに対してはもっと砕けた調子で話しているのを聞いていたので、ルルにはそれも面白くありませんでした。どうして差別をするのよ!? と、またどなりつけようとします。

 ところが、そのとたん、ルルは思い出してしまいました。ポチはルルにも、そんなふうに砕けた口調を使った時期があったのです。「なになにですね」ではなく「なになにだね」、「すみません」の代わりに「ごめん」と。そんなポチに、ルルは言ってしまいました。「あなたったら、最近生意気なしゃべり方になってきたわね」――本当に生意気だと思っていたわけではありません。ただ、ポチがなんだか急に大人になった気がして、ついからかいたくなっただけなのです。けれども、ポチは犬の顔で苦笑すると、それ以降、ぴたりとそういう話し方をしなくなりました。ルルに対しては丁寧な口調に戻り、そして、自分からルルに話しかけることも、めったにしなくなってしまったのです……。

 ルルは何故だかひどく後ろめたい気分になりました。それ以上怒ることができなくなって、ポチから、つんと顔をそらすと、そっけなく言います。

「わかったわよ。連絡を取ればいいんでしょう――」

 

 ところが、いくらルルが呼びかけても、ポポロから返事はありませんでした。

 ルルは首をかしげました。

「変ね……。ポポロも放っておかれて怒っちゃったのかしら」

 そんなふうに言ってしまってから、自分で腹を立てます。もう、私ったら何を言ってるのよ! 私が怒ってるのは、放っておかれたからじゃなくて――

 けれども、ポチはルルのことばを聞いていませんでした。ひどく真剣な顔で考え込んで言います。

「フルートたちのことだもの。ぼくらが丸一日以上連絡をしないでいたら、絶対に心配してるはずだ。それなのに、こっちから呼びかけても返事をしないとなると、何か起きているのかもしれない。――ルル、どうしても連絡は取れませんか? 何か向こうの気配だけでもつかめませんか?」

 ポチの読みの通り、この時、フルートたちは虎人や大水を呼ぶ共工と苦戦の真っ最中でした。ポポロにはルルの呼びかけに気がつく余裕がなかったのです。ルルにその様子を見通すことはできませんでしたが、やはり、ひどく心配になってきました。もう一度、もっと強く呼びかけます。

「ポポロ! ポポロったら! どうしたの? 何かあったの!?」

 やはり返事はありません。

 ポチとルルは顔を見合わせました。不安が確信に変わっていきます。間違いありません。フルートたちに何か事件が起きているのです。

 ポチが言いました。

「ルル、行ってください! 風の犬になってフルートたちのところへ飛んでいって!」

 でも、とルルは迷いました。そうなれば、ポチ一人をこの社殿に残していくことになります。それに、ルルにはフルートたちがいる場所もわからないのです。

「ぼくなら大丈夫ですったら――! この国の術師は光の魔法とは全然違う魔法を使ってくるから、ポポロでも危ないかもしれないんだ! フルートたちは南西に向かったから、そっちへ飛べばきっと見つかります!」

 ポチは駆け出しました。守りの術に包まれた社殿の中からでは、風の犬でも外に出ることはできません。なんとかしてルルを社殿の外に出さなくてはなりませんでした。

 ルルもつられて駆け出しましたが、急に耳をぴくっと動かして立ち止まりました。外から悲鳴が聞こえたのです。鋭い恐怖の叫びが耳を打ちます。

 それは、リンメイの声でした――。

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