読書は次の日も続けられました。なんと、ポチは降竜の儀を行う礼拝堂にもリンメイを招き入れたのです。
女人禁制の礼拝堂です。当然大僧正は猛反対をしたし、後見役のハンも非常に心配しましたが、ポチは絶対に譲りませんでした。竜子帝が強い態度で言い張れば、どんな希望でもたいてい通ってしまうことに、ポチは気づいていたのです。とうとう大僧正は怒って社殿の奥へ引っ込んでしまい、ハンも渋々引き下がって、礼拝堂にはポチとリンメイ、そしてルルだけが残りました。
他に人がいなければ、ポチも思う存分質問することができます。歴史書を読むリンメイをしょっちゅう止めて尋ねました。
「この文字は何? 何と読むの?」
「この字は? さっきの字に形が似ているけれど、違う文字なのかな?」
リンメイはポチが字を忘れたのだと思い込んでいるので、そんな質問に一つずつ丁寧に答えてくれました。
「これは日よ。こっちは目……。似ているけれど、全然違う文字だわ。『この日を境に、人々は邪悪な生き物を目にするようになった。』と書いてあるのよ」
「邪悪な生き物というのは?」
「怪物ね。それまでこの地にいなかったような凶暴な怪物が、西から次々に入り込んできたのよ。村や町を襲って、人々にひどい被害を与えたらしいわ」
竜子帝は勉強や書物を嫌ったようですが、ポチにとってはユラサイの歴史書は知識の宝庫でした。読んでもらうだけで、いろいろなことがわかってきます。ユラサイはロムドやエスタ、ザカラスといった中央大陸の国々より歴史が古く、文化も発達していたので、年号についても書物の中にしっかり残っていました。今、読んでもらっているのは、今からおよそ二千年前の、ユラサイ国が成立するあたりの出来事でした。
リンメイは歴史書を読み続けていました。
「『王であった琥珀帝(こはくてい)はこれらの生き物の侵入を防ぐために、術師たちを集めて西方に長大な防壁を築き、南北と中央に砦(とりで)を作った。その中でも南の砦は最も大きく、ここが邪悪な敵を防ぐための拠点になった。砦はユウライ砦(さい)と呼ばれていたので、後にこれがこの国の名前となった――』」
「ユウライ砦? それがユラサイの名前の元になったの?」
とポチが尋ねると、リンメイは今度はちょっとあきれた顔をしました。
「本当に忘れてしまってるのね、キョン。そんなことは小さな子どもでさえ知っているのに……。ユウライは天の使いの名前よ。あなたの叔父上には同じ名前をつけた人がいるわ。それは覚えている?」
覚えているわけがありません。ポチは首を振りました。
リンメイは溜息をつくと、巻物を少し先に進めました。
「なんだか、忘れてしまったと言うより、最初から全然知らないみたいよね。ここにユウライの説明があるから、読むわよ――。『天には大神がいて、人民を助けるためにさまざまな使いを地上へよこした。ユウライはその中でも特に力のある使いで、邪悪な生き物を防ぐための術を人々に与え、また西方から援軍を呼んだ。西方の人々もまたユウライを深く信仰していたので、ユウライの力によって互いに話ができるようになった』」
え? とポチは思わず巻物を見直しました。リンメイは、書物のポチが一番知りたかった場所を読んでいました。ユラサイ文字の中にたった一カ所、中央文字で「ユリスナイ」と書いてあった部分です。そこを、彼女はさらりと「ユウライ」と読み上げたのです。
「ま、待って、リンメイ――この文字――今、ユウライって読んだ?」
「ああ、それはユウライよ。西方の人々はそんなふうに書いたんですって」
とリンメイが答えます。
ポチは驚きました。間違いありません。「ユリスナイ」と書かれた中央文字は、ユラサイでは「ユウライ」になるのです。つまり、ユリスナイとユウライは、実は同じことばだったのです。
ということは? とポチは考え続けました。
ユウライがユリスナイならば、ユウライ砦はユリスナイの砦だし、ユラサイはユリスナイの砦がある国、という意味になります。ユウライ砦が作られたのは、今から二千年ほど前のこと――地上で二度目の光と闇の戦いが起き、初代の金の石の勇者が光の軍勢を率いてデビルドラゴンと戦った時期に一致します。
しばらく考え込んでから、ポチは一つの結論に達しました。
光の女神ユリスナイの名前を持つユウライ砦は、きっと、デビルドラゴンと戦うための、光の軍勢の拠点だったのです。西から侵入してきた怪物というのは、デビルドラゴンが率いる闇の軍勢のことでしょう。それを追って西から光の軍勢がやってきて、ユウライ砦でユラサイの人々と一緒に戦ったのです。
この光と闇の戦いの後、デビルドラゴンは敗れて幽閉されました。今、フルートたちが戦っているデビルドラゴンは、影だけの存在で、本体はまだ世界の最果てにあります。どうやったんだろう? とポチは考え続けました。二千年前の戦いの様子がわかれば、闇の竜を再び倒す方法もわかるかもしれません。
フルートが光にならなくてもすむ「別の道」が、見つかるかもしれないのです――。
ポチはリンメイに尋ねました。
「その――ユウライ砦の戦いはどんなふうに決着したの? どうやって敵に勝ったんだろう?」
夢中になるあまり、いつものポチの口調に戻ってしまっていましたが、それにも気がつかないほどでした。リンメイが怪訝(けげん)そうな顔をします。
「どうしてそんなことに興味を持つの? ユウライ砦や西の長壁はとても守りが堅かったから、皆で戦って敵を追い返したに決まっているわ。この書にもそんなことは特に書かれていないわよ」
書かれていない? とポチはまた驚きました。二千年前の光と闇の戦いは、実に九十年間も続いた、長く激しい戦いです。天空の民の呼びかけで地上のすべての種族が光の連合軍を作り、その中に初代の金の石の勇者が現れ、デビルドラゴンや闇の軍勢を追い詰め――そして、願い石の力に負けて自滅していきました。その後、光の軍勢は金の石の勇者なしでデビルドラゴンを捕らえて、世界の果てに幽閉したのです。そんな重要な戦いの結末を、歴史書が何も語っていないはずはありません。
「きっと書いてあるよ! 早く続きを読んで!」
「本当に何も書いていないのよ。この後は、ユラサイ国の初代皇帝の琥珀帝の話になっていってしまうから――」
リンメイがとまどいながら答えます。
ポチはじれったさに歯ぎしりしました。地上に光と闇の戦いの記録はほとんどありません。書物にも伝承にも残っていません。地上の生き物を全滅させるほど激しい戦いだったというのに、本当に、驚くほど人々は戦いのことを覚えていないのです。
きっと事実が隠されているんだろう、とポチはずっと考えていました。強い魔法が働いて、人々の中から戦いの記憶を消してしまったのです。その魔法をかけたのは、きっとデビルドラゴンです。再びこの世に現れて、今度こそ世界を破滅させるために、自分が敗れたときの記録を世界中から消し去ったのに違いありません。
でも……とポチは考えました。
ほんのわずかですが、ユラサイの歴史書には、光と闇の戦いに関する記述が残っていました。ユラサイという国の名前にも、戦いの名残が留められています。よく調べれば、どこかにもっと戦いの記録があるかもしれないのです。
歴史書を自分で読みたい! とポチは強く思いました。自分自身で詳しく読んで、他の書物も調べて、いろいろなことを考えれば、デビルドラゴンが倒されたときのことがわかるかもしれません。
「もっと読んでくれ! 朕が字を――思い出せるように! 早く!」
とポチはリンメイを急かしました。ユラサイの文字を覚えよう、とポチは決心したのでした。リンメイが読み上げてくれる歴史書を、今まで以上に熱心に眺め始めます。
同じ礼拝堂の隅に、ルルは黙ってうずくまっていました。今日は寝たふりさえしないで、じっとポチを見つめ続けます。
リンメイがいるので、ルルはポチに話しかけられません。遠くにいるポポロと連絡を取り合うこともできません。これで本当にいいと思ってるの――!? ポチと目が合ったら、思いっきり怒った顔をしてやろうと思っているのに、ポチはいっこうにこちらを向きません。リンメイと並んで座り、リンメイが読んでくれる巻物を夢中で見ています。
馬鹿、馬鹿、馬鹿――!!!
ルルは心の中で思いきり悪口を並べ立てると、とうとうそっぽを向いてしまいました。