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第14巻「竜の棲む国の戦い」

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第7章 とまどい

19.危機一髪

 道に落ちていた餌に誘われて籠に閉じこめられた竜子帝は、聞こえてきた子どもの声に、ぞっとしました。久しぶりに肉が食べられる、と言っています。肉というのは、犬になっている竜子帝のことに違いありません。

 竜子帝はあわてて籠に体当たりしました。目の詰まった重い籠でしたが、何度も繰り返していると、ようやく一カ所が浮き上がりました。光が差し込んでくる隙間へと突進します。

 すると、いきなり頭に衝撃を食らいました。籠の外で待ちかまえていた子どもが、竜子帝を棒で殴ったのです。激しい痛みと目眩に、竜子帝は気が遠くなっていきました――。

 

 次に目を覚ましたとき、竜子帝は家の中にいました。土間になった部屋の中で、四本の脚を縄で縛られて、天井から吊り下げられています。朕に何をする!? と叫ぼうとしましたが、声が出ませんでした。口も縄で縛り上げられていたのです。

 縄から抜け出そうと空中でもがいていると、子どもの声がしました。

「犬が目を覚ましちゃったよ、お母ちゃん。もう一度殴ろうか?」

「いいよ、このままにしておきな。どうせ逃げられやしないんだから」

 と大人の女の声が答えます。下を見ると、三人の子どもとその母親がいました。子どもたちが口々に言います。

「早く、お母ちゃん。早く食べようよ」

「丸焼きにするんだろ?」

「お腹減ったよ。早く食べたいよぉ」

「待ちな。下ごしらえしなくちゃいけないからね」

 と母親が言って包丁を取り出しました。そこは台所だったのです。隅の竈(かまど)にはもう火が焚かれています。

 竜子帝はまた、ぞっとしました。自分を見上げる目は、どれも熱く光っています。おいしそうだ、早く食べたい、と考えているのです。竜子帝はもがき続けました。やめろ、朕を誰だと思っている! おまえたちの皇帝だぞ! そう叫びたいと思うのですが、縛られた口は何も話すことができません。犬そっくりのうなり声が洩れるだけです。

「お母ちゃん、この木桶はなに?」

 と子どもがまた言っていました。吊された竜子帝の下には、たらいのような木桶があります。

「首を切って、ここに血を受けるんだよ。肉なんて次にいつ食べられるかわからないからね。血の一滴だって無駄にはできないんだよ」

 と母親が言って近づいてきます。その手には包丁が光っています。

 やめろ! やめろ! 竜子帝は必死で叫ぼうとしました。やめろ! 朕は皇帝だぞ! 人間なのだぞ! やめろ――! やはりどうしても話せません。泣きたいのに涙も出ません。竜子帝は彼らにはただの犬にしか見えないのです。

 暴れる竜子帝の頭を母親が捕まえました。まだ小犬の体なので、女の手でも簡単に抑えられます。ぐっと頭を下に引いて首をまっすぐにすると、包丁を振り上げます。

 竜子帝は悲鳴を上げようとしました。それでも声は出てきません――。

 

 すると、少女の声がしました。

「レマート」

 とたんに、部屋の中が急に静かになりました。子どもたちや母親の息づかいが聞こえなくなります。刃物の一撃もやって来ません。次に聞こえてきたのは、いくつもの足音でした。竜子帝のそばで誰かが言います。

「危ねえ危ねえ、危機一髪だ。――よし、早く切れ、フルート」

「わかった」

 竜子帝は目を開けました。恐怖のあまり、思わず目をつぶっていたのです。

 母親はまだ自分を捕まえて包丁を振り上げていました。そのまま、生きた彫刻のように、ぴくりとも動かなくなっています。自分を見上げる子どもたちも同様です。

 代わりにゼンが竜子帝の下で腕を広げていました。ゼンは背が低いので、竜子帝に手が届かなかったのです。竜子帝を吊す縄を縛りつけた柱のところには、フルートがいました。銀の剣の一振りで縄を断ち切ると、とたんに竜子帝の体が落ちました。母親の手をすり抜けて、待っていたゼンの腕の中に飛び込みます。

 フルートが部屋の入口を振り向きました。

「いいぞ!」

 そこに立っていたポポロが入り口の戸を大きく開けると、大量の花が飛び込んできました。ざぁぁ……と土砂降りの雨のような音をたてながらフルートたちを巻き上げ、部屋の外へと運び出してしまいます。ゼンに抱かれた竜子帝も一緒です。

 家の外に出ると、花は大きな馬に姿を変えました。待っていたメールが背中に飛び乗ってきます。

 フルートが言いました。

「早く! ポポロの魔法が切れないうちに村から出るぞ!」

「あいよ!」

 メールは馬を走らせ始めました。花馬が一行を乗せて村の路地を駆け抜けます――。

 

 村から遠く離れた場所まで来て、花馬はようやく停まりました。フルートたちが馬を下り、竜子帝の縄をほどきます。

 自由になったとたん、竜子帝は力が抜けてその場にへたり込んでしまいました。もう少しで本当に食べられそうになったのです。恐怖に声も出ませんでした。全身の震えも止めることができません。フルートたちは黙ってそれを見ていました。そらみろ、言わんこっちゃない、とあざ笑っているのに違いありません……。

 すると、竜子帝の背中を撫でてくれた手がありました。

「本当に怖かったね。でも、もう大丈夫だよ」

 竜子帝は驚いて見上げました。彼を撫でてくれていたのは、ポポロではなくフルートでした。少女のような顔でほほえみながら、優しく話しかけてきます。

「このあたりは飢饉に襲われて、食べる物が充分にないみたいだ。また捕まってしまうから、村には近寄らないほうがいい。もう、ぼくたちから離れないで」

「腹が減れば、犬でもなんでも食われちまうからな。あの親子も飢え死にしないように必死だったんだろうよ。あそこには代わりに昨夜の夕飯の残りを置いてきてやった。家族四人には足りないだろうが、犬を食うよりはうまいはずだぜ」

 とゼンも言います。やっぱり、勝手に離れていった竜子帝を一言も叱りません。

「ねえ、竜子帝も食事しなくちゃいけないだろ。昨日から何も食べてないんだからさ。なんか残ってるのかい?」

 とメールが尋ねたので、ゼンは口を尖らせました。

「馬鹿やろ。いくらなんでも俺たちの食料全部を置いてこれるか。どこか涼しいところを見つけて朝飯にしようぜ」

「もう少しの辛抱だよ」

 とフルートが言って、また竜子帝を抱き上げました。その拍子に、そばにいたポポロが竜子帝の視界に入りました。涙ぐんだまま安心したようにほほえんでいます。

 竜子帝は何も言えませんでした。全身の震えもいつの間にか停まっていました。

 フルートに抱かれて馬に揺られている間、小犬の皇帝は一言も口をききませんでした――。

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