翌日、フルートたちは竜仙郷へ出発しました。巨大な花鳥が全員を乗せて、夜明けの空へ舞い上がります。
とても静かな朝ですが、花鳥の上だけは賑やかでした。ゼンが竜子帝に向かってどなっていたからです。
「いいかげん飯を食えって言ってるだろうが! 飢え死にするつもりか!」
「いらぬ。朕は下賤なものは食せぬ」
と小犬の皇帝が頑固に言い張ります。
「何が下賤だ! 皇帝だろうが何だろうが、食わなきゃ死んじまうんだぞ! そら、干し肉だ! とっとと食え!」
「いらぬと言っている。そんな干からびた肉は朕の口に合わん」
「この馬鹿皇帝――! 贅沢ぬかしてんじゃねえ!」
ゼンが無理やり食べさせようとしたので、竜子帝は怒りました。口に突っ込まれた干し肉を、頭を振って吐き出します。とたんに干し肉は風に吹き飛ばされて、空を落ちていってしまいました。
「こンの野郎……!」
腹を立てたゼンが竜子帝を捕まえ、さらに怒った竜子帝がゼンの手にかみつき返します。危なく大喧嘩になりかけた二人を、仲間たちが引き離しました。
「ちょっと、ゼンったら。無理強いはダメだよ!」
「竜子帝、落ち着いて! あまり暴れると、また花鳥から落ちますよ!」
ゼンを抑えるメールと、竜子帝を抱きかかえるフルートの間で、ポポロがおろおろしています。
竜子帝がうなり続けているので、フルートは溜息をついて話しかけました。
「どうしても食べたくないなら、無理に食べることはないですよ……。ただ、ポチは体が小さいから、長い間食べずにいると、すぐに弱ってしまうんです。ポチの体が弱ると、あなた自身の命も危なくなりますよ」
「人間に戻ったら、いくらでも食事をしてやる。朕の心配など無用だ」
と竜子帝が答えると、とたんにゼンがまたどなりました。
「てめぇ、ポチを殺す気か!? それはポチの体なんだぞ! 飢え死にするなら自分一人で死にやがれ!」
竜子帝も、たちまちむっとした顔になると、フルートの腕から飛び出しました。
「くだらぬ。馬鹿の相手などできぬわ」
と花鳥の尾に近い方へ行ってしまいます。逆上したゼンを、メールとフルートが二人がかりでやっと抑えます。
ポポロは仲間たちと竜子帝を見比べていました。どうしていいのかわからなくて、今にも泣き出しそうになっています。
すると、竜子帝が腹ばいになりました。離れていても、ポポロの目にはその様子がはっきり見えます。犬の皇帝は前足に頭を載せ、苦しそうに顔を歪めて、はあはあと息をしていました。竜子帝は前の日から何も食べていません。空腹がつのっていたのです。それでも歯を食いしばって、そっぽを向き続けます。
ポポロは両手を頬に当てました。花鳥の上には干し肉がもう一枚落ちています。竜子帝からそう遠くない場所ですが、皇帝はそれを見ようともしません。ポポロはしばらく迷ってから肉を拾い上げ、おそるおそる声をかけました。
「あの……竜子帝……」
小犬の皇帝は返事をしません。
ポポロは必死で言い続けました。
「お願いです、竜子帝……食事をしてください……。このままじゃ、竜子帝は死んでしまいます。そうしたら、人間に戻ることができないわ……」
すると、竜子帝がそっけなく言いました。
「そなたたちが気にかけているのは、この犬の体だ。朕を心配するふりなどするな、偽善者どもめ」
今度はポポロが返事をしませんでした。ふん、と竜子帝は冷笑して振り向き、とたんに驚きました。ポポロが大きな瞳を涙でいっぱいにしていたからです。目の縁に盛り上がった涙は、今にもこぼれそうになっています。
「な、何故泣く?」
と竜子帝が尋ねると、ポポロは答えました。
「あたしたちも……ゼンも……あなたがどうでもいいなんて思っていないわ……。それは誤解です……」
蚊の鳴くようなポポロの声ですが、犬になっている竜子帝にははっきり聞き取れました。少女が本気で傷ついて悲しんでいることも、声の調子で伝わってきます。
「こ、こんなことで泣くな、馬鹿者め」
竜子帝はうろたえましたが、ポポロはますます悲しそうになっていきました。ついに大粒の涙がこぼれ始めます。
皇帝は跳ね起きました。
「ええぃ、まったく馬鹿馬鹿しい! 食せば良いのだろう! それをよこせ!」
とポポロに駆け寄り、手に持っていた干し肉を奪い取ってしまいます。とたんに、空っぽの胃袋がぐうっと鳴り、こらえていたものが限界を超えました。肉を食いちぎって、夢中で食べ始めます――。
その様子を見て、ゼンもようやく怒りを収めました。
「ったく。手間取らせやがって」
とぶつぶつ言いながら、荷袋からおかわりの干し肉を取り出します。
すると、竜子帝が食べるのを止めて顔を上げました。嬉しそうに自分を見ている少女に尋ねます。
「そなた、名はなんという?」
「ポポロよ」
と少女が答えました。笑っているのに、宝石のような瞳からは涙がこぼれ続けています。竜子帝はとまどって目をそらしました。
「ポポロか――。わかった、覚えておいてやる」
とぶっきらぼうに言って、また食事を始めます。フルートが、そんな二人の様子をじっと見つめます。
すると、メールが声をかけてきました。
「我慢しなよ、フルート。今はとにかく竜子帝に食べてもらうのが大事なんだからさ」
「そんなのわかってるよ」
とフルートは答えました。少し――いえ、かなり機嫌の悪い声でした。
その後も花鳥は空を飛び続けました。
満腹になった竜子帝は、ポポロの膝に頭を載せて腹ばいになっていました。背中をポポロに撫でられて、気持ちよさそうに目を閉じています。それをフルートがちらちらと眺めていますが、口に出しては何も言いません。
メールは肩をすくめました。いつも本当に穏やかで優しいフルートですが、ポポロに関することになると、周りが驚くほど熱くなることがよくあります。ポポロはポチと同じようなつもりで竜子帝を撫でているのですが、フルートが完全に機嫌を損ねる前にやめさせたほうがいいかもしれないなぁ、と考えます。
すると、花鳥の首の付け根に座っていたゼンが声を上げました。
「おい、空が急に曇ってきやがったぞ」
雲ひとつなかった場所に暗雲が湧き起こって、みるみる空をおおっていきます。一同は顔色を変えました。普通の雲ではありません。
「魔法だ!」
とフルートが言ったとたん、雲の中で稲妻がひらめき出しました。ぴかり、ぴかり、と雲間を青紫に染めます。
「やべえ、来るぞ!」
とゼンがどなり、メールは大急ぎで花鳥の向きを変えました。広がる黒雲から逃げようとします。
そのとたん、雲の中を稲光がまた走りました。次の瞬間、ひときわ明るい光が一同の上に落ちてきます。
バリバリバリッ、ドドドーン……!!!
稲妻が大気を引き裂き、大地を打ちのめして鳴り響きます。
けれども、花鳥は全員を乗せて飛び続けていました。ポポロが片手を高く上げています。その服はいつもの青い乗馬服から、黒い星空の衣に変わっていました。稲妻に直撃された瞬間、魔法で跳ね返したのです。
「また来るぞ! 気をつけろ!」
と言いながら、フルートは首の鎖を引っぱりました。胸当ての中から金のペンダントを出します。ポポロは手を上げ続けていました。次の稲妻も防ごうとします。
すると、まったく思いがけない方向から声がしました。
「これが術師か。意外な姿をしていたな」
一同が、ぎょっと振り向くと、花鳥のすぐ横を一匹の竜が飛んでいました。前足のない翼竜――ワイバーンです。黒い服を着て黒い頭巾をかぶった小男が、竜の背に立っていました。
「魔法使いだわ!」
とポポロは叫びました。圧倒的な魔法の力を感じたのです。差し上げた手を、とっさに男へ向けます。
とたんに男が消えました。翼の竜も一緒です。一同が驚いて見回していると、キーィッと花鳥が鳴きました。メールが叫びます。
「下だよっ!」
巨大な花鳥の真下に翼竜がいました。黒い男が鳥を見上げて何かを投げつけてきます。すると、それは大きな青白い槍に変わりました。まっすぐ空を飛んで、花鳥の腹を貫きます。
そこにはポポロが乗っていました。いきなり下から飛び出してきた槍に黒い衣がちぎれます。
「ポポロ!!」
フルートたちは叫びました。赤いお下げ髪があおられたように躍り、ゆっくりと落ちていきます。それと同時に、ポポロの小柄な体も落ち始めました。槍はポポロが座っていた場所の花を崩したのです。花鳥の体に開いた穴から、ポポロが墜落していきます。
フルートは跳ね起きました。
「あ、馬鹿! フルート!」
ゼンがとっさに手を伸ばしましたが、間に合いませんでした。フルートは花鳥を蹴ると、ポポロが落ちた穴から飛び下りていきました――。