「それで? どうしたと言うの?」
と女は厳しい声で尋ねました。豪華な調度品に囲まれた部屋の中です。女の目の前には黒い服と頭巾の小男がいて、わびるように頭を下げていました。
「そばにいた犬と帝を入れ替えてきました。姿は人でも中身は犬。帝を使い物にならぬようにしろ、というご命令に沿うかと考え――」
「竜子帝は犬になどなっていないわ! 社殿から手の者が知らせてきた! おまえほどの術師が失敗するだなんて、いったいどういうことなの!?」
小男を叱りつけているのは、庭園の離れでユウライに酌をしていたトウカでした。裾の長い薄紅の衣は、襟元が大きく開いていて、白い首と肩が鮮やかにのぞいています。今は目を釣り上げて怒りをあらわにしていますが、そんな表情さえ、とても美しく見えます。
黒い服の術師はまた深く頭を下げました。
「恐れながら、皇后様、術は成功していたのです。念のために、犬になった竜子帝を奪って始末しようとも考えたのですが、それは帝の術師に阻まれました」
男が「皇后」と呼んだので、トウカは少し機嫌を直しました。つん、と顎をそらして言います。
「私はまだ皇帝の后ではないわ。いずれはユウライ様を帝の座につけて、皆にそう呼ばれてみせるけれどね。邪魔をした術師は、先代から宮廷に仕えているラクでしょう。なんとかすることはできないの?」
「いいえ、わしの術を解いたのは、おそらく別の術師です。帝の術師は強力だが、わしの術を解くほどの力は持っていなかった。それは対面すればわかること。誰か別の術師が、皇帝と犬をまた元に戻したのです」
「誰よ、それは!? ラクは宮廷で一番実力のある術師よ。言ってみれば、ユラサイで一番力のある術師だわ。それより強力な術師がいたというの!?」
「社殿を離れた後、社殿で術が発動するのを感じたのです。短い時間でしたが、非常に強力で、あっという間に社殿全体を術で包んでしまった。あれほどの術を使える者がこの国にいたら、噂にならないはずがない。おそらく異国の術師でしょう」
異国の術師! とトウカはまた驚きました。細く美しい眉をひそめて考え込みます。
「その術師はおまえより力が上だというわけね? ユーワン。竜仙郷きっての術師のおまえを上回るなんて、いったいどんな人物だというの」
「あるいは人でさえないのかもしれません。その後、社殿からは不思議な鳥が飛びたちました。あんな鳥を、わしはこれまで見たことがありません」
「どんな鳥よ?」
「翼を広げた姿は三十尺以上。全身が花でできた大鳥です」
「花? 花を生やした鳥だというの?」
「いいえ、すべて花でできた鳥です。あのような生き物を生み出す術など、今まで聞いたこともないのです」
トウカは溜息をもらしました。
「邪魔な話ね。竜子帝はいつの間にそんな味方を見つけていたのかしら。まずそちらを始末しなくちゃいけないわ。――できるわね、ユーワン」
そう言われて、黒い術師はまた一礼しました。顔を隠した頭巾の陰から、笑うように答えます。
「無論です。術で出し抜かれたままでいるなど、わしの矜持(きょうじ)に関わりますからな。花の大鳥を見つけ出して、必ず異国の術師を倒します」
「竜子帝もなんとかしなくちゃいけないわね。帝選びを開かせなくちゃならないんだから。竜子帝の食事に毒が盛られていたらしいけれど、いっそそのまま毒に当たって死んでくれれば良かったのに」
美しい顔で恐ろしいことをつぶやいてから、トウカは改めて術師に言いました。
「竜子帝のほうはこちらでなんとかするわ。おまえは異国の術師を見つけ出して始末なさい」
「承知しました、皇后様」
ユーワンがまたちょっと相手にへつらって、姿を消していきます。
ふふん、とトウカは笑いました。部屋を横切って窓を開けると、とたんに夏の日差しが飛び込んできます。
緑の濃い庭を目を細めて眺めながら、トウカはまたつぶやきました。
「竜仙郷がいつまでもユラサイに従っているなんて思ったら、大間違いよ。私たちは竜の使い手。必ず竜子帝を皇位から引きずり下ろして、このユラサイを手に入れてみせるから――」
部屋の中にいるのは彼女一人きり、庭にも人影はありません。女の物騒なひとりごとを聞きとがめる者は、誰もありませんでした。