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第14巻「竜の棲む国の戦い」

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第4章 夕食

10.夕食・1

 社殿の食堂にポチの夕食が運ばれてきました。煮物、揚げもの、焼きもの、和え物、スープ……おいしそうな料理が所狭しとテーブルに並んでいきます。ポチはたった一人なのに、何十人もが満腹になるまで食べられそうな品数と分量です。

 すると、後見役のハンがポチに声をかけてきました。

「竜子帝、お食事中は犬を食堂の外に出したほうがよろしいのではありませんか?」

 ポチの足下にルルがうずくまっていたのです。とたんに、ウーッとルルがうなります。ポチも急いで言いました。

「だめです。この犬はぼくの――いや、朕の護衛なんだから。それより、この料理」

「料理がお気に召しませんでしょうか?」

 入口に近い場所から、一人の男があわてて尋ねてきました。この社殿の料理長です。竜子帝のために腕をふるって料理したのですが、何か問題があったのだろうか、と心配します。

 ポチは首を振りました。

「いえ、こんなにたくさんの料理は、朕一人で食べるには多すぎます。みんなで一緒に食べませんか?」

 ポチには目的がありました。料理はとてもおいしそうなのですが、ポチには見慣れないものばかりで、どうやって食べるのか見当がつきません。ポチの目の前には二本の木の棒が置かれていますが、それの意味もわかりません。皆に一緒に食べてもらえば食事のしかたがわかるのじゃないか、と考えたのです。

 食堂には大僧正や僧侶、術師のラクたちが控えていましたが、ポチのことばに非常に驚きました。後見役のハンが頭を振ります。

「帝と食事を共にするなどめっそうもございません! これは竜子帝のために準備された料理。どうぞ存分にお召し上がりを――!」

 ポチは困りました。食べ方もわからないまま適当に食事をすれば、居並ぶ人々に絶対怪しまれてしまいます。個室でひとりで食事ができれば良いのですが、皇帝ともなれば、それも許されないでしょう。

「朕はおまえたちと共に食事をしたことがなかったか? 一度も?」

 と食い下がると、ハンが答えました。

「もちろん、あなたがまだ皇子(おうじ)だった時分にはございましたが、今はもう皇帝であられます。皇帝と共に食事をするなど、宴や賓客でもなければ――」

「では、これを宴にしよう。料理はたっぷりある。神竜の加護を願う宴会だ」

 けれども、人々はやはり承知しませんでした。恐れるように大きく退き、両手を胸の前で合わせていっせいに頭を下げます。ポチはがっかりしました。同時に、なんだか淋しいような気もします。大勢に囲まれているのに、広い場所にひとりぼっちでいるような、矛盾した感覚です。

 

 すると、ハンが苦笑しました。

「わかりました、私がお相伴いたしましょう……。そのようなお顔はなさらずに」

 体は皇帝でも中身はポチです。心の中がそのまま表情に出てしまったのでした。

 すぐに新しい椅子が運ばれてきて、食卓の隅のほうに置かれました。皇帝の正面の席では失礼に当たる、というわけです。ポチはまた言いました。

「朕の目の前に! そうでなければ見えない――ハンの顔が、見えない!」

 見えないとは何が? と聞き返されそうになって、ポチはあわてて言い直しました。なかなか言い方が難しいところです。

 ルルはポチの足下ではらはらしていました。ポチが今にもぼろを出しそうで、気が気でありません。

 すると、ハンが言いました。

「今宵はいやに素直であられますな、竜子帝。まるで昔に返ったようだ――ああいや、年寄りの戯れ言でございます。お気を悪くなさいませんように」

 白髪の後見役が照れたように微笑したので、ああ、そうか、とポチは考えました。きっと、この後見役は竜子帝を子どもの頃からよく知っていて、我が子か孫のようにかわいがってきたのです。こんなふうに一緒に食事をしたことも、何度もあったのに違いありません。だからこそ、皇帝になった竜子帝の後見役に選ばれたのでしょうし、フルートたちが乱入したときには、必死で守ろうとしてくれたのです。

 ハンがポチの目の前で席に着くと、ハンの食器が運ばれてきました。例の二本の木の棒も一緒です。

「私が取りわけをいたしましょう」

 とハンがまた立ち上がり、木の棒を手に握って、大皿からポチの目の前の皿に料理を移し始めました。ただの二本の棒が、実に器用に料理をはさんで持ち上げるので、ポチはまた目を丸くしました。いくら見つめても、どうやればいいのか見当がつきません。

 同じ光景にルルも驚いていました。二本の棒は箸でしたが、こんな食事の道具は彼女も見たことがありません。いっそう心配になります。

 ハンが自分の皿にも料理を取り分けて席に着きました。

「どうぞ、お召し上がりを、竜子帝」

 そのままポチが食べ始めるのを待ちます。さすがに、主君より先に食事を始めてはくれません。

 

 ポチはしばらく箸を見つめていましたが、急に落ち着いた表情に変わると、それを取り上げました。ハンと同じ持ち方で器用に料理をはさみ、口へ運び始めます。それを見て、ハンも安心したように自分の食事を始めます――。

 ルルは目をぱちくりさせました。ポチは本物のユラサイ人のように、なんでもなく食事をしています。いったいどういうこと? と考えますが、理由はわかりません。

 すると、ポチが小皿を手にかがみ込んできました。ルルに自分の料理をわけてくれたのです。ルルはポチにだけ聞こえる声で尋ねました。

「ちょっと。あなた、どうやっているのよ? 全然違和感ないわよ」

 すると、ポチが笑いました。

「何も考えないようにしてるんですよ。こういうのって、体で覚えているものだから、竜子帝の体に任せてみたら、ちゃんと食べられたんです」

 とささやき返してきます。ルルはますますあっけにとられてしまいました――。

 

 食堂にまた料理が運び込まれてきました。湯気の立つ熱い料理、肉の冷製、粥(かゆ)、型抜きした具を煮こごりで寄せた凝った料理なども登場します。本当に、大人数の宴会でも開いているような料理の量です。ポチはふと、フルートたちにもこれを食べさせたいなぁ、と考えました。珍しい異国の料理に、みんな大喜びするに違いありません。ゼンがいれば、食べ残しの心配をすることもないのですが……。

 今度は給仕が料理を取り分けてくれました。やはり長い箸を使って、ポチやハンの皿に肉や魚を載せてくれます。

 ところが、ポチが肉料理を食べようとしたとき、足下でいきなりルルが跳ね起きました。ものも言わずにポチの服の裾にかみつき、強く引っぱります。ポチが驚いて振り向くと、ルルの真剣な目に出会いました。それを食べちゃだめよ、とまなざしが言っています。

 ポチは正面を向いて叫びました。

「ハン、だめです!」

 後見役が今まさに同じ料理を口にするところだったのです。

 すると、ルルが飛び上がりました。ポチの膝を蹴ってテーブルに飛び乗り、次の一蹴りでハンに飛びついて、口元から肉を奪っていきます。蹴り飛ばされた皿や食器が床に落ち、派手な音をたてて料理が飛び散ります。

 食堂の中は騒然となりました。食事をめちゃくちゃにした犬を全員で取り押さえようとします。

「だめだ! やめろ!」

 とポチが助けに飛んでいこうとしたとき、ルルがいきなり床に倒れました。口から泡を吹いて痙攣を始めます。

「ルル!!」

 ポチは悲鳴を上げてルルに駆け寄りました。抱き上げて呼びかけますが、ルルは白目をむいて激しく震え続けています。間違いなく毒のしわざです。

 ポチは術師のラクへ叫びました。

「ルルを助けて! 早く!!」

 術師はすぐに命令を聞いてくれました。駆けつけながら呪符を取りだし、ルルの体に押しつけて呪文を唱えます。とたんに呪符が光って消え、ルルの痙攣が止まりました。ふぅっと力が抜けたように、ポチの腕の中でおとなしくなります。

「ルル! ルル!」

 ポチが呼び続けると、雌犬が目を開けました。黒い瞳でポチを見上げて、笑うような顔をします。

 ポチはルルを抱きしめました。涙があふれてきます――。

 

 人々はまだ大騒ぎをしていました。料理を運んできた給仕や控えていた料理長が衛兵に取り押さえられ、床にねじ伏せられます。

 すると、いきなり給仕の一人が大声を上げました。胸を押さえて暴れ出し、衛兵を振り切って床の上でのたうつと、すぐに動かなくなってしまいます。ポチやハンに料理を取り分けてくれた給仕です。衛兵が男の口元の匂いをかぎ、胸に耳を当てて言いました。

「心臓が停まっております。毒で自害したようです」

 人々はまた仰天しました。料理長が取り押さえられたままで言いました。

「そんな――そんなはずは! その者はもう三十年以上ここで働いてきた真面目な男です! 皇帝陛下の暗殺を企てるなんて、そんな大それた真似は――!」

「だが、現に竜子帝が狙われたではないか! 犬が気がつかなければ、帝は命を落とされたぞ! この社殿の警備はどうなっているのだ!?」

 とハンがどなります。自分自身も危なく死ぬところだったというのに、そちらのほうはまるで気にしていません。大僧正や僧侶がいっせいにひれ伏し、竜子帝に許しを請い始めます。

 術師のラクが言いました。

「その男が死ぬとき、術が発動するのを感じました。おそらく誰かの術によって、自分でも気がつかないうちに暗殺計画の片棒を担がされていたのでしょう。ことの後で自害する術もかけられていたのです」

 竜子帝と後見役の二人を殺されかかったので、さすがのラクも青ざめています。

 

 ポチは床に座り込んだまま、ルルを抱きしめていました。自分が危なかったことより、ルルが死にかけたことがショックで震えが止まりません。

 すると、ルルが顔を上げて、ポチの頬をぺろりとなめました。ポチにだけ聞こえる声で言います。

「そんな顔しないの。私は大丈夫よ」

「ルル――!」

 ポチはルルの体をいっそう強く抱きしめてしまいました。

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