社殿の礼拝堂で、ルルは半信半疑でいました。
見ず知らずの少年が人々からルルをかばい、ぼくです、とささやいてきたのです。少年の雰囲気と話し方がポチにとても似ている気がして、思わず「ポチ?」と尋ねると、少年が、ほっとしたように笑いました。人間と犬。まったく違っているはずなのに、ポチそっくりの笑顔です。
ルルは確信しました。やっぱりこれはポチです。理由はわかりませんが、ポチは人間の少年になってしまったのです――。
いったいどうしたのよ!? と尋ねようとすると、少年がルルの口を押さえました。しゃべるな、と言うのです。そこへ白髪頭の男が近づいてきました。
「それは敵が連れていた犬でございます、竜子帝。こちらにお引き渡しください」
説得するように話しかけてきます。
少年になったポチはルルを抱きしめ直して言いました。
「嫌だ! この犬は敵じゃない! ぼくの――友だちだ!」
友だち? と男は驚き、すぐに別のことにもっと驚きました。
「ぼく、とおっしゃいましたか、竜子帝!? 何故そんな庶民のような言い方をなさいます!」
とたんに少年は困ったように口をつぐみました。何も答えません。答えようがなかったのです。
すると、黄色い服を着た男も近づいてきました。自分の帽子から垂れ下がった布をまくり上げ、少年をのぞき込んで言います。
「様子がおかしゅうございますな……。帝、ここがどこかおわかりになりますか?」
少年が首を横に振ったので、人々は驚きました。白髪男があわてて尋ねます。
「わ――私が誰かはおわかりになりますな、竜子帝? ここにいる術師も――」
少年がまた首を振ります。
礼拝堂の中は騒然となりました。白髪男が必死で言います。
「ハンでございます、竜子帝! あなたの父君である先帝が亡くなってから、半年間ずっと後見役を務めてきたハン・キメイ――こちらは、先帝の代から使えている術師のラク・スーシンです! 思い出されませんか!?」
少年がまた首を振ったので、悲鳴のような声がいっせいに上がりました。紫の衣を着た大僧正が駆け寄り、震えながら言います。
「竜子帝、あなたはここで神竜を呼び出す儀式の最中だったのでございます。そこへ賊が侵入して、あなたがお倒れになった。さらにそこへまた賊たちが乱入してきたのです。本当に、何も覚えておられませんか……?」
少年はとまどう顔をするばかりです。
頭をかきむしった大僧正の隣で、後見役のハンが叫びました。
「その犬か! その犬が竜子帝に害をなしているのだな――!」
手を伸ばしてルルを捕まえようとしたので、少年はまたそれをかばいました。ハンをにらみつけ、驚くほど大きな声でどなります。
「さがれ、ハン!! 無礼者め!! 朕の犬に手を出すことは、断じて許さん!!」
以前と同じ話し方でした。人々はあっけにとられ、すぐに安心して笑い出しました。
「お戯れはおやめください、竜子帝……。本当にお忘れになったのかと心配しましたぞ」
とハンが苦笑いで言います。皇帝の少年が彼らをからかったのだと考えたのです。
すると、少年が言いました。
「朕は少し混乱しているらしい……。しばらく一人にしておいてくれ」
人々は今度は渋りました。皇帝は得体の知れない敵に襲われたばかりです。一人きりにするのは危険だと誰もが考えましたが、皇帝は譲りませんでした。ついに、宮廷からもっと大勢術師を呼んで社殿の守りを固めることで折り合いがつき、人々は礼拝堂から出て行きました。扉が閉まり、足音が外の通路を遠ざかっていきます――。
床に座り込んでいた少年が、ルルに尋ねました。
「みんな行きましたか?」
ルルはぴんと耳を立てました。
「やだ、本当にポチだったのね。あんな言い方をするから、私の勘違いだったのかと思ったわよ」
「この体の人がああいう話し方をしていたから、真似してみたんです。でも、ぼくたちの話は外から聞かれていないかな? ぼく、この体では周りの音や様子がわからないんです」
そこで、ルルは外へ耳を澄ましました。
「ええ、だいたいみんな引き上げたわね。扉の外に二人警備兵が残っているわ」
「部屋の奥に行きましょう。そうすれば話しても外には聞こえないと思いますよ」
と少年の姿のポチが立ち上がりました。そうすると、ルルよりずっと背が高くなったので、ルルはとまどいました。いつだってポチは彼女より二回りも体が小さかったのに……。
「本当に、何がどうしたっていうわけ? どうしてそんな恰好になっているのよ?」
なんとなく責める口調になってルルが尋ねると、ポチはまた困ったように笑いました。黒檀の祭壇に腰を下ろして話し出します。
「ぼくにもわからないんです……。さっきあの人たちも言っていたけれど、突然侵入してきた魔法使いがぼくと皇帝に魔法をかけて、気がついたら、ぼくは皇帝になっていたんです。小犬のぼくが倒れているのも、自分の目で見ました――。フルートたちが、それをぼくだと思って連れていく様子も。思わず、それは違う、って叫んだんだけど、声が出ませんでした。ポポロの眠りの魔法が、ぼくの体にも効いているみたいだったな……。そのくせ、ぼくの頭は目が覚めていて、何が起きているのか、はっきり見えていたんです。ルルが立ち止まって、ぼくを振り向いてくれたのもわかりました」
ルルは首をかしげました。
「呼ばれたような気がしたからよ。待ってくれ、って――。あなたが呼んでいたのね、ポチ」
名前で呼ばれて、少年が嬉しそうに笑ったので、ルルはまた驚きました。
「あなた、いやに落ち着いてるわね。人間にされてるっていうのに……。驚かないの?」
「二度目だから」
とポチは答え、ルルが意味がわからずにいるのを見て続けました。
「ほら、黄泉の門の戦いのときに、レィミ・ノワールの魔法で人間の姿にされちゃいましたからね。あの時はさすがにショックだったけど、今回は二度目だから、ちょっと免疫がついたみたいです」
ふぅん? とルルは言いました。そんなものかしら、とも思いますが、なんとなくやっぱり驚いてしまいます。もしも自分が人間にされてしまったら、ポチのように冷静でいられるでしょうか。例えそれが二度目や三度目だったとしても、ちゃんと元の姿に戻れるだろうか、と不安になるような気がします。
「問題はこれからどうしたらいいか、ってことですよね。フルートたちが連れていったぼくはどうなっているんだろう? もしかしたら、この竜子帝がぼくの姿になっているのかな?」
とポチは落ち着いて話し続けます……。
その時、ルルの耳に少女の声が聞こえてきました。
「ルル――ルル、聞こえる――?」
「ポポロ!」
とルルは歓声を上げました。少年のポチも顔を輝かせました。
「ポポロが呼びかけてきたんですね? 良かった!」
「あなたには聞こえないの?」
とルルは聞き返しました。ポポロは遠く離れた仲間たちとも魔法で話すことができるのです。ポチがまた困ったような顔になりました。
「聞こえません。この体になっているからですね、きっと」
その間もポポロは呼び続けていました。
「ルル、無事ね? どこにいるの?」
「まだ寺院の中よ。見えないの?」
とルルが今度はポポロに聞き返します。
「急に見えなくなっちゃったのよ。誰かが寺院を守りの魔法でおおってしまったみたい」
「ああ、そういえば魔法使いを増やしてここを守るって言っていたわね……。ねえ、ポポロ、大変なことが起きているのよ」
「こっちもよ。もしかして同じこと?」
「たぶんね。ポチが人間の男の子にされちゃったわ」
「それはこの国の皇帝の竜子帝よ。その人、ここにいるポチの体の中にいるわ。魔法で中身を入れ替えられてしまったのよ」
山中の社殿にいるポチやルルと、離れた場所にいるフルートたち。
二つに別れてしまった仲間たちの間で、事実がつき合わされようとしていました――。