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第14巻「竜の棲む国の戦い」

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第2章 小犬

4.檻(おり)

 檻の中で犬が鳴き出したので、社殿の礼拝堂の人々はあっけにとられました。中には白い竜が――いえ、竜に似た生き物がいるはずでした。ところが、檻をおおう布を外してみれば、中にはちっぽけな白犬が一匹いるだけだったのです。

 少年はみるみる顔を真っ赤にしました。ユラサイの皇帝の竜子帝です。檻を持ち込んだ魔法使いをどなりつけます。

「なんだ、これは――!? 竜はどこに行ったのだ!?」

 黄色い服の魔法使いはうろたえていました。彼自身、檻の中にそんなものがいるとは思わなかったのです。

「そ、そんな馬鹿な……。檻には術をかけてあるから、例え竜でも逃げ出すことはできないはず……」

「では、あれが竜か!?」

 と竜子帝は言い続けました。怒りのあまり金切り声になっています。

「このペテン師の役立たずめ!! 貴様のような無能者は――」

「なりません、竜子帝!」

 と白髪の男が突然口をはさみました。強い声に少年が思わず黙ります。その隙に魔法使いは部屋から姿を消しました。檻は残したままです。

 魔法使いに逃げられて、少年は怒りの矛先を白髪男に向けました。

「何故止めた!? あんな嘘つきは即刻首をはねてやったのに!」

「それはなりません、竜子帝。そんなことをしようとすれば、あなたの味方が一人もいなくなる。失敗は確かによろしくないが、誰にでも起きうることです。それをいちいち処罰していては、誰も帝に従わなくなります」

 白髪男はいさめるように言っていました。まだ少年の皇帝の後見役――つまり、親代わりをする指導係だったのです。

 けれども竜子帝は聞き入れませんでした。怒りが収まらないまま、檻を指さしてわめき続けます。

「犬だぞ!? あんなものを竜だと言って、朕をたばかったのだ! 皇帝を恐れぬ大逆だ!」

「ラク殿は嘘をついているつもりなどありませんでした。竜子帝が偽りの神竜を使って人民をたばかろうとしたので、神竜のお怒りが下ったのでございましょう」

 と男が静かに言います。

 

 少年は真っ青になると、ふいに駆け出し、祭壇の脇に飾ってあった錫(しゃく)を取り上げました。祭壇の付属品のひとつです。それを握りしめて檻へ走り、入口を開けようとします。

「何をなさいます、竜子帝?」

 と白髪男が尋ねると、少年は笑って言いました。

「朕をたばかったのはあの犬だ! 殴り殺してくれるわ!」

 ぞっとするほど暗い笑顔でした。ひどく残酷なのに、何故だか今にも泣き出しそうにも見えます。後見役の制止を振り切って扉を開け、中に飛び込んでいきます。扉に鍵はなく、外からなら簡単に開けることができたのです。

 檻の片隅で白い小犬が毛を逆立ててうなっていました。背後の鉄格子は小犬の体より幅が広いのですが、魔法で閉じられているので、逃げ出すことができません。金属の棒を構えて迫ってくる少年に牙をむきます。

「おやめください、竜子帝! いくら小犬でも危険です!」

 後見役が言い続けますが、少年は耳を貸しません。追い詰められた犬へ錫を振り上げます。

「よくも朕を馬鹿にしたな、犬め! 貴様など――!」

 その時、犬の白い輪郭が、急にぼやけ始めました。逆立てた毛が、ゆらりと湯気のように揺らめいた気がします。少年の皇帝は思わず自分の目を疑いました。なんだ? と小犬を見つめ直します。

 

 すると、突然外のほうから、どーん、とすさまじい音がしました。床が地震のように揺れて、社殿がきしみます。男も少年も、白い小犬さえもが、驚いて思わず飛び上がりました。

「何事だ!?」

 と後見役がどなると、すぐに警備兵が飛び込んできました。

「外で得体の知れない爆発が起きました! ハン様、すぐおいでください!」

 後見役は顔色を変えました。

「帝はここにおいでください! ――竜子帝をお守りしろ!」

 と警備兵にも言い残して部屋から飛び出していきます。

 檻を出ようとしていた竜子帝は、怒りと不安の入り混じった顔でそれを見送りました。社殿の外の方からは、人々の驚き騒ぐ声が聞こえてきます。

 後に残った警備兵が言いました。

「竜子帝、危険でございます。こちらにおいでください」

 鎧を身につけ、腰に大きな刀を下げた男です。竜子帝はもう一度外の方へ目をむけ、騒ぎが続いているのを聞いて、檻の出口をくぐろうとしました。

 ところが、それより早く檻の奥から小犬が駆け出しました。皇帝の足下をすり抜けて先に出ます。

「あ、こいつ!!」

 と皇帝がどなると、小犬が立ち止まってうなり出しました。小犬がうなっている相手は皇帝ではありません。檻の外で待つ警備兵です――。

 

「な、なんでございますか、この犬は?」

 と警備兵がとまどいました。主君の飼い犬だと思ったのです。皇帝の少年はまた、かっと赤くなりました。

「つまらぬ畜生だ! おまえの刀で切り捨てろ!」

 その剣幕に警備兵がますます面食らいます。

 竜子帝はすっかり腹を立てて、また錫を振り上げました。自分の前に立ちふさがっている小犬へ、力任せに振り下ろそうとします。

 とたんに、誰かが話しかけてきました。

「ワン、下がって。危険ですよ――」

 ささやくような少年の声です。竜子帝は目をぱちくりさせました。この部屋には自分と警備兵の二人しかいません。いったい誰だ、と周囲を見回します。

 すると、今度は別の声が聞こえてきました。もっと大人の男が、ひとりごとのように言っていました。

「ふむ。皇帝を使い物にならぬようにしろ、という命令だったが、こちらのほうが面白いか……」

 竜子帝はふいに全身が総毛立つのを感じました。自分が今、とんでもない危険と直面しているのだと気がつきます。つぶやいていたのは、目の前の警備兵でした。その姿がみるみる変わり、黒い服に黒い頭巾をかぶった小男になっていきます。

 ワンワンワンワン……!!! 小犬が竜子帝の前に立ち、短い足を踏ん張って男へほえかかります。

 頭巾からのぞく目が、冷ややかに笑いました。

「そうだ、面白い。この犬のほうを連れ帰ろう」

 片手で印を結び、もう一方の手で懐から何かを取りだして宙に放ります。それは文字が書かれた一枚の紙でした。頭上に舞い上がり、ひらひらと落ちてきます。

 小犬が大きく飛びのきました。竜子帝の脚に勢いよくぶつかったので、少年も思わずよろめきます。

 とたんに、紙が強烈な光に変わりました。爆風のように広がって小犬と少年を吹き飛ばし、部屋中に広がって祭壇をめちゃくちゃにします。社殿が再び大揺れに揺れます。

 ふん、と黒い服の男は満足そうに笑いました。小犬と少年は檻の中に倒れて気を失っています。小犬へ手を伸ばして捕まえようとします。

 

 そこへ、外から後見役の白髪男が駆け込んできました。部屋の中の様子を見るなり、大声を上げます。

「ラク殿! 大僧正!」

 とたんに黄色い服の魔法使いが姿を現しました。

「貴様、何奴!? 誰に頼まれた術師だ!?」

 と叫んで、懐へ手をやります。黒い服に頭巾の男はたちまち姿を消しました。小犬と皇帝は置き去りにしたままです。

 後見役は真っ青になって檻に駆け込みました。皇帝に飛びつき、息をしているのを確かめて、急いで体を揺すぶります。

「竜子帝! 竜子帝、お気を確かに!」

 そこへ紫の衣の大僧正や大勢の僧侶たちも駆けつけてきました。やはり、倒れている皇帝を見て青くなります。

「敵の差し向けた術師のしわざだ。最初の爆発で我々を惹きつけておいて、皇帝の元に忍び込んだのだ」

 ラクと呼ばれた魔法使いが、話しながら皇帝の体に触れました。とたんに竜子帝が目を開けます。一同は、ほっとしました。

「気がつかれましたな。お怪我は、竜子帝?」

 と後見役が尋ねたときです。

 今度は数人の警備兵が部屋に駆け込んできました。あわてふためき、背後を振り返りながら叫びます。

「皆様方、敵襲です――!!!」

 

 礼拝堂の中は再び騒然となりました。後見役がとっさに皇帝を抱きかかえ、黄色い服の魔法使いは檻の外へ飛び出していきます。

 すると、刃がぶつかり合う音が聞こえてきて、さらに大勢の警備兵が駆け込んできました。屈強の兵士たちが青ざめています。

「て――敵はおかしな術を使ってまいります!!」

「早くお逃げください!!」

 そこへザァッと雨の降るような音が聞こえて、色とりどりの花が部屋に飛び込んできました。花びらを虫の羽根のように震わせて飛び回ります。

 花の後からは二人の人物が飛び込んできました。青い胸当てをつけた少年と、長身の少女です。少年が警備兵に追いつき、つぎつぎと捕まえては投げ飛ばします。

 少女が振り向いて叫びました。

「いたよ! 檻の中だ!」

 とたんに刀のぶつかり合う音が大きくなって、また数人の集団が部屋に飛び込んできました。警備兵と金の鎧兜の小柄な男です。男が周囲の兵士たちを切り伏せて、檻の小犬へ叫びます。

「ポチ!」

 それは少年の声でした――。

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