午後になっても天気は良いままでした。
再び風の犬に乗って飛びたったフルートたちは、快適な気分で空を進み続けていました。風はごうごうと吹き抜けていきますが、夏なのでそれが心地よく感じられます。
「ねえさぁ、これからあたいたちが向かう町って、どんなところなのさ? なんて町?」
とメールに聞かれて、ポポロが答えました。
「町の名前まではわからないわ。町の様子は見えているし、たぶん町の名前もどこかにあると思うんだけど、あたしには読めないの……。文字が全然違うのよ」
「ワン、この国はユラサイ文字を使ってますからね。ことばは普通に通じるけど、字は読めないんですよ」
とポチが言います。
それを聞いて、ふとフルートは首をかしげました。
「それはぼくも学校の授業で教わったけど、どうしてなんだろうね……? 話すことばは同じなのに、文字だけが違うってのは。普通に考えたら、話しことばも文字も同じになりそうな気がするのに」
すると、ポポロが言いました。
「あたしたちの天空の国でもそうよ。あたしたちが使う文字はフルートたちの文字とは違うの。覚えてる? ずっと以前、風の犬の戦いの時にエスタ城で開けた魔法の扉。あれは天空の国まで続いていたけれど、あの扉に刻まれていたのが、あたしたちの国の文字なのよ」
「ああ、そうだ……何かの模様みたいで、ぼくらには全然読めなかったっけ。不思議だね。話はこうして全然不自由なく通じるのに」
「ワン、北の大地でもそうでしたよ。雪と氷でできたダイトの町で見たのは、全然違う文字だった」
「あたいたち海の民もそうだ。やっぱり、海の民だけが読める文字を使ってるよ」
「俺たちドワーフは、普段は文字を使わねえ……。大事なことは全部、語り伝えるんだ。だから、俺たちには大切なことわざってのが山ほどあるんだけどよ、特別大事なことだけは、石や金属に刻んで残しておくんだ。古代ドワーフ文字って呼ばれてるぜ」
口々に仲間たちが話すのを聞いて、フルートはまた首をかしげました。文字は国や種族によって違うのに、話だけは世界中どこでも通じるのです。今まで当然のように思ってきましたが、改めて考えれば、とても不思議なことでした。
「それって、どうしてなんだろね?」
とメールが言うと、少し考えてから、ポポロが言いました。
「魔法のしわざかもしれないわ……。強力な魔法が、世界中の話しことばをひとつにしたのかも」
「なんのために?」
とメールがまた尋ねました。それにはポポロも答えられません。
代わりに、フルートが考えながら言いました。
「昔、世界は種族を超えてひとつになって、闇の軍勢と戦った……。初代の金の石の勇者と一緒にね。それが何か関係しているのかもしれないな」
根拠は何もありません。まったくの思いつきで話しているのですが、なんとなく良いところを突いているような気もします。
すると、ゼンが言いました。
「まあ、理由がなんだったとしても、こうして話は通じるってのはいいよな。話しことばまで違っていたら、俺たちは友だちになれなかったかもしれねえぞ」
それは確かにその通りでした。お互いの間にことばの壁が存在したら、理解し合うのはなかなか難しかったはずです。そう思うと急に嬉しいような気がしてきて、一同は声を上げて笑い出しました――。
ところが、それからほどなく、ポポロが言いました。
「どうしたの、ポチ、ルル? 町はもっと向こうよ。どうしてこっちへ行くの?」
それまで南下を続けていた二匹の犬たちが、急に向きを変えて、南東へ飛び始めていたのです。
ポチが困惑したように答えました。
「ワン、まっすぐ飛ぼうとしてるんですよ。なのに、どんどん曲がってきちゃうんだ」
「なんだか変な感じよ。私たちは風なのに、見えない手に引っぱられているみたい」
とルルも言います。
フルートはすぐに首の鎖をつかんで、鎧の中から金のペンダントを引き出しました。花と草の透かし彫りが日の光に輝きますが、真ん中の魔石は明滅していません。
「金の石は反応していない――。闇の敵じゃないんだ」
とフルートは言って周囲を見回しました。空はよく晴れています。敵が迫っている気配はありません。
「あたしも何も感じないわ……どうして?」
とポポロが言いました。大きな緑の瞳がうるんで、もう泣き出しそうになっています。
フルートは背中の剣を引き抜いて、親友に呼びかけました。
「ゼン」
「おう!」
ゼンもたちまち背中から弓を外して矢をつがえます。狙ったものは決して外すことのない魔法の弓矢です。
ポチとルルはさらに見えない力に引き寄せられていきました。頭が完全に東を向いてしまいます。幻のような白い尾が、空に大きく弧を描きます。
「ワン、だめだ!」
とポチが言いました。どんなに抵抗しても、力を振り切ることができないのです。
「魔法の匂いがするわ。でも、こんな匂い、かいだことがない!」
とルルが顔をしかめます。
その時、メールが大声を上げました。
「見なよ、みんな! あれ――!」
メールが指さす空に、巨大な手が現れていました。黄色味を帯びた肌の、人間の手です。五本の指を広げてつかみかかってきます。
「よけろ!」
とフルートは叫んで剣を大きく振りました。切っ先から炎の塊が飛び出して、空の手に激突します。フルートは炎の剣を握っていたのです。ゼンも立て続けに矢を放ちました。一本残らず柱のような指に突き刺さります。
とたんに手が大きく後退しました。熱と痛みに思わず手を引いたような動きです。
「効いてる! こいつ、実体だぞ!」
とゼンがまた矢を射ようとすると、突然強い風が巻き起こりました。矢を押し返し、さらに風の犬をあおります。フルートたちは振り落とされそうになって、あわててポチとルルにしがみつきました。
すると、巨大な手がまた前進してきました。空に伸びたポチの白い尾をつかみます。
「キャン!」
ポチは悲鳴を上げました。何もかも素通りさせるはずの風の体が、がっちりと手に握られてしまったのです。逃げることができません。
「ポチ!」
フルートは振り向いてまた炎の弾を撃ち出しました。ゼンもルルの上から矢を放ちます。
また手が後退しました。今度はポチをつかんだままです。勢いよく引かれた反動で、乗っていたフルートとポポロが空に投げ出されます。
「危ない!」
ルルは急降下して、背中に二人を拾い上げました。そこからまた転げ落ちそうになったポポロを、フルートがとっさに抱き支えます。
ところが、今度はルルが空から落ち始めました。背中に四人も乗せたので、重くて飛べなくなってしまったのです。
「お、お――ルル――!?」
「ちょっと、ルル、がんばりなよ!」
ゼンとメールが叫びますが、落下は止まりません。
フルートは歯を食いしばって下を見ました。緑におおわれた山々がものすごい勢いで迫ってきます。このままでは地上に激突です。
すると、フルートの腕の中でポポロが言いました。
「レタキーヨナハラカマーヤ!」
魔法の呪文です。とたんに、山の真ん中で渦が湧き起こりました。竜巻のように空へ伸びてきます。
「花だ!」
とメールが歓声を上げました。山に咲く花が風に巻き上げられて来たのです。メールはすぐさま両手をかざして呼びかけました。
「おいで、花たち! ルルとあたいたちを止めておくれ!」
メールは花使いです。たちまち花が渦を離れ、生き物のように飛んできて、落ちるルルと少年少女たちを受け止めます。
そのとたん、ルルは犬の姿に戻ってしまいました。疲れて変身していることができなくなったのです。花の網の上にへたばって舌を出し、ぜいぜいとあえぎます。危機一髪でした。
やれやれ、と一同が思わず安堵したとき、今度はフルートの声が響きました。
「ポチ! どこだ!?」
一同は、はっとして上を見ました。
彼らの頭上には青空が広がっていました。巨大な手は消えてしまっています。その手に捕まっていたポチが、どこにも見当たりません。
「ポチ! ポチ!! ポチ――!?」
仲間たちは大声で呼び、空や周囲を探し続けましたが、風の犬も白い小犬も、見つけることはできませんでした。