絶壁になった山に囲まれた入り江――その上空に影の怪物が姿を現していました。
金の石が放つ聖なる光は、魔王の青年を照らし続けています。その体から煙のように抜け出した闇が、巨大な竜に変わったのです。四枚の翼を羽ばたかせています。
フルートはペンダントをかざしながら叫びました。
「がんばれ、金の石! あいつを完全に追い払うまで光り続けるんだ!」
まばゆい光の中に、精霊の少年も浮かんでいました。全身を金色に輝かせて答えます。
「大丈夫だ。ゼンがよこした海の力はすさまじい量だからな。ちょっとやそっとじゃ使い切らない」
そのゼンの両腕の中に、魔王の青年がいました。後ろからはがいじめにされた恰好で空中に浮かんでいますが、自分から闇がどんどん抜け出していくのを見て声を上げました。
「行くな、デビルドラゴン! おまえはぼくに世界のすべてをよこすと約束したんだぞ! こんな光くらいなんだというんだ!? おまえは闇と悪の化身だろう!?」
「闇ダカラコソ光ニハ弱イ。ソンナコトモ、ワカラナイノカ」
と闇の竜が答えました。はるか下の海底から響いてくるような声です。
「シカモ、聖守護石ハ海ノチカラヲ得テイル。海ハオオイナル命ノ源ダ。コノママココニ留マレバ、我ハ大キナ打撃ヲ受ケテシマウ」
「行かせないぞ! おまえはやっと手に入れた力だ! 世界中にぼくの実力を見せる時が来たんだ! 絶対におまえは逃がさない! ぼくの元にいて、ぼくが世界を支配するまで、ずっとぼくに仕えていろ!」
それを聞いたゼンが、あきれて話しかけました。
「おまえなぁ――デビルドラゴンを無茶苦茶なめてかかってるぞ。魔王なんかにあいつが支配できるもんか。おまえは、この世の入れ物にちょうどいいから生かされてるだけだ。やばくなれば、すぐに捨てられるか、あいつに骨まで溶かされて吸収されちまうぞ。そうやって、もう何人もあいつに殺されてんだからな」
けれども、青年は自信満々の態度を崩しません。
「ぼくにはこの頭脳がある。知恵で闇を支配することは可能だ! デビルドラゴンだって、本物の英知の前には絶対かなわないのさ」
ゼンは肩をすくめました。こいつに何を言っても無駄だな、と言いたげに黙ってしまいます。
代わりに口を開いたのはフルートでした。青年ではなく、空で羽ばたく影の竜へ尋ねます。
「どうしてだ、デビルドラゴン? 彼は魔王なのに、あまりにもおまえやぼくたちのことを知らなすぎるぞ。変身したペルラをポポロと思いこんだり、金の石の力を見くびったり――。ずっと不思議に感じていたけれど、おまえは彼に必要な情報を教えてこなかったんだな? 何故だ?」
なんだって!? と青年が顔色を変えました。思わず空の竜を見上げます。竜は狭い入り江の上空をおおいつくすほどの大きさになっていました。金の光に影の輪郭がぼやけ始めています。
デビルドラゴンが答えました。
「ソレハ我ノセイデハナイ。コノ男ガ、ミズカラ望ンデ知識ヲ拒ンダノダ」
青年は眉をつり上げました。空の竜へどなります。
「馬鹿な、ぼくがいつそんなことをした!? いつだって、おまえは何も言わなかったじゃないか! 勇者たちのことも、おまえ自身のことも、何ひとつ! ――わざと黙っていたのか? ぼくをはめるつもりでいたのか!?」
「我ハ真ノ闇。真実ノ存在ハ嘘ハツカナイ。我ハマタ、我ヲ拒ム者ニハ、チカラヲ与エラレナイ。知識モシカリ。我ハオマエニ、金ノ石ノ勇者ハ油断ガナラナイ、ト言ッタデハナイカ。自分ノ賢サニ溺レテ、ソレニ耳ヲ傾ケナカッタノハ、オマエ自身ダ、愚カナ人間。求メヨウトシナイ者ニ、我ハ何モ語ルコトガデキナイ」
「ぼくは愚かじゃない!!」
と青年は激しく言い返しました。ゼンに捕まったまま、両手を竜に伸ばして叫びます。
「戻ってこい! ぼくは世界の王になるんだ! ぼくにさからう連中は一人残らず始末して、理想の世界を作ってみせる! ぼくは偉大な王になるんだ!!」
「君は王にはなれないよ」
とフルートが言いました。手には輝く石を掲げたままです。
「君は故郷の人たちを一人残らず津波で殺した。友人や家族もいたはずなのに……。それに、君は自分の部下や仲間でも平気で切り捨てて殺そうとする。そんな王には、誰もついてこないよ。それを力ずくで支配しようとしたら、君は世界中の全員を殺さなくちゃならなくなる。誰もいなくなった世界で、王になることはできないさ」
「偉そうにぼくに説教するな! ガキのくせに!」
と青年はまた激しくどなりました。眼鏡の奥からにらむ目は、まだ血のような赤い色をしています。
「貴様に何がわかる! ぼくは子どもの頃から、チビだ、力のないうらなりだ、と村の連中から馬鹿にされてきたんだ! 何もしていないのに、さんざん殴られて……! 連中が死んだのは自業自得さ! ぼくを馬鹿にしたのが悪いんだからな! ぼくには世界に復讐をして、理想の世界を手に入れる権利がある! 貴様たちみたいな、恵まれて勇者になったガキどもに、絶対に邪魔はさせないぞ!」
ばさり、と空中でデビルドラゴンがまた羽ばたきました。ことばは何も発しません。代わりに、フルートがまた言いました。
「君の気持ちはわかるさ、魔王。ぼくらは恵まれた勇者なんかじゃないからね――。だから、君が間違ってることだってわかるんだ」
なんだと!? と青年がまた言いました。思わずフルートにつかみかかろうとすると、ゼンがぐっと引き戻しました。
「騒ぐなよ、馬鹿。てめえの気持ちはわかる、って言ってんだ。俺たちだって、みんな同じだからな――。そうだよな。馬鹿にされたり、いじめられたり、殴られたり。そんなことされりゃあ、世の中のヤツらみんなが敵に見えてくるし、世界中を憎みたくもなるよな。そんな世界はぶっ壊して、自分の思い通りの世界を作り直したいって気持ちにだってならぁ。俺たちだって、そんなふうに考えたさ。――だけどな」
気持ちはわかる、と言いながらも、ゼンの声は強いままでした。迷うこともなく言い続けます。
「世の中には、そういう憎しみを捨てて、がんばって生きていこうとするヤツだって大勢いるんだぜ。てめえが憎んでる世界には、てめえを知らないヤツも数え切れないほどいるんだ。そいつらは、てめえを憎んでも恨んでもいねえ。そいつらと出会って、手をつないで生きていくことはできるんだからな」
ふん、と青年は今度はあざ笑いました。
「勇者たちというのは、本当に立派なものだな。ガキのくせにこんな話もできる。だが、子どもはしょせん子どもだ。甘っちょろい理想論だよ。現実の世界は、そんなに理想通りにはなっていかないものなんだ――」
「そのガキに負けそうになってんのは誰だよ?」
とゼンは言い返しました。
「一つ、いいことを教えてやらぁ。小さくてひ弱でいじめられっ子だったってのは、フルートだってまったく同じなんだぜ。それこそ、あいつだって、数え切れないくらい、ぶん殴られてきてらぁ。だが、あいつは金の石の勇者になって、世界中を守ろうとしてる。――確かに、ガキの理想論かもしれねえさ。あいつほどのお人好しは、世界にもめったにいねえしな。拗ねたガキの気持ちのままで大人になったてめえには、あいつの真似は、とてもできねえだろうよ。――だからこそ、てめえはフルートには勝てねえんだよ。周りを恨んで憎んでわめいてるだけのヤツと、それを越えてがんばろうとしてるヤツ。それが出会って真っ正面から勝負をしたら、いつだって、がんばってるヤツのほうが勝つに決まってるんだ!」
フルートは何も言いませんでした。ただ青い目を青年から空へ向けます。影の竜は光に輪郭が崩れ始めていました。心の闇に力を与え、人と世界を破滅させろ、とそそのかしてくる悪の権化です。
フルートはペンダントをかざしたまま、はっきりと言いました。
「輝け、金の石! 思いっきり光って、闇の竜を完全に追い払うんだ!!」
とたんに、聖なる魔石が強く輝き出しました。今までの何倍もの明るさで空を照らします。光は魔王の青年にも降りそそぎ、最後の影を体の中から追い出しました。空に羽ばたく竜が悲鳴を上げます。
オーオォーーオォォオォーー…………
長い咆吼を残して空から消えていきます。
ゼンの腕の中で青年はもがきました。
「行くな、デビルドラゴン! 逃がさないぞ! 行くな! 行くな――!!」
影が薄れ、空をおおっていた厚い雲もちぎれて消えていきます。雲間から太陽の光が差し始めます。
青年はわめき続けました。
「必ずまた見つけ出して捕まえてやるぞ! また魔王になって、今度こそ勇者どもの弱点を見つけ出して倒してやる! 世界はぼくのものだ! ぼくは世界の王なんだ――!」
「うるせえ」
ゼンが言って、いきなり両手を広げました。青年はもう魔王ではありませんでした。ルルに乗ったゼンが手を離せば、空の上に留まっていることはできません。青く輝き出した海へ、悲鳴を上げて落ちていきます。
すると、ゼンとルルが急降下してきて、海面すれすれで青年を拾い上げました。恐怖で声も出なくなった青年に、ゼンがまた言います。
「知恵があって頭が良くても、こういうときにはどうしようもねえよな。てめえには、助けてくれる仲間がいねえんだからよ――」
海上で大勢の声がゼンやフルートたちを呼んでいました。半魚人や海の民、魚や鳥の海の戦士たちが海上に姿を現し、彼らに向かって手やひれや翼を振っています。その中央に浮かんだ戦車に、二人の人物がいました。渦王とアルバです。魔王からデビルドラゴンが去ったので、目覚めて立ち上がっています。
「父上!」
「兄上!!!」
花鳥に乗ったメールと三つ子たちが歓声を上げました。フルートもポチの上から手を振り返します。ペンダントはもう金の光を収めていました。空に影の竜はもういません。降りそそいでくる日の光の中、フルートの全身で金の鎧兜が輝きます。
そんな光景を見ながら、ゼンがまた言いました。
「戦いは終わりだ。てめえの負けだぜ、魔王」
魔王だった青年は、もう何も言うことができませんでした。