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第13巻「海の王の戦い」

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84.予想外

 人魚は魔王を両腕に抱き、尻尾を大きく振っていました。何一つ身を守るものがないのに、全身で青年を守ろうとしています。

 フルートがまたためらいました。剣を振り上げたまま、迷うように人魚を見つめます。

 すると、ポチが泣き叫ぶように言いました。

「ワン、フルート、早く! ゼンの心臓の音が聞こえなくなってきた!!」

 先にデビルドラゴンが見せた光景と、まったく同じ場面が繰り広げられています。

 フルートは顔を歪めました。本当に、今にも泣き出しそうな表情です。息を吸い込み、覚悟を決めるように呼吸を止め――

 

 シュアナは懸命に青年を守り続けていました。目をつぶり、さらに強く青年を抱きしめます。それが本当はゼンだとは、想像もしていないのです。

 その必死な姿に、フルートがまたためらいました。振り上げた剣を下ろすことができません。顔を歪めたまま、どなります。

「どけ! おまえまで一緒に死ぬぞ!」

 シュアナは銀髪の頭を激しく振りました。

「やだよ! あたしのアムダ様だもん! 死んだって、あたしが守ってあげるんだもん!」

 フルートは唇を血がにじむほどかみしめました。苦しそうに顔を歪め、目を細めて、手にした剣を人魚へ振り下ろします。

 とたんに血しぶきが上がり、シュアナは悲鳴を上げて倒れました。

 

 ところが、シュアナは燃え上がりませんでした。剣に切られたのに、体が火を吹かなかったのです。

 いつの間にか、フルートは武器を炎の剣からロングソードに持ち替えていました。人魚は怪我をしましたが、致命傷にはなっていません。

 倒れたシュアナをフルートは飛び越えました。椅子に座るゼンを魔王と信じ込んで、剣を大きく振り上げます。その顔は、相変わらず今にも大泣きしそうに見えます。

 すると、その足首を細い手がつかみました。シュアナです。背中の傷から血を流しながら、それでもフルートを引き止めようとしていました。

「ダメ……ダメだよ……アムダ様は殺させない……。あたしの命に替えたって、アムダ様は守ってあげるんだから……」

 ひたむきな少女の声に、フルートはまた大きくためらいました。振り上げた剣を魔王へ下ろすことができません。

 

「勇者はシュアナを殺さないのか。予想外だったな」

 椅子に座ったまま動けないゼンの耳に、急にそんな声が聞こえてきました。魔王の青年の声です。

 ゼンは部屋の向こう側を見ました。自分が胸から血を流して倒れていますが、その正体は魔王です。目をつぶり、ぐったりと死にかけた様子のまま、声だけがひとりごとのように言い続けています。

「まったく、馬鹿がつくくらい優しい勇者じゃないか。これで、どうやって今まで闇の竜と戦ってきたっていうんだ? この調子じゃ、最後まで迷い続けて、ゼンを殺せそうにない。しょうがないな。作戦変更だ」

 魔王の声はゼンだけにしか聞こえていないようでした。他の者たちはまったく反応していません。ゼンは魔王に姿を変えられているので、どこかで本物の魔王とつながっているのかもしれません……。

 すると、椅子に座ったゼンの手が、操られるように勝手に上がっていきました。床に倒れているもう一人の自分へ狙いを定めます。

 ポチがそれに気がつきました。

「ワン、何をする気だ、魔王!?」

 フルートが、はっとしたように振り向いたのと、ゼンの手から魔弾が飛び出したのが同時でした。黒い光の弾は、倒れて死にかけているゼンをまた撃ち抜きます――。

 

 血しぶき、悲鳴、怒声、駆けつける足音……狭い岩屋の中にまた悪夢のような光景が繰り広げられました。これはデビルドラゴンが見せている幻ではありません。現実に起きている出来事です。

 魔弾に撃ち抜かれて、ゼンが息絶えました。血に染まり、倒れたまま、もうぴくりとも動きません。小犬が飛びつき、ゼン! ゼン! と呼び続けますが、返事はありません。

「ゼン――!!」

 フルートは叫びながら親友に駆け寄りました。反応のない体を死にものぐるいで揺すぶります。

 この悪魔! と三つ子が椅子の魔王に向かって駆け出しました。攻撃しようと手を振りますが、やはり魔法は発動しません。直接飛びかかっていくと、見えない壁に阻まれて倒れてしまいます。カイとシィも魔王へ走っていきますが、やはり途中で跳ね返されます。

 アオォーーーーン……とポチが声を上げました。長く悲しい遠吠えが岩屋の中に響きます。

 フルートは親友を抱きしめました。金の鎧兜を血に染め、声を上げて泣き出します。

 そんな光景を、ゼンは魔王の姿の中から見つめていました。違うぞ、それは俺じゃねえ! みんな、魔王にだまされるな――! どんなにそう叫びたくても、ゼンの口はこれっぽっちも動きません。

 すると、フルートの体がいきなり光り始めました。したたる血のような輝きが、少年の全身を包みます。願い石を呼び始めたのです。

「死なせない……ゼンは、絶対に死なせるもんか……」

 ゼンを死んだと思いこみ、ショックで大混乱になっている仲間たちに、フルートのつぶやきは聞こえません。ただ、魔王の姿のゼンだけが、親友の声を聞いていました。馬鹿、やめろ! 願うんじゃねえ!! ――やっぱり、声は出てきません。

 フルートの体がますます赤く輝いていきます。光が集まって女性の姿に変わっていきます。

 

 その時、ゼンの耳に、どこからかまた魔王の青年の声が聞こえてきました。満足げにつぶやいています。

「そうだ、勇者くん。ぼくを死なせない、と願い石に強く願え。そうすれば、願い石によって、ぼくは死なない体になる。そう、闇の竜にだって、ぼくは殺せなくなるんだ。――あいつは闇と破壊の権化だから、一度は魔王のぼくに世界を支配させても、やがて、世界中の生き物を滅ぼしてしまうだろう。そのときには、ぼくも破滅させられる。この世の支配者にする、という契約は、この世がなくなったときに効力をなくしてしまうからだ。それがあいつのやり口なのはわかっている――。そんなことはさせないさ。ぼくは永遠に、この世界の支配者だ。闇の竜だって、ぼくの支配下に置いてやる」

 青年は勝ち誇って笑い出しました。それはゼン以外の者には聞こえません。

 すると、笑い声の向こうから、遠い羽音が聞こえてきました。ばさり、ばさりと繰り返される音に、かすかに別のものが混じります。冷ややかにあざ笑う竜の声です。青年は高笑いをしていて気づきません……。

 

 フルートの前に、願い石の精霊が姿を現していました。赤いドレスに高く結って垂らした赤い髪。炎のように激しい姿の女性です。

 ところが、彼女は自分からは何も言い出しませんでした。デビルドラゴンが見せた幻のように、そなたの願いはなんだ、と尋ねてこないのです。ただ、泣いているフルートを、黙ってじっと見下ろします。

 フルートが口を開きました。血にまみれて息絶えた親友を抱いたまま、願い石に願いを語ろうとします。

 すると、精霊の女性が顔を上げました。岩屋の片隅を眺めて言います。

「来たな」

 フルートは思わずそちらを振り向きました。黒大理石の床が斜面になった先に、人魚の水場があります。海から来た水が静かに揺れています――

 

 とたんに、その水面に、ざばぁっと二つの頭が現れました。一つは赤、もうひとつは緑の髪をしています。続けて、茶色と黒の二匹の犬も顔を出します。

 それは、ポポロとメール、そしてルルとマーレの一行でした。岩屋の中の光景を見たとたん、少女たちが声を上げます。

「フルート、だめぇっ!」

「ゼン! ゼン!!」

 大きなしぶきを立てながら、少女たちと犬たちが水の中から駆け上がってきました――。

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