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第13巻「海の王の戦い」

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83.策略

 デビルドラゴンに呼び出されて、岩屋の光景が動き出していました。椅子に座った魔王を守ろうと、人魚が大きな尻尾を振り回しています。フルートを追い払おうとしているのです。

 フルートは剣を振り上げたまま、たじろぎました。人魚は銀髪の少女の姿をしています。短い上着を着ているだけで、身を守るものなど何もないのに、必死で魔王の青年に抱きつき、自分の体でかばっています。

「あっち行って! あっち行ってったら!」

 叫びながら、さらに強く青年を抱きしめます。

 すると、ポチがまた叫びました。

「フルート、早く!! ゼンの心臓の音が聞こえなくなってきた!!」

 泣き叫ぶような声です。

 海王の三つ子たちは、胸を撃ち抜かれて倒れたゼンを囲んで、どうして良いのかわからなくなっていました。癒しの魔法が発動しないのです。魔王が闇魔法で妨害しているせいだと、彼らは思いこんでいました。

 フルートは顔を歪めました。息を吸い込み、呼吸を止めると、唇を血がにじむほど強くかみしめて剣を振り下ろします。黒い大剣の刃が、人魚の背中を切り裂きます。

 とたんに、人魚は炎に包まれました。銀髪も、上着を着た上半身も、大きな魚の下半身も、たちまち燃え上がってしまいます。

 悲鳴を上げながら人魚は倒れました。その拍子にテーブルがひっくり返り、上に載ったチェス盤が駒ごと飛び散ります。

 床で燃え続ける人魚をフルートは飛び越えました。炎の赤い光が血のように鎧を染め、フルートの顔を照らします。勇者の少年はもう迷っていませんでした。魔王に飛びかかり、また剣を振り上げます――。

 

 その光景を、ゼンはこちら側から茫然と眺めていました。

 魔王に切りかかっていくフルートがはっきり見えます。いつも穏やかで優しい顔が、がらりと表情を変えていました。暗い怒りの影に縁取られているのです。敵をにらみつける目は冷たく燃えています。椅子に座ったままの魔王へ、ためらうことなく剣を振り下ろします。

 すると、ゼンの全身がいきなり燃えるように熱くなりました。悲鳴を上げて体を抱え、地面を転げ回ってしまいます。

「ツナガッタナ」

 デビルドラゴンが片手を伸ばすと、とたんにゼンから熱さが引きました。

 ゼンはあえぎながら座り込みました。体には火傷ひとつ負っていません。実際に燃えているのは、向こう側の光景にいる魔王でした。フルートの剣に切られて、炎を上げています。絶叫が響き渡ります。

 と、その声が急に変わり始めました。青年の声が、もっと若い声になったのです。フルートが、ぎょっとした表情になりました。ポチも全身の毛を逆立てて飛び上がり、燃える男を見つめます。

 火の中で青年が姿を変えていました。小柄な体がさらに小さくなり、がっしりした肩や背中の少年に変わっていきます。

 フルートとポチは息を呑みました。悲鳴のように叫びます。

「ゼン――!!」

 

 フルートの手から剣が落ちました。黒大理石の床の上で、大きな音を立てます。

「ワンワン! ゼン! ゼン――!?」

 小犬が狂ったように駆けてきて、炎に押し戻されました。火の中に飛び込んでいったのはフルートです。腕を伸ばして、燃えている友人を捕まえます。

 すると、抱きしめた腕の中で、ゼンが燃え尽きていきました。黒い炭になり、粉々に砕けて落ちていきます。炎が音もなく消えていきます。

 フルートは焼け跡に座り込みました。魔法の鎧を着ているので、フルート自身は熱さを感じないのです。燃えかすが散らばる床を見回し、信じられないように首を振ります。声を出すことさえできずにいます。他の者たちも、茫然と立ちつくします。

 すると、一同の後ろから声がしました。

「おみごと、勇者くん。ぼくの罠に綺麗にひっかかってくれたね」

 ついさっきまでもう一人のゼンがいた場所から、青年が立ち上がってきました。黒い服に黒いマント、丸い眼鏡……魔王です。そこに、胸を撃ち抜かれたゼンはもういません。

 死人より青ざめた顔になったフルートへ、魔王は言いました。

「そう、本物のぼくはこっちさ。ゼンは、たった今死んだよ。友だちの君の剣にかかってね。どうだい、友だちを殺す気分っていうのは? めったに味わえるものじゃないだろう?」

 青年は声を立てて笑い出しました。勝ち誇った、楽しそうな笑い声です。

 ポチがうなり声を上げて飛びかかりました。魔王の喉笛にかみつこうとしますが、それより早く、相手は姿を消してしまいました。高笑いが遠ざかっていきます。

 フルートはまだ座り込んでいました。呆けたように周りを見回し続けています。魔王が言ったとおりのことを自分はしてしまったのだ、と気がついたのです。鎧を着た体が激しく震え出します――。

 

「お、おい!」

 ゼンはあわててデビルドラゴンを振り向きました。闇の竜は、相変わらず長い黒髪の男の姿をしています。

「な、なんだよ、これ!? 俺がフルートに殺されたってのか!? でも、俺はこうして、ここでぴんぴんしてるじゃねえか! どういうことだよ!?」

「相変ワラズ察シガ悪イナ、ぜん」

 とデビルドラゴンが冷ややかに答えました。

「アレハ魔王ノ作戦ダ。オマエニモワカルヨウニ、時間ヲ進メテ見セテイルノダ」

「魔王の作戦? だが、なんで!? フルートに俺を殺させて、それでどうしようって言うんだよ!?」

「マダワカラナイノカ、ぜん? オマエハふるーとニトッテ、ナクテハナラナイ大切ナ親友ダ。ソノ親友ヲ、策ニハメラレテ手ニカケテシマッタラ、ふるーとガ何ヲスルカ、マダ想像ガツカナイノカ?」

 闇の竜のことばは、まるで謎かけのようです。フルートが何をするか? とゼンは考え――いきなりそれに気がついて飛び上がりました。向こう側にいるフルートへ叫びます。

「馬鹿野郎、フルート! 願うな! 願うんじゃねえ――!!」

 

 焼け跡に座り込んだフルートの体が赤く光り出していました。したたる血のような輝き――願い石の光です。

 全身を震わせながら、フルートは泣いていました。燃えていった親友の場所に涙を落とし、うめくようにつぶやきます。

「死なせるもんか……絶対に……絶対に、死なせるもんか……」

 赤い光が集まって、フルートの目の前で女性の姿になりました。表情のない顔で少年を見下ろして言います。

「私を呼んだな、フルート。そなたの願いを言うがいい。私は定めに従って、どんな願いであってもそれをかなえよう」

 

「願うなったら、この馬鹿!!」

 ゼンは向こう側の光景へ駆け出しました。自分の復活を願おうとするフルートを、力ずくで止めようとします。

 けれども、まるで見えない壁があるように、ゼンの体が跳ね返されました。フルートは願い石の精霊を見上げ続けています。

「よせ、フルート!!!」

 ゼンはまたどなりました。どんなに叫んでも、向こう側のフルートには聞こえません。

 すると、デビルドラゴンがまた話しかけてきました。

「ふるーとハ願イ石ニ、オマエノ甦リヲ願ウ。願イ石ハソレヲカナエルダロウ。ソウスレバ、ふるーとハ復活シタオマエニ殺サレル。ソレガ、人ノ再生ヲ願ッタ者ヘ必ズ訪レル結末ダ。勇者ハコノ世界カラ消エ、魔王ヲ止メラレル者ハ誰モイナクナル。――コレガアノ魔王ノ作戦ダ。アノ男ハ最初カラ、コウヤッテ危険ナ願イ石ヲ始末スルツモリデイタノダ」

「馬鹿な……」

 ゼンは歯ぎしりしました。なんとか親友を止めたいのに、ゼンにはどうすることもできません。

「我ノチカラヲ使ウカ、ぜん? 我ナラバ、アレヲ阻止スルコトモ可能ダゾ」

 闇の声と共に、ばさり、と羽音が聞こえてきました。黒髪の男の姿が崩れるように消えて、黒い影の竜に変わってきます。四枚の翼が大きく広がって羽ばたきを始めます。

 

 ゼンは吸い寄せられるようにそれを見つめ、すぐに我に返って飛びのきました。

「馬鹿野郎、その手に乗るか! てめえはいつだって願い石が邪魔なんだ! そのおまえが、願い石やフルートを守るようなことをするもんかよ! だいたい、てめえは今、魔王の中にいるんだから、その魔王を倒せるわけがねえ! 俺にだって、それくらいはわからぁ!」

「ソコマデ愚カデハナカッタトイウコトカ」

 と闇の竜は笑いながら言いました。影の翼は羽ばたきを繰り返しています。

「イズレニシテモ、オマエガ見テキタノハ、コレカラ起キルコトノ幻。本番ハコレカラダ。時間ガオマエニ追イツイテクル。アノ賢イ魔王ノ策略ヲ、身ヲモッテ味ワウガイイ――」

 声が遠ざかって竜が消えていきました。それと同時に、願い石の精霊やフルートの姿も消えていき、ぐるりと世界が回ります。

 思わず目を閉じ、また目を開けたとき、ゼンは岩屋の中の椅子に戻っていました。自分が黒い服を着ていることに気がつきます。また魔王の姿に戻っていたのです。

 銀髪の人魚がゼンに抱きついて叫んでいました。

「あっちへ行って! アムダ様には指一本さわらせないんだから!」

 その向こうには、炎の剣を振りかざしたフルートが立っています。時間ガオマエニ追イツイタ、本番ハコレカラダ――そんな竜の声がまた聞こえた気がします。

 ゼンを魔王と思いこんだフルートの前で、ゼンはまた、身動き一つできなくなってしまっていました。

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