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第13巻「海の王の戦い」

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第28章 策略

82.闇の竜

 ゼンは死なせない! と叫んでフルートが攻撃してきました。手にした剣を振り上げます。けれども、フルートが敵だと思い込んでいるのは、魔王に姿を変えられたゼンです。

 ゼンは椅子に座り続けていました。まるで魔弾を撃ち出そうとするように、片手をフルートに突きつけたまま、まったく動けなくなっています。声を出すこともできません。フルートが炎の魔剣を自分に振り上げるのを、青ざめながら見つめます。

 すると――フルートがためらいました。剣を振り上げたまま、ゼンの目の前で動きを止めます。その優しい顔は大きく歪んでいました。なんだか今にも泣き出してしまいそうな表情です。

 ゼンは心の中でありったけのことばを並べていました。馬鹿野郎、フルート! 気がつけよ! 俺はゼンだ! こんな恰好をしていたって俺なんだ! そんなこともわからねえのかよ――!?

 声が出せないなら唇の動きでことばを伝えようと思うのに、それさえできません。ゼンにできるのは、ただフルートを見つめることだけでした。想いのすべてをまなざしにこめて、親友に訴えようとします。

 とたんに、フルートがまた大きくためらいました。剣は振り上げたまま、まじまじとゼンを見つめ返し、やがて、いぶかしそうにつぶやきます。

「ゼン……?」

 ゼンは自分を抑える見えない力をなんとか振り切ろうとしました。ほんの少しでいいから声が出せれば。ほんのわずかでいいから体が動けば。ゼンは、ああ、と答え、うなずいて見せて、自分はゼンだと伝えることができるのです。椅子に座ったままの体の中で、必死にもがき暴れます。

 

 ところが、もう一人のゼンのそばから、ポチが叫びました。

「ワン、フルート、急いで! ゼンがもう息をしてない――!」

 人の感情を匂いで読み取れるはずの小犬が、血を流して倒れているゼンを、本物と思い込んでいました。魔王の魔法でだまされてしまっているのです。馬鹿犬、気づけよ! とゼンはまた心でわめきましたが、どれほど怒っても焦っても、ゼンの想いは小犬には伝わりません。

 フルートが、ぎくりとしました。また大きく顔を歪め、歯を食いしばって剣を強く握り直します。剣の切っ先は、今にも振り下ろされてきそうです。

 けれども、やっぱりフルートはためらいました。苦しそうな表情のまま、ゼンを見つめ続けます。その視線は何かを確かめようとしています……。

 すると、突然人魚がゼンに飛びついてきました。自分の体でかばうようにゼンを抱きしめ、フルートに向かって叫びます。

「だめっ! アムダ様を殺しちゃだめっ! そんなこと、あたしがさせないから!!」

 人魚もゼンを魔王だと思い込んでいました。無我夢中でゼンを抱きしめ、尻尾を激しく振って敵を追い払おうとします――。

 

 

「ナルホドナ」

 ゼンの真後ろで誰かが言いました。よく響く低い声です。

 ゼンはぎょっとして振り向きました。――体が動きました。それと同時に、いきなり自分の前から人魚やフルートたちの姿が消えてしまいます。

 ゼンの後ろにいたのは、長い黒髪の男でした。闇の色の長衣を身にまとい、片膝を抱えて座り込んでいます。高貴そうな顔立ちは、若いようにも、ひどく年取っているようにも見えます。

 すると、男がまた言いました。

「我ガ誰カ、ワカラナイノカ、ぜん。以前、コノ姿デ会ッタコトモアッタダロウ」

 座ってゼンを見上げている男は、血のように赤い瞳をしていました。声にも聞き覚えがあります。いつもは地の底から這い上がるように話しかけてくる声です――。

「デビルドラゴン!!」

 とゼンは飛び上がりました。前にどこで会ったのかも思い出します。闇の声の戦いの最終決戦の時、ゼンは闇に捕らえられ、人の姿になったデビルドラゴンと話をしたのです。ポポロを自分のものにしたければ、フルートを裏切れ、と誘いかけられました。ゼンはもう少しで心まで明け渡しそうになって、やっとのことで撃退したのです……。

 

 全身が恐怖に総毛立っていくのを、ゼンは感じていました。男の前から後ずさりながら、わめきます。

「な――なんの用だ!? 俺はもうおまえの誘惑なんかには乗らねえぞ! とっととあっちへ行け!」

「我ハ、我ヲ受ケイレタ者ニシカ取リ憑ケナイ。オマエハ我ヲ拒ンダ、ぜん。ソノ気持チガ変ワラナイ限リ、我ハオマエニハチカラヲ貸セナイ」

 と人間の姿をしたデビルドラゴンが答えました。その顔は非常に整っていて、気品と風格さえ漂わせています。それが闇の竜の化身だと知らなければ、どこかの国の王と勘違いしそうなほどです。

 ゼンはわめき続けました。

「誰が闇の力なんか借りるか! あっちへ行けって言ってんだよ! 貴様に用なんてねえや!」

 すると、デビルドラゴンが笑いました。赤い目を細め、ぞっとするほど美しい微笑を口元に浮かべます。

「我モオマエニ用ガアルワケデハナイ、ぜん。タダ、アノ魔王ガ何ヲ考エテイタノカ、ヤットワカッタト言ッテイルダケダ」

「魔王が考えていたこと――?」

 ゼンは思わず相手を見つめ直しました。男が両足首に太い銀の輪をつけていることに気がつきます。輪から銀の鎖が伸びていますが、鎖は途中で透き通って見えなくなっていました。まるでどこか遠い場所につながれている囚人のようです。

「ソウ、我ノ体ハコノ世界ノ果テニ、ツナギトメラレテイル」

 とデビルドラゴンはゼンの心を読んで答えました。

「ダカラ、イツモ影ノ姿デ現レルノダ。オマエヤふるーとホドノ人間ガ我ニ体ヲ与エレバ、我ノ実体モ、コノ世界ニ出現デキルノダガナ」

 人の姿をしていても、闇の竜の声は変わりません。どこかでほくそ笑みながら、誘うように話しかけてきます。

 

 ゼンは地団駄を踏んで、どなり続けました。

「俺はもう絶対にフルートを裏切らねえんだよ! たとえ何があっても! 俺が死んでもだ!!」

「ソノヨウダナ」

 人の姿をとった竜が、また笑います。

「ダカラ、今、オマエハ親友ノふるーとノ剣ニカカッテ、殺サレヨウトシテイル。アノ魔王ガ狙ッテイタノハ、ソレダ。オマエタチヲ自分ノ元ヘ誘イ込ンデ、ぜんト入レ替ワリ、オマエヲ魔王ト思イコンダふるーとニ、オマエヲ殺サセヨウトシテイルノダ」

 ゼンは驚きました。

「なんのために!?」

 単にゼンを殺すのが目的ならば、こんな面倒な方法をとる必要はないはずです。

 すると、竜は血の色の目をゼンの後ろへ向けました。何かを見つめながら言います。

「ソレガ、アノ魔王ノ作戦ダカラダ。ふるーとハ、オマエノ正体ニ気ヅキカケタ。観察力ガアル勇者ダカラナ。ダガ、人魚ガオマエヲ守ロウトシタノデ、考エヲ改メタ。ふるーとハモウ、オマエヲ疑ワナイ。オマエヲ魔王ト信ジテ殺ソウトスルダロウ。他デモナイ、親友ノオマエヲ助ケヨウトシテナ」

「だから――なんのためにって聞いてんだよ!!」

 ゼンはどうしようもなく焦っていました。ゼンの単純な頭では、魔王の作戦がどんなものなのか、読み解くことはできません。ただ、ひどく嫌な予感がしていました。自分がフルートに殺されるだけでなく、もっと悪い何かが起きてきそうな気がして、首筋の後ろがちくちく痛みます。

 人の姿の竜が、薄ら笑いを浮かべました。陰険なのに、本当に美しい微笑です。

「ぜんニ、コトバデソレヲワカラセルノハ難シイナ。コノ後ドウナッテイクカ、見セテヤルコトニシヨウ」

 黒い衣を着た腕を伸ばし、さっと横へ振ります。まるで魔法を使うときのポポロのようです。

 

 すると、ゼンとデビルドラゴンの前にまた岩屋が見えてきました。さっきと同じ光景が戻ってきます。

 血を流して死にかけている、もう一人のゼン――そのそばで半狂乱になっているポチ、周りに集まって茫然とする三つ子たちとシィとカイ――炎の剣を振り上げているフルート――椅子に座った魔王の姿も現れました。魔王の膝には人魚がしがみついています。

 とまどうゼンに竜が言いました。

「アレハ今ノ岩屋ノ様子ダ。魔王ニナッテイルノハ、ぜん。ぜんノ姿ヲシテイルノハ魔王。ソレヲハッキリ覚エテオイテ、何ガ起キテクルカ確カメルガイイ」

 すると、光景が動き出して、声が聞こえてきました。

「アムダ様を殺しちゃだめっ! そんなこと、あたしがさせないから!!」

 銀髪の人魚が飛び上がり、ゼンが変身した魔王に抱きついて、剣からかばったのでした――。

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