「金の石! 金の石!」
フルートは魔石に呼びかけました。
石は輝きを失って灰色に変わっています。魔王の結界を打ち消すために、力を使いすぎたのです。けれども、フルートが呼び続けると、その表面に、ぼんやりと金色が戻ってきました。
「金の石――!!」
フルートは必死で呼び続けます。
すると、いきなりポチがまた振り向きました。
「ワン、危ない!」
そこに立っていたのはゼン一人だけでした。地面から黒い大蛇が飛び出して、襲いかかってきたのです。巨大な口を開け、ばくりとゼンを呑み込むと、そのまままた地面に潜ってしまいます。本当に、一瞬のできごとでした。
「ゼン!!!」
仲間たちは仰天して駆けつけました。金の石が弱々しく明滅を繰り返すのを見て、フルートが言います。
「闇の怪物だ! 金の石が弱ったのを見て襲いかかってきたんだ!」
黒い大蛇が消えた場所に、蛇が潜った痕は残っていませんでした。クリスやザフが地面に手を向けて魔法を繰り出しますが、表面の土や石がいくらか吹き飛んだだけで、蛇はどこにも見当たりません。フルートたちは思わず立ちつくしました。
すると、黒い大蛇がまたいきなり地面から現れました。太く長い体で、のたうちながら斜面を転げ回り、やがて、ぐったりと伸びてしまいます。その体の中から剣の切っ先が突き出てきて、腹を切り裂きました。ゼンが無傷で飛び出してきます。
「ったく! こう何度も敵に食われるなんて、やってられるか! 俺は餌じゃねえ!」
わめきながら、手にしたショートソードで大蛇の頭を切り落とし、フルートたちを振り向きます。
「おい、早くこいつを始末しろよ! 闇の怪物だから、放っておくと復活してくるぞ!」
ぽかんとしていた三つ子たちが、我に返って魔法を繰り出しましたが、闇の蛇は消せませんでした。海から離れた上に、結界で力を奪われたので、魔力が弱ってしまったのです。フルートが炎の剣を振って蛇を焼き尽くし、改めて友人に笑いかけます。
「やっぱりゼンだな。何があっても絶対にやられないんだから」
へっ、とゼンも笑い返しました。
「俺を誰だと思ってる。渦王の後継者だぜ。あの程度のことでどうにかなるもんかよ」
自信たっぷりの調子に、ポチが、あれあれ、という顔をします。
「さあ、渦王たちを助け出そうぜ! 魔王の結界は消えたみたいだからな。今なら渦王たちのそばに行けるぞ」
とゼンが言ったので、彼らはまた山頂を見ました。渦王とアルバが絶壁に囚われています――。
その時、声が響きました。
「行かせないぞ! 君たちはここで死ぬんだ!」
魔王の青年の声です。同時に、彼らの足下が揺れ始めました。山鳴りと共に地面が動き、次第に激しくなっていきます。フルートたちは立っていられなくなって、その場にしゃがみ込みました。体が前後左右に振り回されます。
「ワン、こ、これは普通の地震じゃない――」
とポチが言いかけたとき、いきなり彼らの下で地面が裂けました。山の斜面が陥没して、大きな亀裂が現れたのです。あっという間に彼らを呑み込んでしまいます。
亀裂の中は絶壁になっていました。どこまでも深く続いていて、底が見えません。その中を真っ逆さまに落ちながら、ゼンが言いました。
「おい、やばいぞ! この亀裂、山の一番下まで続いているんじゃねえのか!?」
フルートも落ちながら同じことを考えていました。魔王が魔法で作った亀裂なのです。下手をすれば、山の高さと同じだけの深さがあるかもしれません。
その周囲で三つ子たちが必死に手を振っていました。魔法で落下を止めようとしているのですが、魔法がまったく発動しません。ポチも風の犬に変身しようとしましたが、やはり姿は変わりませんでした。亀裂の中は魔王の支配下にあるのです。
フルートの手の中で、金の石がぼんやりと光り続けていました。暗闇に沈んだ亀裂の中、見えるのは石の金の輝きだけです。フルートはそれへ呼びかけました。
「金の石! 頼む――!」
魔法の鎧兜を着たフルートはともかく、仲間たちはこの高さから落ちたら絶対に助かりません。みんなを守ってくれ! と守りの魔石に強く念じます。
すると、金の輝きが強まり、彼らを光で包み込みました。体がふわりと浮き上がったように感じます。実際には、まだ落ち続けているのですが、その速度が鈍ったのです。どんどん墜落の速度が遅くなり、やがて、ほとんど停止した状態になります。
そこはもう亀裂の終点でした。むき出しの岩の底がすぐ下に見えています。かろうじて激突をまぬがれて、一同がほっとしたとたん、突然金の光が消えました。あたりが真っ暗闇になり、全員が折り重なるようにして地底に落ちます。
その衝撃で岩が崩れて穴が開き、さらに下へと落ちていきます――。
一同が落ちたのは、四角い部屋の中でした。天井と壁は白っぽい岩でできていますが、床は鏡のように磨き上げられた黒大理石です。その真ん中に岩と一緒に落ちていったのですが、岩は床にあたると崩れて砂になりました。非常にもろい岩だったのです。フルートたちが床に投げ出されます。
すると、金切り声が部屋中に響き渡りました。
「やだ! あんたたち、いったいどこから入ってきたのよ!?」
部屋の片隅にテーブルがあって、その前に人魚の少女がいました。長い銀髪を垂らして短い上着を着ています。その後ろの椅子には、黒衣に黒いマントの青年が座っていました。眼鏡の奥で目を見張って、やはり驚いた顔をしています。
フルートたちはいっせいに跳ね起きて身構えました。彼らは山の頂上から、山の真下にあった魔王の岩屋まで落ちてきたのです。
ゼンがショートソードを手にどなりました。
「こんなところにいやがったな、魔王! 今度こそ、てめえを殺してやる! 覚悟しやがれ!」
誰よりも早く飛び出して、青年に切りかかっていきます。人魚の少女が悲鳴を上げて青年にしがみつきます。
すると、青年は何も言わずに片手を上げました。走っていくゼンの全身から、青い胸当てや盾、弓矢といった防具が外れ、音を立てて床に落ちます。魔王の魔法で、装備を解かれてしまったのです。
けれども、それでもゼンは停まりませんでした。握っていたショートソードを振りかざし、青年へ切りつけていきます。
フルートは思わず叫びました。
「ゼン、よせ!!」
魔王の青年はまだ片手を上げ続けていました。その手のひらから黒い魔法の弾が撃ち出されてきます――。
魔弾がゼンにまともに当たりました。
防具をつけていない胸の真ん中を貫いていきます。
ゼンが少しよろめいて、立ち止まりました。ぽっかりと穴の開いた自分の胸を、驚いたように見下ろします。
とたんに、その傷口から鮮血が噴き出しました。
激しく咳き込み、口からも血を吐きます。
ゼンはその場にうずくまり、咳をし続けました。そのたびに大量の血が傷と口からほとばしります。そのまま、崩れるように倒れていきます――。
フルートは悲鳴を上げて駆け寄りました。
親友を抱き起こそうとして、その傷の大きさに手を止めてしまいます。傷口からは血があふれ続けています。ぐずぐずしていたら、あっという間に失血死してしまいす。
フルートは手にまだペンダントを握り続けていました。それをすぐにゼンに押し当てますが、傷はふさがりませんでした。魔王の結界を消滅させ、今また、墜落するフルートたちを衝突から守って、力を完全に使い果たしてしまったのです。灰色の石ころになってしまった金の石に、癒しの力はありません。
「ワンワン、ゼン! ゼン!!」
ポチが駆けつけました。三つ子たちや、シィやカイも駆け寄ってきます。三つ子たちがそれぞれに手を伸ばし、ゼンに癒しの魔法をかけようとしましたが、やはり血は止まりません。ペルラが言います。
「魔王よ! あいつが魔法を妨害しているのよ!」
青年は椅子に座り続けていました。まだ片手を上げています。今度はフルートたちに魔弾を繰り出そうとしているのです。
ポチがまた叫びました。
「ワン、魔王を倒せば! そうすれば、癒しの魔法でゼンが助かるんだ――!」
フルートは思わず息を呑みました。もう一方の手に握っていた剣を見つめます。ひとかすりでもすれば敵を燃やし尽くすことができる、火の魔剣です。冷たい汗がどっと噴き出してきます。
ゼンは目に見えて弱っていました。もう咳をする力も残っていません。自分が流した血の海の中で、次第にぐったりとしていきます。
フルートは青ざめた顔を上げました。ペンダントをゼンの体の上に残したまま、立ち上がります。その金の鎧兜にも、友人の血しぶきが飛んでいます。
そして、フルートは剣を握り直しました。冷たい汗に濡れた両手で柄を強く握りしめ、魔王に向かって駆け出します。
「ゼンは――ゼンは、死なせない――!!」
フルートはそう叫んで剣を振り上げました。