崩れて潰れた海底の通路で、メールとポポロとルル、そして黒犬のマーレは無事でいました。通路の天井や壁は大小の岩になって、メールたちの周囲に重なり合っています。彼女たちの上にも落ちてきたのですが、それは途中で停まっていました。たくさんの海草が床から伸びて枝を広げ、海草の網を作って瓦礫を受け止めたのです。水中で揺らめく色鮮やかな海草は、まるで地上に咲く花のようです。
頭上に広がる海草の天井を見上げて、メールが茫然としていました。
「ホントに操れた……海草たちを……」
ルルが驚いて聞き返しました。
「これ、あなたがやっているの、メール? だって、海草は花じゃないでしょう。それなのにどうして操れたの?」
海草に花は咲きません。けれども、海草の葉は赤や緑、茶色や黄緑と色とりどりで、本当に花のように見えています。メールはまだ茫然としながら答えました。
「あたい……とっさに海草を呼んでたんだよ。海の花たち、助けとくれ、って……。この通路や庭の海草って、本当に花みたいに見えるから、ひょっとしたら、って思ったんだけどさ。でも、まさか本当に来てくれるなんて……」
どれほどメールが半信半疑でいても、海草たちはメールたちを守り続けていました。葉と葉を絡み合わせた海草の網を、岩は突き抜けることができません。
すると、ポポロが言いました。
「そういえば、あたし、エルフのおじさんから教えてもらったことがあるわ……。花を支えている萼(がく)が大きな花のようになったり、葉っぱが綺麗な花のように色と形を変えている植物は多いんですって。でも、そういうものだって、メールが呼びかけるといつも飛んできて助けてくれるし、蔓や枝だって伸ばしてくれるわ。きっとメールには、花だけじゃなく、植物全体に呼びかける力があるのよ。海草だって植物なんでしょう? だから、メールの言うことを聞いてくれたんだわ」
メールはますます驚いた顔になりました。
「た、確かにさ、森の民には植物全体に働きかける力があるんだよ。あたいも木や草の声を聞くことはできるし、森の長のおじいさまなんて、花だけでなく、木や草だって動かすことができるしさ。でも、そのおじいさまにだって、海の海草を使うことはできないよ。そんな力の話、今まで聞いたこともなかった」
「それはやっぱりメールが海の民の血も引いているからよね……。それに、地上の植物も元は海草だったんだ、ってメールも言っていたでしょう。そういうことなんだわ」
「ふぅん。つまり、メールは陸と海の両方の植物を操れるってわけね。すごいじゃない」
とルルも感心します。
メールはとまどい続けました。海と陸、まるで違った世界に見えるのに、そこには同じ植物があり、同じように美しく生い茂っています。そして、メールの声を聞いてくれるのです。海と陸の違いを超えて。
その時、メールは急にこんな会話を思い出しました。
「親父たちに言われるぜ。地面の中でも地上でも空でも、世界はみんな同じなんだ、って。同じものでできていて、同じものを持っている。だから、地面の中にだって星空はあるし、空にだって大地はあるんだとよ」
赤いドワーフの戦いの時に、星空のようにきらめく岩屋の天井を見上げて、ゼンが言ったことばです。自分の返事も思い出します。
「あたいたちの海もそうなのかな……? 海も、やっぱり大地や空と同じなんだろうか?」
「あったりまえだ」
とゼンが笑います――。
また大事な何かが心をよぎっていった気がして、メールは目をぱちくりさせました。なんだろう、と考えますが、もうどこかへ紛れてしまって、確かめることはできません。
ただ、ゼンの笑顔と声だけが、いつまでも脳裏に残っていました。笑いながら繰り返し言っています。世界はみんな同じだ。大地も空も海も、みんな同じものなんだぜ、と……。
その時、黒犬のマーレが言いました。
「岩に押しつぶされなかったのは良かったけれど、ここから先どうしましょうか? 身動きできませんよ」
彼らは通路の真ん中で立ち往生していました。彼らのいる場所は伸びた海草で支えられていますが、その前後は崩れ落ちてきた岩でいっぱいで、前に進むことも後戻りすることも、まったくできなかったのです。少女たちの細腕では、岩を取りのけることも不可能です。
すると、ポポロが顔を上げました。海草と積み重なった岩でできた天井の、さらにその向こうへと、はるかなまなざしを向けます。
「フルートたちの様子が見えるの?」
とルルが尋ねると、ポポロは、ううん、と首を振りました。
「このあたりは地上も海の中も魔王の支配下なのね。全然透視ができないわ……。ただ、予感がするのよ。フルートたちはきっと、渦王たちのすぐそばまで来てるんだわ。もうじき決戦が始まる……そんな気がするの」
もう! とメールは声を上げました。早く魔王のところへ行かなくては、と思うのに、海草の花は岩を支えるのがやっとで、それ以上のことはできません。ルルも思わず岩の床に爪を立てました。
「こんなところでぐずぐずしてなんて、いられないじゃない! フルートもゼンもポチも――みんな、魔王と戦い始めちゃうわよ! 私たちがいないのに! そんな馬鹿なことってないじゃない!」
苛立ちが少女たちと犬たちを包みます。
すると、ポポロが言いました。
「しかたないわ。決戦のために残しておきたかったんだけれど――フルートたちのところへ行くのが間に合わなかったら、どうしようもないものね。あたしが、通路を開くわ」
えっ、とメールは驚きました。黒犬のマーレも、意味がわからなくてポポロを見上げます。
黒衣の少女が両手を高く上げました。行く手をふさぐ瓦礫の壁を見つめながら、細く高い声で呪文を唱えます。
「ケラーヒヨロウツデマートソノキレーガ!」
同時に両手をさっと振り下ろすと、華奢な指先から光がほとばしりました。水中をまっすぐに突き進み、瓦礫の壁にぶつかります。
とたんに、ドン、ドン、ドン、と爆発するような音が立て続けに響き、通路が大揺れに揺れました。泡と泥で水がにごって、何も見えなくなってしまいます。
けれども、音がやむと、風が吹くように、通路にさーっと海水が流れ込んできました。泡や泥を押し流していきます。その痕に現れたのは、岩が消えてまたトンネルになった通路です――。
メールはぽかんとしました。黒犬のマーレも驚いています。
「すごい魔力だ。ザフやペルラたちとは比べものにならない。これが天空の魔法使いの力なのか」
「さあ、急ぎましょう」
とポポロが通路へ進もうとしたので、メールはあわてて引き止めました。
「ちょ、ちょっと待ちなよ、ポポロ! あんた、今日の魔法はもう使い切ってたはずだろ? どうしてもう一度使えたのさ!?」
「え? あたし、今日はまだ一回しか魔法を使ってないわよ。浅瀬で怪物のウンディーネを倒したときに。魔法はもうひとつ残っていたの」
その答えに、メールはますます面食らいました。
ポポロがウンディーネを倒した直後、弱って意識を失っていたメールは突然正気に返りました。それもポポロの魔法のおかげだよ、とゼンやフルートは言っていたのですが、そうではなかったことになります。
「じゃ……誰さ、あたいのことを起こしてくれたのは……?」
メールはつぶやくように言いました。いくら考えてもわかりません。
すると、ルルが苛立ちながら言いました。
「早く! 急がないと通路が消えちゃうわよ! ポポロの魔法は二、三分しか効かないんだから!」
あっ、とメールも気がつきました。ポポロの手をつかむと、通路へ飛び込んで泳ぎ始めます。その後を追って、ルルとマーレの二匹も走っていきます。やがて、その姿は通路の向こうに消えていき――突然、通路がまた瓦礫の山に戻りました。ポポロの魔法が切れたのです。
再び誰も通れなくなったトンネルの奥で、人魚の庭だけが、差し込む光に明るく揺らめいていました……。