海底に口を開けたトンネルにメールとポポロ、犬の姿のルルとマーレが踏み込むと、暗がりが彼らを包みました。両側に岩壁があるのはわかりますが、行く手は闇に沈んでいます。その闇のところどころに、ぼんやりした光の塊が見えていました。苔のような海草が壁のくぼみに寄り集まって、弱い光を放っているのです。それが通路の灯り代わりでした。
「ずいぶん暗いね」
とメールが顔をしかめながら言いました。暗い海底のトンネルは、彼女の大嫌いな地下を連想させますが、懸命に恐怖をこらえます。
黒犬のマーレが、くんくん、と水の中の匂いをかいで言いました。
「この通路からはあの人魚の匂いがしますよ、メール姫。やっぱりここは魔王のところへ通じる道なんだ」
「でも、ずいぶん複雑そうよ。道がいくつにも枝分かれしているわ」
とルルが行く手を見透かしながら言いました。犬の彼女は、薄暗がりの中でもメールたちより目が効きます。
「ぼくが匂いをたどりましょう。任せて。匂いを追いかけるのは得意なんだ。人魚の匂いと一緒にザフの匂いも残っているから、絶対間違えませんよ」
とマーレは言って、先頭に立って進み始めました。その後にメール、ポポロ、ルルが続きます。犬たちは自分の足で通路の中を歩いていきますが、メールはポポロの手を引いて、通路の中を泳いでいきました。彼女たちには低すぎる通路なので、泳いでいった方が楽だったのです。
しばらく進むと通路が急に広くなり、部屋のような場所に出ました。ここにも壁に光る海草があって、全体をぼんやり照らし出しています。黒い岩壁のあちこちに穴が開いていたので、少女たちはとまどいました。
「なにこれ? 全部トンネルの続き?」
「のぞいても先が見えない。まるで迷路じゃないのさ。どれを選べばいいんだい!」
ルルとメールが騒ぎ出したので、ポポロが魔法使いの目で行く手を確かめようとすると、マーレが穴の匂いをかいで言いました。
「この穴だ。他の穴にも人魚の匂いはあるけれど、ザフの匂いはここにしか残っていないからね」
と再びトンネルの中に入っていきます――。
海底のトンネルには、そんなふうにいくつもの部屋がありました。部屋と部屋がトンネルでつながって、蜂の巣状に広がっていたのです。それをいくつも通り抜けるうちに、突然、海水が半分ほどしか溜まっていない部屋に出ました。水面の上にあるのは空気です。いつの間にか、海面と同じ高さまで上ってきたのです。
この部屋にも、トンネルになった穴はいくつもありました。水の下で口を開けていますが、その中のひとつから水が流れ込んでは、また出ていきます。それを体の毛で感じながら、マーレが言いました。
「どうやら、このトンネルは、そう遠くない場所で外の海につながっているようですね。外で波が押し寄せるたびに、この部屋まで海水が流れ込んでくるんですよ」
海水の流れに乗って、小魚の群れも部屋に出入りしていましたが、魚の戦士たちではないので、ことばは通じません。
すると、ポポロが急に、あら! と声を上げて、水が流れる出入り口を指さしました。
「見て、あれ! 花が咲いてるわ――!」
仲間たちが驚いてそちらを見ると、色とりどりの植物が目に飛び込んできました。完全に水に沈んでいる場所なのに、出入り口の向こう側が明るくなって、部屋のすぐそばまで植物が生えていたのです。
けれども、すぐにメールが、なぁんだ、と言いました。
「あれは花じゃなくて海草だよ。海の中にだって、海草の森や草原はあるのさ。いろんな色の海草があるから、まるで花みたいに見えるだろ?」
すると、ポポロが言いました。
「ほんとうに花みたい……。それに、ねえ、あの向こう、なんだか庭みたいよ。あの海草は誰かがあそこに植えたんじゃないかしら?」
そこで、一同は明るい通路の向こう側へ行ってみました。通路には天井の岩の隙間から光が差し込んでいます。その先の部屋に行くと、そこにもいたるところに日の光が降りそそいでいました。部屋は完全に水没していますが、天井や岩壁に割れ目や隙間があって、日差しが海水を通して中まで入り込んでいるのです。
床には細かい金の砂が敷き詰められていて、色とりどりの海草が揺れていました。背の高い海草、低い海草、大きく広がった海草、華やかな色合いの海草……本当に、木や草花を植えた地上の庭のようです。色鮮やかなイソギンチャクが部屋を飾り、小さな魚たちが小鳥のように泳ぎ回っています。
海草の間にテーブルと椅子まで置かれているのを見て、一同は呆気にとられました。その上では、木のように背の高い海草が緑の枝を広げています。
「これって本当に庭だわ。誰かが海の中に庭を造ったのね」
とルルが言ったので、メールが答えました。
「きっと例の人魚だよ。人魚たちは海底に自分の庭を造るんだ。あたいも実物を見たのは初めてだけど、好きなものをありったけ集めて庭を飾るらしいよ。時には海に引きずり込んで殺した人間を飾ることもあるってさ」
仲間たちは思わず顔をしかめました。美しい庭には似合わない話です。
庭になった部屋の壁にも穴があって、そこから海水が出入りしていました。水の流れは風のように海草の葉や梢を揺らします。それは、地上に作られた庭に本当によく似た光景でした。
「海草って、海の中だと木や花にそっくりに見えるのね。あたし、今まで全然知らなかったわ……」
とポポロが言いました。海中に来た経験があまりなかったので、物珍しい光景に、つい夢中になってしまいます。メールがまた言いました。
「それはそうさ。地上の植物は、元はみんな海草だったんだよ。海から陸に上がって、陸上でも生きられるようになったのが、地上の木や草や花なのさ。元は同じものなんだ――」
メールはふっと口をつぐみました。何かが心の中をよぎっていったのです。大切な何かが一瞬姿を現しかけた気がします。
けれども、それは捕まえる前にどこかへ過ぎ去ってしまいました。自分が何に気がつきかけたのか、自分でもわからなくて、メールは首をひねりました……。
その時、砂の上に立って庭を眺めていたマーレが、皆を呼びました。
「ちょっと来てください! 変なものがあるんです――!」
変なもの? と皆が集まると、黒犬は海草の植え込みの間を示しました。大きな白い貝殻が、まるで庭を飾る彫刻か石碑のように置かれています。その上に金色の模様があるのを見て、ポポロは首をかしげました。
「これは……文字?」
見知らぬ文字なので、ポポロには読むことができません。
すると、メールが顔色を変えて言いました。
「人魚の文字だよ。『金の石の勇者』って書いてあるんだ。なにさ、これ?」
「こっちにもあるんです」
とマーレが別の貝殻のところへ走りました。やはり金の文字が表面に書かれています。
「渦王」
とメールがまたその文字を読みます。渦王の島で人魚と関わることが多かったメールは、人魚たちの文字を読むことができたのです。
「ここにもあったわ。これは?」
とルルがまた別の貝殻の前で呼びます。
「こっちは『ゼン』――本当に、なにさ、これ!?」
仲間たちや父の名前の記された貝殻。それが意味ありげに置かれている庭を、青ざめながら見回します。
すると、マーレが言いました。
「こっちには、『海王の三つ子たち』って書かれた貝殻もあるんですよ。……さっき、メール姫がおっしゃっていたとおりです。きっと、ここは彼らの死体を飾るための場所なんだ。ザフたちが魔王と戦って敗れたら、その死体をここに持ってくるつもりなんですよ!」
少女たちは真っ青になりました。ポポロが「金の石の勇者」と書かれた貝殻の前で震え出します。
「そんな――そんなこと、させるもんか! 絶対にさせるかい!!」
メールが思わず叫んだときです。
彼らが入ってきた通路から、突然声がしました。
「誰、そこにいるのは!?」
通路から庭に人魚が飛び込んできました。長い銀髪に短い上着を着た、美しい少女です。庭にいるメールたちを見て、金切り声を上げます。
「ちょっと、なによあんたたち! あたしの庭に勝手に入らないでよ――!!」
彼らは、まったく思いがけなく、人魚のシュアナと遭遇してしまったのでした。