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第13巻「海の王の戦い」

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74.シードッグ

 入り江の最果ての浅瀬で、メールはずっと砂浜とその向こうの山をにらみ続けていました。ゼンたちが上陸して山に姿を消してから、もう小一時間が過ぎましたが、立ちつくしたまま、どこへも移動しようとはしません。さっきまで一緒にいたギルマンも、もう海中の部隊へ戻ってしまって、そばにはポポロとルルだけがいるだけでした。

 どんなに目を凝らしても、メールには山の様子はわかりません。そこへ入っていったゼンたちの姿も見えません。メールは悔し涙を流し続けていました。熱い涙の粒が頬を伝って波の上に落ちます。

 一方、ルルはさっきから妙にいらいらしていました。浅瀬に立って、怒ったようにポポロに言います。

「ねえ、彼らの様子は見えないの? あなたの魔法使いの目なら、山の中も見通せるはずでしょう!?」

「だめなの……。山に闇の結界が張られていて、何も見えないのよ。魔王のしわざだわ……」

 涙ぐみながらポポロが答えます。ポポロはポポロで、さっきからずっと胸騒ぎが止まらずにいたのです。結界にさえぎられて、魔法使いの声もフルートたちには届きません。その闇の向こうで、彼らが大変な目に遭っているような気がして、不安でたまりません。

 

 すると、突然陸のほうから大きな音が聞こえてきました。砂浜に面した山の左側で、斜面が突然崩れて、川のように流れ出していました。木が次々と倒れ、土煙と共に山を下り始めます。

「ゼン!!」

 メールは悲鳴を上げました。魔王の攻撃だと即座に気がついたのです。砂浜に向かって駆け出します。

 ポポロはあわててメールに飛びつきました。腕を回して懸命に引き止めます。

「だめ! だめよ、メール! あそこに行ったら、あなたが死んじゃう――!」

「そんなのかまうもんか! 放しなよ、ポポロ!!」

 メールはしゃにむに暴れましたが、何度も倒れて弱っているメールには、いつもの力がありませんでした。華奢なポポロを振り切ることができません。

 その間に山は崩れ続けました。土煙の上がる場所がみるみる下へ移動して、やがて麓まで流れてきます。白い小さな砂浜が山からの土砂で半分近くも埋まってしまいます……。

「ゼン――!!」

 メールは泣きながら呼びました。土煙がおさまっても、山の麓や砂浜に人らしい姿は見えません。

 

 少女たちが茫然と立ちすくんでいると、ふいに海底から声が聞こえてきました。アォーン……アォォォーン……と尾を引くように長く響きます。

 ルルが飛び上がって振り向きました。

「犬の声よ! でも、なんで海底から――!?」

 犬の遠吠えは続きます。何かを必死に呼んでいるようです。

 ポポロは声のするほうをじっと見つめ、やがて驚いたよう言いました。

「海底に犬がいるわよ。でも、ただの犬じゃないわ。ものすごく大きくて、後足が魚の尻尾になってるの。犬の体の部分は真っ黒よ。鎖でつながれてるわ」

「マーレだ! ザフのシードッグだよ! こんなところにいたんだ!」

 とメールが叫びます。

 ザフが先走って魔王の捕虜になったとき、シードッグのマーレも一緒に捕まって、海底につながれてしまいました。それがこの場所だったのです。

 遠吠えはやみません。ルルがまた言いました。

「呼んでるわ、自分の主人を。ザフって言うの? 危険に巻き込まれたのを感じたんだわ」

 とまた崩れ落ちた山を見ます。

「行こう! 助けてやんなくちゃ!」

 とメールは言い、先に立って海へ潜っていきました。

 

 海の中に潜ると、浅瀬はまるで地上の丘のようでした。海底からせり上がって、地上の山や砂浜に続いているのがわかります。その丘のふもとに黒いシードッグがいました。海底の大きな岩に太い鎖と首輪でつながれています。

 メールはポポロの手を引いて海中を泳いでいました。ポポロは片腕にルルを抱いています。魚のように泳ぎ寄ってくる一行に、黒いシードッグが声を上げました。

「メール様! 早くこれを外してください! ザフが――ザフが大変なんだ!」

 人間の青年の声だったので、ルルが、あら、という顔をします。

「もの言う犬なのね。風の犬みたい」

「風の犬と同じように普通の犬にも変身できるよ。――マーレ、大丈夫かい? 怪我は?」

「ありません。お願いです、早くこれを外して! ザフの悲鳴が聞こえたんだ! ザフに何か起きたんです!」

「山崩れに巻き込まれたんだよ。ゼンたちと一緒に、父上やアルバを助け出しに行こうとして……」

 言いながらメールは海底に降り立ち、シードッグに駆け寄りました。鎖を外そうと首輪を引っ張りますが、首輪はどこにも留め具がなくて、外すことができません。

 ルルが言いました。

「闇の匂いがするわよ、それ。闇の首輪ってわけじゃないけど。きっと、魔王が魔法で首輪を外れないようにしてるのね」

 少女たちは困り果てました。首輪も鎖も太くて、少女たちの力ではどうすることもできません。

「あたしが魔法を使えば外れると思うんだけど……」

 とポポロが泣きそうな顔で言ったので、メールがすぐに答えました。

「今日の魔法は使い切っちゃったんだろ? あたいたちを助けてくれるためにさ。でも、明日までなんて待てないよね。なんとかこれを外す方法ってないのかな。ギルマンたちに知らせて魔法戦士を呼んだら、なんとかなるかな」

 めまぐるしく考えながらそう言っていると、シードッグのマーレが言いました。

「ぼくの海の首輪を外してもらえたら、ぼくは普通の犬になるから、ここから抜け出せます。でも、海の首輪はザフたちにしか外せないんです」

 それを聞いてルルはまた驚きました。

「シードッグって、本当に風の犬に似てるのね。私たちもそうよ。風の犬に変身しているときに首輪を外せるのは、魔力を持つ人か、仲間と信頼している人たちだけだもの。他の人たちは首輪に触れることもできないわ」

「あたいじゃダメかい、マーレ? あたいはザフたちの従姉妹だよ」

 とメールが言って、太い首輪の下にある、海の首輪へ手を伸ばしました。海の首輪は青い糸を編んだ上に透明な石をはめ込んであって、ポチやルルがつけている風の首輪によく似ています。こちらの首輪には留め具がありました。そこを二、三度動かすと、青い首輪がぽろりと外れます。

 とたんに、シードッグの巨大な体が縮み始めました。一匹の黒犬に変わって太い首輪をすり抜け、沈むように海底に着地します――。

 

 マーレは黒い尻尾を大きく振って言いました。

「ありがとう、メール様! もう一度海の首輪をぼくにつけてください! ザフたちを助けに行こう!」

 張り切る黒犬に、メールは思わず顔を曇らせました。マーレたちは救援のために上陸できますが、メールだけはどうしてもそこに加われないのです。思わず泣き出しそうになってしまいます。

 すると、そこへ数十匹の魚がやってきました。魚戦士のイワシたちです。メールたちを見つけて泳ぎ寄ると、口々に言います。

「皆様、こんなところにいらした」

「海鳥たちが伝言を運んできました」

「上陸したゼン様たちからです」

「俺たちはみんな無事だから心配するな――伝言は以上です」

 それを聞いて、メールだけでなく、少女たち全員が泣き出しそうになりました。山津波に襲われたゼンたちが、無事を知らせてきたのです。

「あたいも上陸できたらいいのに……! こんなところでただ待ってるだけだなんてさ! あたいだって勇者のひとりだよ。一緒に戦いたいんだ!」

 とメールは言いました。燃える青い瞳で、陸のある方向をにらみつけます。ポポロとルルは何も言うことができませんでした。彼女たちもメールと同じ気持ちなのですが、上陸すればメールが死ぬとわかっていれば、そうするわけにもいきません……。

 

 すると、黒犬のマーレが言いました。

「海底を通って、魔王のところへ行けるかもしれませんよ、メール様。ぼくを捕まえた人魚が、海底のトンネルに入っていくのを見たんです。ザフもそこに連れていかれていた。きっとあれが魔王のいるところにつながっているんだ」

 少女たちは顔を見合わせました。

「魔王の居場所に――」

 とポポロが言います。渦王とアルバの救出に向かったフルートたちは、その後で魔王と対決するつもりでいます。その魔王の元へ、少女たちの方が先に乗り込むことになるのです。

 けれども、彼女たちがためらったのはほんの一瞬でした。メールが、にやっと笑って言います。

「いいね、やろう。あたいたちが飛び込めば、魔王だってあたいたちに気をとられて隙ができるかもしれない。ゼンたちの援護になるさ!」

 ポポロとルルが即座にそれにうなずきます。

「それじゃ、首輪を早くぼくに。行きましょう」

 とマーレが言い、またシードッグに変身すると、少女たちを背中に乗せました。

 まだその場に残っていたイワシたちを、メールが振り向きました。

「ギルマンたちに伝えといて。あたいたちは魔王のところに直接乗り込んで行った、ってさ。じゃあね、頼んだよ」

 あわただしいことばを残して、シードッグが猛スピードで泳ぎ出します。やがて、彼らの目の前に現れたのは、暗く口を開けたトンネルの入口でした。シードッグのマーレが入るには小さすぎる穴でした。人魚のシュアナ専用の通路だったのです。

 少女たちは、また犬に戻ったマーレとトンネルに入っていきました。その前に広がったのは、薄暗く、複雑に枝分かれした海底の道でした……。

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