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第13巻「海の王の戦い」

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72.世界の王

 眼鏡の青年は自分の岩屋に戻ると、絡みつくマントを払いのけて、すぐにテーブルへ行きました。いつものチェス盤が置かれている場所です。並ぶ黒いポーンに向かって呼びかけます。

「おまえたち、監視を始めろ! 勇者たちが山に入るぞ! 見つけ出して知らせるんだ!」

 岩屋の隅の水場から人魚のシュアナが上がってきました。両手と魚の尾で石の床を這い進みながら言います。

「いよいよ決戦なの、アムダ様? 連中がここに来るの?」

「いいや。連中はまず、山頂にとらわれている渦王たちの救出に向かう。その途中で連中をたたくんだ」

 答える青年の目の前で、黒のポーンが形を変えました。黒いオオカミの駒になって話し出します。

「連中を見つけたらどうする? 俺たちで食い殺していいのか?」

 声の主は岩山にいる手下のオオカミでした。オオカミの形の駒を通じて魔王と話しているのです。魔王の青年は答えました。

「手出しは無用。おまえたちのかなう相手じゃない。今度こそ本当に、天空の国の魔法使いが一緒にいるんだからな」

「あれ、ポポロって子が来たんだ。へぇ。――ねえねえ、アムダ様、その子かわいかった?」

 人魚の関心は、いつも人間とは少し違っています。

 それを無視して、青年は言い続けました。

「連中を見つけたら、その姿と声を送ってくるんだ。連中と決戦する場所は、ぼくのこの城だ。おまえたちはただ監視するだけでいい」

 オオカミが不満そうにうなって黙りました。また普通のポーンの駒に戻っていきます。

 ふん、と青年は鼻を鳴らしました。

「まったく。馬鹿ばかりで嫌になるな。敵と見ればすぐ攻撃することしか考えないんだから」

「しかたないよ。連中はただのオオカミだもん」

 とシュアナがあっさり答えます。

 

 遠く岩屋の外から波の音が聞こえていました。

 シュアナの水場は通路で外海とつながっているので、うねりが伝わってきて、岸に小さな波を寄せます。岩屋の床は黒い大理石、壁はむき出しの白い岩。殺風景で小さな石造りの部屋です。

 そこを見回しながら、魔王の青年は言いました。

「ここはぼくの城だ。暗号を解いてデビルドラゴンと出会ったときから、この部屋は変えていない。ぼくが力を手に入れた場所だからだ。――この城を出発点にして、ぼくは世界に出ていく。ただ、世界の扉を開けるには鍵がいる。それが勇者の連中だ。彼らはきっとここまでたどり着くだろう。でも、それもすべて、ぼくの思惑通りなんだ」

 暗く熱くそう語る青年を、シュアナは首をかしげて見上げました。やがて、うなずきます。

「うん、アムダ様はきっと世界を手に入れるよ。そして、あたしと一緒に海の王様になるんだ。そしたら、この岩屋を本物の綺麗なお城に変えよう。倒した連中の死体をそこら中に飾って、門番には人食いザメや毒ウツボを飼って……。だって、アムダ様は誰より賢くてすばらしいんだもの。世界だって、アムダ様を王様にしたら、きっと喜ぶよ」

 ふっ、と青年は笑いました。人魚の少女はあまりに世間知らずで単純です。けれども、誰からもないがしろにされてきた青年には、無邪気な賞賛がとても快く聞こえました。

「そうとも、ぼくが世界の王だ」

 と青年は言うと、眼鏡の奥の赤い瞳を、岩屋の壁の向こうへと向けました。

「この狭い岩屋から扉を開けて外に出たとき、ぼくは世界の王に変わるんだ。村中の奴らから、ちびだ貧弱だと言われたこのぼくが、世界を支配するようになる。闇の竜の力さえ、ぼくのものにしてね――。世界中の連中が驚くだろう。そして、ぼくの前にひれ伏すんだ」

 世界を見つめる青年は、熱いまなざしをしていました。何かをつかみ取るように、ぐっと片手を握りしめて続けます。

「すべては、このぼくのものだ。世界も命も理(ことわり)も、何もかもがぼくの手中に収まる。世界中がぼくの名を呼んで誉めたたえる。尊敬と、恐怖を込めてね」

 屈折した孤独を孤独と自覚できないまま、魔王の青年は笑いました。その笑顔はやけに楽しそうで、同時に、仮面のように作り物めいて見えます――。

 

 すると、テーブルのチェス盤で、すっと駒が動きました。白のキングやクイーンがひとりでに前進したのです。

「連中が動き出したな」

 と青年はつぶやくと、クイーンの駒に向かって言いました。

「さあ来い、金の石の勇者。子どもだからって手加減はしないぞ。ぼくの知恵と闇の竜の力で、おまえを討ち破って、世界を手に入れてやる!」

 壁に映った青年の影の中で、ばさり、ばさりと羽ばたきの音が聞こえ始めました。闇の竜はそこにいるのです。

 けれども、竜は何も言いませんでした。青年を肯定することも、否定することも、何一つ――。

 揺らめく影の中で、竜の羽音はいつまでも続いていました。

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