ほの青く虚ろな空間で、フルートは立ちすくみました。
自分の前に立って、金の石に力を与えることがそなたの願いか、と尋ねる願い石の精霊を、ただ見つめてしまいます。全身が総毛立ち、冷たいものが背中を流れ落ちますが、その場から動くことができません。
すると、フルートの隣に淡い金の光がわき起こって、小さな少年が姿を現しました。髪を黄金の炎のように揺らして叫びます。
「馬鹿なことをするな、フルート! そんなことを願ってしまったら、君が消滅するぞ!」
「だが、このままでは仲間たちもフルートも魔王に敗れる。それは確かなことだ」
と願い石の精霊が言いました。やはり冷ややかな声です。
金の石の精霊はそれをにらみつけました。
「フルートをそそのかすな! 願い事の強制は契約違反だぞ!」
「そそのかしているのではない。フルート自身が、心の中でそう考えているのだ。私はフルートの内側にいる。彼の考えは手に取るようにわかる」
フルートは青ざめたまま立ちつくしていました。願い石の精霊が言っているとおりなのです。このままでは負ける、仲間たち全員が魔王に殺されてしまう、とフルートにはわかっていました。
すると、金の石の精霊がどなりました。
「願うな、フルート! 今、願い石でぼくに力を与えても、倒せるのはウンディーネと魔王だけだ。デビルドラゴンは今の魔王から離れて、また別の者を魔王にする! そうなったらもう、それを止められる者はなくなるんだぞ! 世界がデビルドラゴンに蹂躙されるんだ!」
「だが、今ここでフルートたちが敗れても、その結果は同じことであろう。金の石の勇者たちがいなくなれば、魔王やデビルドラゴンを倒す者はなくなり、世界はやはり彼らのものになるのだからな」
と願い石の精霊がフルートの想いを代弁します。
精霊の少年はフルートを振り向きました。
「願い石の誘惑に乗るな! 今ここで君たちが魔王に勝っても、最後に勝つのはデビルドラゴンだ! 君の大事な仲間たちは、やっぱり殺されてしまうんだぞ!」
フルートは何も言いませんでした。魅入られたように、じっと精霊の女性を見上げ続けます。
その想いを見透かして、女性は言い続けました。
「その通りだ、フルート。金の石が力を取り戻してデビルドラゴンを消滅させることを願えば、今ここにいる怪物も魔王も、その内側のデビルドラゴンも、完全にこの世界から消滅するし、世界の最果てに幽閉されているデビルドラゴンの本体も、共に消えていく。この世に闇の竜は存在しなくなる。そなたの仲間たちは、世界と共に救われるだろう」
フルート!! と精霊の少年がまた叫びました。願ってはならないことをフルートが願おうとしていることに気がついたのです。
「馬鹿なことを言うな! ぼくらは別の道を探しているはずだぞ! デビルドラゴンを倒す方法は、それ以外にも必ずあるんだ!」
いつも冷静沈着な精霊が、必死の表情で呼びかけていました。
返事をしないフルートに代わって、願い石の精霊がまた言います。
「その方法は、今のこの戦いには間に合わない。仲間たちは魔王に殺されるだろう。彼らを救うには、この方法しか残されていないのだ――」
みんな、とフルートは心の中で考えました。ゼン、メール、ポチ、そして、ポポロにルル……大切な仲間たちの顔が浮かんできます。一緒に戦っている海王の三つ子たちの顔も浮かびます。大事な大事な友人たちです。絶対に傷つけられたくありません。闇に殺されるなど、どうしたって我慢することはできないのです――。
胸の内に燃える赤い輝きを、フルートは見つめていました。その正体は願い石です。計り知れない力を秘めて、じっとフルートが願うのを待ち続けています。ほんの一言、フルートが願いを口にするだけで、その力を発揮するのです。叶わぬ願いを現実のものにするために。
「君が消滅するぞ、フルート!! 存在も魂も、すべて願い石に焼き尽くされてしまうんだ!!」
金の石の精霊が言い続けます。
願い石の精霊がそれに答えました。
「それでもかまわない、とフルートは考えている。大切な者たちを守れるならば、それが本望だと」
「ぼくは承知しないぞ! デビルドラゴンを消滅させるには、ぼくの協力が絶対に必要なんだからな! ぼくは守りの石だ! フルートを守る役目も担っているんだ!」
「世界を守る役目のほうが重いであろう、守護の。そなたは守りの石だ。フルートが本気で皆を守ろうとしたとき、それを妨げることはそなたにはできないのだ」
なんだと――! と金の少年は全身を震わせました。どれほど怒っても、相手が言っていることは真実です。反論することができません。
願い石の精霊はまたフルートを見つめました。静かな声で言います。
「そなたの願いを口にするがいい、フルート。私は願い石だ。契約と役目に従って、その願いをかなえよう」
フルートは目を閉じ、またすぐに目を開けました。こうして迷っている間にも、仲間たちは魔王や怪物に追い詰められていきます。傷つけられ、殺されてしまうかもしれません。
フルートは頭を上げました。勇者になったその時から、ずっと心に宿り続けているひとつの願いをことばにしようとします。
フルート! と金の石の精霊が叫びます。悲鳴のように虚ろな空間に響きます――。
すると、それに別の呼び声が重なりました。フルート……! と遠くから呼んでいます。
フルートは我に返りました。とたんに、肩がぐっと強くつかまれます。振り向くと、ゼンが真っ青な顔でフルートを捕まえていました。
「馬鹿野郎、願うな……絶対に願うんじゃねえ……」
声が震えています。ゼンはフルートの体が赤く輝きだしたのを見て、仰天して飛びついたのです。
彼らの前でクリスが浅瀬を駆けていました。血を流しながら沈んでいくカイへ駆け寄って抱き上げます。フルートが願い石に願おうとした瞬間から、ほとんど時間がたっていなかったのです。
クリスたちへ襲いかかるウンディーネを、ペルラとザフが水の壁で防ぎました。その壁を魔王の青年が打ち消します。
「無駄なあがきだと言っているんだけれどな。君たちでは力不足で面白くないよ、本当に」
次の瞬間には、見えない手に殴られたように、ペルラやザフ、カイを抱いたクリスが海中に倒れます。その魔王へ海中からポチとシィが飛びつき、やはり魔法で吹き飛ばされてしまいます。
けれども、フルートは目を空に向けました。
フルートを呼んだのは彼らではありませんでした。もっと遠い場所から声が聞こえたのです。
あれは――
その耳に、また呼び声が聞こえました。
「フルート!」
細く高い少女の声です。
フルートは思わずゼンの手を振り切って駆け出しました。空に向かって叫びます。
「ポポロ!!」
ゼンは驚きました。フルートが空を見上げて駆けていきますが、そこにポポロの姿は見当たらなかったのです。
魔王の青年も、ぎょっとしたようにそちらを見ましたが、すぐに冷笑しました。
「なんだ、はったりかい、金の石の勇者くん。そんな見え透いた手は食わないよ」
フルートは止まりませんでした。海を駆け、呼び続けます。
「ポポロ! ポポロ! ぼくらはここだ――来てくれ!!」
とたんに一同の耳にも少女の声が聞こえました。
「フルート!!」
雨が降りしきる空を、ものすごい勢いで飛んでくるものがありました。白い鳥のように見えます。海上に頭を出していたポチが、信じられない顔をしました。
「ワン、そんなまさか……」
ゼンもぽかんと空を見ていました。近づいてくる鳥に黒いものが乗っていたのです。みるみるうちに黒い衣の少女の姿に変わります。少女はお下げに結った赤い髪を狂ったようになびかせています。
「ポポロ!!!」
フルートとゼンとポチが同時に声を上げたとたん、空の彼方から声が響きました。
「ローデローデリナミカローデ……セケテベスオキテ!!」
たれ込めた雲の中にいきなり光が閃き、巨大な稲妻がウンディーネと魔王の上に駆け下っていきました――。