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第13巻「海の王の戦い」

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66.亡者

 入り江の奥の海は漂流物でいっぱいでした。木や草といった植物も漂っていますが、それ以上に多いのは、人が住んでいた村の残骸でした。家々の柱や屋根、壁板が海上や海中で揺れています。壊れた椅子やテーブル、寝具なども無数にあります。まだ中身の入っている酒樽は、重たそうに海底に近い場所に浮いていました。

 その間をイワシやアジたちが通り抜けても、何事も起きませんでした。にごった水の中、障害物は邪魔ですが、さけられないほどのことはありません。ところが、魚の戦士たちが通り過ぎ、ゼンやフルートたちがその場所に差しかかったとたん、漂流物の陰や下から敵が現れたのです。海で溺死した人間たちの死体です。確かに死んでいるのに海中を泳ぎ、群がってすがりついてきます――。

「ゾンビだと!? 魔王のヤツ、自分の仲間を殺して怪物に変えたってのかよ!?」

 ゼンがわめき、また海の剣を構えました。死者たちはわらわらと戦車にしがみついてきます。車体が大揺れに揺れて、乗っていた全員が放り出されそうになったのです。

 ペルラは隣の戦車で悲鳴を上げ続けていました。死者が戦車を揺らすので、魔法を使う暇がありません。シードッグのカイも、全身亡者たちにしがみつかれて、キャンキャン声を上げます。

 

 すると、突然二台の戦車とシードッグの周りに金の光が広がりました。フルートが金の石をかざして光を放ったのです。すがりついていたゾンビたちが海中で溶けるように消えていきます。

「やったぜ!」

 とゼンが声を上げると、フルートは厳しい顔で言いました。

「いいや、だめだ。ゾンビたちが物陰に隠れてしまう。光が届かない――」

 死者たちが海中の漂流物が作る影に飛び込んでしまったのです。にごった海の中です。金の光も弱められています。

 やがて、金の石は光を収めました。周囲から聖なる光が消えると、ゾンビたちがまた物陰から出てきて襲いかかってきました。実に、何千という数です。

 ゼンは歯ぎしりしました。

「これが全部入り江の民かよ……。魔王のヤツ、本当に、故郷の連中を一人残らず殺しちまったのか!」

 スカートにエプロンをしめた太った女性、短い上着を着た農夫風の男性、背中が猫のように丸くなった老婆、フルートたちより幼い子どもの姿もあります。全員が水にふくれあがった死者の顔をして、表情もなく迫ってきます。伸ばした手がまた戦車やシードッグをつかみます。

 とたんにメールが悲鳴を上げました。戦車の縁越しに手を伸ばしてきた亡者に、腕をつかまれたのです。それは長い髪の少女でした。虚ろな目を見開き、信じられないほどの力でメールを引っ張ります。血の気の失せた唇から声が出てきます。

「おいでよ……あたしたちと一緒においで……そして、あたしたちに体をちょうだい。暖かいものがほしいのよ。海の中は冷たいんだもの。ほら、こんなに冷え切っちゃったわ。あんたの暖かい血と肉を食べさせてよ……」

 メールをひっぱる少女の手は、氷のような冷たさです。

 また悲鳴を上げたメールに、ゼンが飛びつきました。ゾンビの手を払いのけ、メールをかばいます。フルートが金の石を突き出します。

「光れ!」

 聖なる光が戦車の周囲に広がり、また死者たちを消していきました。髪の長い少女のゾンビも溶けていきます。恨みを込めた長い悲鳴が、海に響いて消えていきます……。

 フルートは真っ青な顔で歯を食いしばっていました。ゼンがメールを抱いたままうなります。

「魔王のヤツ、なんてことしやがるんだ……なんてことを!」

 金の石が何度輝いても、死者たちは物陰で光をやり過ごし、また現れてきて、きりがありません――。

 

 ペルラが戦車の上にすっくと立ち上がりました。海の中に長い赤い髪をなびかせながら声を上げます。

「クリス、ザフ、竜巻でゾンビたちを追い払いましょう!」

「よし!」

「やろう!」

 三つ子たちが一カ所に集まりました。ペルラは戦車の上で、クリスとザフはシードッグの背中で、それぞれに両手を高く掲げて叫びます。

「ラー・ラーイ・リィー……来たれ、大渦巻き!!!」

 三つの声がひとつに重なり合って、海の中に響いていきます。

 すると、行く手の海で地鳴りのような音が湧き起こり、やがて、海の水が渦巻き始めました。次第に速く大きくなり、海上へと伸びていきます。周囲の水と共に、漂流する残骸や死者たちも渦に巻き込まれ始めます。

 戦車を引く魚たちまでが巻き込まれそうになっているのを見て、フルートが言いました。

「金の石、ぼくらを守ってくれ!」

 とたんに、また金の光が広がり、戦車を包みました。それ以上、渦巻きには近づかなくなります。

 海上では海鳥の戦士たちが海中の戦いを見守っていました。時折海面に映る影や、海中から浮かんでくる死体が、戦いの様子を伝えてきます。

 すると、海上に突然大きな渦が現れました。同時に激しい風も起きます。渦巻く風が海面の渦につながり、空へ水を吸い上げ始めます。竜巻が発生したのです。

 海鳥たちも巻き込まれそうになって、懸命に羽ばたいてその場を離れました。その時、竜巻の中に大勢の人間が見えました。呪詛(じゅそ)の声が竜巻の中に呑み込まれていきます……。

「連中はどこに行くんだ?」

 渦巻きに吸われて消えていく死者たちを海中で見ながら、ゼンが尋ねました。その腕の中でメールが答えます。

「どこかへ運ばれて……竜巻が消えたところで降りてくるんだよ。また海に落ちるかもしれないし、地上のどこかかもしれないし……。きっと、とても遠い場所だから、もう魔王に操られるようなこともないよね。そこでゆっくり眠れるはずだよ……」

 メールは自分の腕をなで続けていました。さっき、死者の少女につかまれた場所です。冷え切った手の感触がまだ生々しく残っていました。

 フルートは二人の隣に立って、渦巻きを眺めていました。竜巻は、海の水と死者たちを抱えたまま遠ざかっていきます。彼らが安らかに眠れるように、と祈ってしまいます。

 

 すると、突然海の中に笑い声が響きました。若い男の声です。

「海の王子たちと三人で竜巻を起こした――! 前に王子の一人から聞いていたよ! 海王の三つ子たちは、協力して竜巻を起こせる、ってね! そこにいる娘の正体がわかったぞ! 海王の王女だ! 天空の国の魔法使いのポポロなんかじゃなかったんだ!」

 金の光に包まれた彼らの前で、大きなウミガメが泳いでいました。甲羅も体も真っ黒です。声はそのウミガメから聞こえていました。次の瞬間には、甲羅の上に眼鏡の青年が立ちます。

 あっ、とペルラが声を上げました。髪や瞳、着ている服が、みるみる色を変えて、青い髪に青い瞳、青い服の本来の姿に戻ったのです。正体を見破られて、変身の魔法が解けてしまったのでした。

「やっぱりね」

 と魔王の青年はウミガメの背中でまた笑いました。平凡そうな顔の中、眼鏡の奥の目だけは鋭く冷ややかです。

「すっかりだまされていたよ。海王の王女が見当たらないことに、もっと早く気がつくべきだったのにね。君たちは最初からポポロを呼べないでいたんだ。ぼくが妨害していたんだから。ちぇ、どうして、もっと自分に自信を持たなかったかな。慎重になりすぎて、とんだ回り道をしてしまったよ――」

 けれども、それを話す青年は、くすくすと楽しそうに笑い続けていました。眼鏡の奥で瞳がまた冷たく光ります。

 フルートはとっさにペンダントを突き出しました。声高く呼びます。

「金の石!」

 魔石が輝きますが、魔王の青年はすぐに闇の障壁を張りました。聖なる光をさえぎって、フルートたちよりもっと後方の海へ呼びかけます。

「ポポロさえいなければ、思いきり行こう! 来い、おまえたち! 誰より強い力、誰より巨大な姿を与えてやろう! おまえたちの敵をひとつ残らず海に沈めてやれ!」

 

 声と同時に、海中に大きな海流が起きました。それも、魔王軍の兵だけを巻き込んでいく、不思議な流れです。

 突然敵が目の前から流れにさらわれていったので、海の戦士たちは呆気にとられました。彼らはまったく影響を受けません。海流はただ魔王軍の兵だけを集めていきます。

 やがて、魔王軍の兵たちは強制的にひとかたまりになっていきました。サメやシャチ、バラクーダといった魚たちも、黒いうろこの半魚人たちも、海竜もその他の怪物たちも、まるで見えない手が寄せ集めたように一カ所に集まり、さらに押しつぶされていったのです。魔王軍が悲鳴を上げ、海の戦士たちは唖然とそれを見上げました。敵は粘土の塊のように、ひとつにくっつき合っていきます――。

 そうやって、新たに姿を現したのは、一人の女の巨人でした。長い髪は緑の海草、全身は大きなうろこでおおわれています。海底に両足をつき、折り曲げていた体を起こすと、その上半身は海上に出ました。緑色のうろこは顔までおおっていて、その中に大きな二つの目があります。口は耳のあたりまで裂けています。

 なんだ、あれは!? とフルートたちが驚いていると、魔王の青年がまた言いました。

「これは水の精霊のウンディーネさ。水にいる限り最強の怪物だよ。さあ、海の戦士たちを倒せ、ウンディーネ! 皆殺しにするんだ!」

 とたんに、ざわっと女の体が鳴りました。全身のうろこが逆立ったのです。体が一回りふくれあがります。

「危ねえ、よけろ!!」

 とゼンが叫びました。うろこが突然四方八方に発射されたからです。大きな一枚のうろこが飛びながら砕けて無数のうろこになり、鋭い刃物のように海の戦士たちに襲いかかります。たちまち大勢の悲鳴が上がり、海が血で染まります。

 すると、海の上からも悲鳴が聞こえて、海中にたくさんの鳥たちが沈んできました。どれも体にうろこの破片が突き刺さり、海中に血をまき散らしています。ウンディーネのうろこは、海上の海鳥部隊も襲ったのです。

 

 フルートたちの二台の戦車とシードッグは、金の光に守られて無事でした。ゼンがどなり続けます。

「逃げろ、おまえら! また来るぞ! 早く離れろ!」

 再びウンディーネの全身からうろこが飛んで、海の戦士たちを襲います。海はさらに赤く染まります。

 フルートは叫びました。

「海上に出るんだ! あいつをここから引き離すぞ――!」

 自ら手綱を握って、戦車を海上へ向かわせます。ところが、海面に出たとたん、激しい雨が彼らを打ちました。いつの間にか海上では雨が降り出していたのです。真っ暗な空の下に、全身緑色のウンディーネが立っています。

「ワン、これじゃ風の犬になれない!」

 と言うポチの声を聞きながら、フルートは唇を強くかみしめました。どうしよう、と考えます。

 見上げるような怪物の前で、彼らはあまりにちっぽけでした――。

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