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第13巻「海の王の戦い」

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第22章 入り江の戦い・4

64.入り江の奥

 冷たい海に面したジムラの入り江は、川のように大きく曲がりくねりながら内陸へ伸び、山の麓で行き止まりになっていました。山は、入り江の他の場所と同じように、切り立った崖になっています。そこに正面から朝日が当たり、黒い岩肌を金色に染めていました。

 ひゅぅぅ……と風が入り江の上を吹き渡っていきました。海の上に浮いている人々の服や髪をなびかせ、入り江の奥へと吹いていきます。その中に、透き通ったシルフィードたちの姿がありました。戦車に乗っていた少女が行く手を指さします。

「いたわ! あそこよ!」

 それは赤い髪に丈の短い黒い服のペルラでした。海上の人々がいっせいにそちらを見ます。

 入り江の奥の山の、頂上に近い場所に、二つの人影がありました。切り立った岩壁に、両手を上げた恰好で、鎖で留めつけられています。力なく頭を垂れ、崖に宙づりにされた姿は、はりつけにされた罪人のようです。

「父上!」

「兄上!!」

 戦車に乗ったメールと、シードッグに乗ったクリスとザフが、同時に声を上げました。岩山の人影は、渦王と、海王の跡継ぎのアルバだったのです。吹き抜けた風が山に吹きつけ、岩壁に沿って舞い上がったシルフィードたちが、海の王や王子たちの青い髪やひげを揺らしますが、彼らは顔を上げようとしませんでした。まるで死んだように、ぐったりと頭を垂れたままです。

 

 すると、人々の頭上を飛び回っていた海鳥たちが言いました。

「渦王様とアルバ様は気を失っておられます」

「魔王に魔力を奪われているんだと思います」

「自力であそこから抜け出すことが、おできにならないのです――」

「ああ、そうだろうともよ」

 と戦車の上からゼンが答えました。うなるような声です。

「これ見よがしに、さらしやがって。よくもやりやがったな、魔王め。今、二人とも奪い返してやるから、見てろ」

「落ち着けよ、ゼン。君が興奮して突っ走ったら、全軍がそれに続くぞ」

 とフルートが隣から警告しました。ペルラやポチ、シィ、海の老戦士が一緒に乗った戦車です。

 ゼンは、ちっと舌打ちしました。

「んなこと、言われねえでもわかってるよ……。これは罠だ。見せられた餌に突進していけば、必ず待ちかまえた敵にぶつかる。こう来るとわかってたから、ここに近づくまで、ずっと海の中を来たんだ。あれを見ちまえば、海の戦士たちは絶対我慢できなくなるからな」

 そして、ゼンは、隣のメールに腕を回して、ぐっと抱き寄せました。メールははりつけになった父の姿に、悔し涙を流していたのです。

「泣くな。助けてやる。絶対に、助けてやるから――。協力して、全員で戦え」

 それは、メールだけでなく、彼らの後ろの海上に浮いている海の戦士たちにも向けたことばでした。戦士たちは青ざめ、歯ぎしりしながら、囚人のような自分たちの王を見上げていたのです。

 フルートがゼンの後を引き継いで言いました。

「このまま直進しても、あの崖は険しすぎて登れない。海鳥たちも、そばに寄ることはできない。渦王たちは闇の障壁に囲まれているからだ。上陸地点は、山の左側に見える、あの小さな湾だ――あそこから山に登り、金の石で障壁を消して渦王とアルバを救い出す。気をつけろ。このあたりは津波を食らった場所だから、海がにごっているし、漂流物も多い。その中に、必ず敵が待ち伏せているぞ」

「作戦は昨夜のうちに各部隊の隊長に伝えておいた」

 とギルマンがフルートたちに言いました。半魚人の戦士は戦車の隣の海に頭を出しています。

「各自がばらばらに戦うのではなく、近くにいるもの同志が協力するように、というゼンのことばもしっかり伝えてある。戦士たちは、可能な限りそうするだろう。だから、この後の戦いは我々に任せろ。ここから先は決戦だ。勇気と力と勢いが勝敗を決めていく戦場になるからな」

「おう。全力で戦え、勇猛な海の戦士たち」

 とゼンは言いました。かたわらにメールを抱き寄せたままです。

「だがな――命は無駄にするなよ。生き残れ。命と引き替えに敵を倒すような真似だけは、するんじゃねえぞ」

 すると、半魚人の戦士は笑いました。

「それは難しいかもしれないな。海の戦士には海の戦士の戦い方がある」

 馬鹿野郎! とゼンはどなりましたが、ギルマンはまた笑ってそれを受け流しました。後ろに並ぶ部下たちを振り返って、声を上げます。

「行くぞ、渦王の戦士たち! 魔王とゼンたちに、我々の戦い方を見せてやれ!」

 ゼンやフルートが止めようとする声を、軍勢の鬨の声が打ち消しました。入り江の果ての海と山に響き渡ります。戦士たちがいっせいに上陸地点へ動き始めます――。

 

 軍勢の中から真っ先に飛び出したのは魚の戦士たちでした。イワシ、ニシン、アジ……何万という魚たちが、大きな群れを作って海を突進していきます。津波が陸を洗った後の海は茶色くにごり、倒木や住居の残骸などが漂っていますが、それを上手にかわしながら進みます。

 すると、ふいに行く手から敵が姿を現しました。フルートが言っていたとおり、漂流物の陰に隠れていたのです。黒いシャチやサメ、バラクーダといった獰猛な魚たちです。

 イワシやニシンたちはいっせいに身をひるがえしました。群れが方向を変えます。そこへ敵が襲いかかってきました。何十匹もの魚の戦士が、血の煙幕を広げながら敵の口に消えます。

 海中に潜ってその様子を見ていたゼンとフルートは、あっと声を上げました。すぐに魚たちを助けに飛び出そうとします。

 すると、ギルマンが止めました。

「手助けは無用。あれが魚の戦士たちの役目だ。敵が彼らに襲いかかることで、我々は不意打ちを避けられる。そこに我々が進む道ができるからな」

「でも、自分の身を捨てて仲間を進ませるなんて!」

 とフルートが思わず言い返すと、ゼンの戦車を引いているマグロが振り向いて言いました。

「あれが小さい魚たちの戦い方なのです、勇者様。彼らはシャチたちのような牙もなければ、私たちのような大きな体も持ちませんが、代わりにとても数が多い。どれほど周りから敵に襲われても、大半のものは生き残って先へ進んでいきます――。あれは海が彼らに与えた戦い方なのです。そのために、彼らはとてもたくさん生まれてくるんですから」

 それは、以前アルバが彼らに語って聞かせたのと同じ話でした。命を捨てることで活路を開く魚の戦士たちに、ためらう様子はまったくありません。その姿がフルートに勇者の定めを思い起こさせました。おまえの役目も自分の命を捨てて世界を救うことなのだ、金の石の勇者、と――。

 とたんに、ゼンがどなりつけました。

「馬鹿なこと考えてんじゃねえぞ、フルート! おまえは魚じゃねえ! おまえが死んだら、誰も代わることはできねえんだぞ!」

 けれども、本当はあの魚たちにとっても、それは同じことでした。どれほど数がいても、死んでいく魚にとって「自分」はたった一匹なのですから。ゼンは顔を歪めると、食いしばった歯の奥で、馬鹿野郎、とつぶやきました。その声を聞いたのは、隣にいたメールだけでした。

 

 すると、行く手に新たな敵が現れました。全身黒いうろこでおおわれた闇の半魚人たちです。武器を持って魚の群れへ襲いかかっていきます。たちまち魚たちが追い散らされ、ばらばらになったところをシャチやバラクーダたちにかみ殺されます。

 ところが、とたんに群れの奥から雄叫びが上がりました。魚たちの間をぬって、大勢の戦士たちが飛び出してきます。青い髪とひげにうろこの鎧兜の海の民です。やはり手に手に武器を持っていて、闇の半魚人と戦い始めます。

 魚の群れから突然海の民が姿を現したので、ゼンやフルートが驚いていると、ギルマンが言いました。

「彼らが考えついた作戦だ。勇者が鳥の群れに隠れていったのを見て思いついたらしい。新しい戦い方だな」

 行く手の海では激戦が広がっていました。肉食の魚に追われて逃げながら先へ進む小魚の群れ、闇の半魚人と武器をぶつけ合う海の民。海中はにごっていて、見通しは効きません。だからこそ、敵も魚の群れに海の民が隠れているとは気がつかなかったのです。

 ギルマンが後ろを振り向いて声を上げました。

「我々も行くぞ、半魚人部隊! 黒い半魚人は、我々と何度も戦ってきた、因縁の連中だ! 今度こそ決着をつけるぞ!」

 銀のうろこの半魚人たちが、おぉーっと声を上げました。槍や銛、矛といった武器を手に、魚のような素早さで泳ぎ出します。たちまち戦場に到着して、敵と戦い始めます。

 ゼンは我に返りました。後ろに続く味方へ呼びかけます。

「行くぞ! 敵を蹴散らして上陸だ――」

 言いかけて、ゼンはまた歯を食いしばりました。上陸するまでにどのくらいの味方が死ぬのだろう、と考えたのです。隣の戦車では、フルートが青ざめながら行く手を見ていました。戦いに傷つき死んでいく味方を見つめる顔は、今にも泣き出してしまいそうです。今、自分も似たような顔をしているのだろう、とゼンは思います。

 けれども、ゼンは頭を振りました。また大声で言います。

「ついてこい、海の戦士たち! 敵をぶっ倒して、渦王たちを助け出すぞ!」

 鬨の声と共に、大型の魚や海の生き物の戦士たちが泳ぎだし、戦車部隊が前進を始めます。海中で何千、何万という鎧や武器が鈍く光り、魚たちのひれや尾がひらめきます。その先頭を進みながら、二人の少年はいつまでも痛みをこらえる表情をしていました――。

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