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第13巻「海の王の戦い」

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第21章 緑の夢

61.確認

 海の戦士たちがスキュラの率いる魔王軍を破ってから、三時間ほど後のこと――。

 フルートは入り江の途中の小島に上陸して、空と行く手を眺めていました。空は相変わらず厚い雲におおわれていますが、その向こうで日が沈もうとしていました。薄暗くなっていく空で、雲が赤黒く光って見えます。空の色を映すフルートの鎧兜は、血に染まっているようです。

 すると、海から水音がして、大きなマグロが顔を出しました。島にフルートを見つけて言います。

「勇者様がいらっしゃいましたよ、ゼン様」

「おう、ありがとよ」

 マグロの背中に乗っていたゼンが返事をしました。また青い魔法の胸当てを身につけ、背中にはエルフの弓矢を、腰にはショートソードを装備しています。銀の筒のような海の剣も、ベルトに挟み込んでありました。

 ゼンは小島に飛び下りると、マグロに手を振りました。

「あたりをぶらぶらしてきていいぞ。帰りにまた呼ぶから」

「はい、承知いたしました」

 魚が丁寧に答えて海に潜っていきます。

 

 ゼンはフルートのところまで岩場を駆け上がりました。

「どうした、こんなところに呼び出したりして。飯は食ったのか?」

「ちゃんと食べたよ。メールは?」

 とフルートが聞き返すと、ゼンは肩をすくめました。

「他の戦士たちと休憩中だ。戦車で寝てるぜ。入り江に入ってから連戦だったからな。元気そうに見せてるが、だいぶ疲れてらぁ」

 フルートはちょっと顔を曇らせました。

「やっぱりメールの海の気は減っているんだな……。回復したように見えても、またすぐに足りなくなってくるんだ」

 すると、ゼンはいっそう渋い顔になり、少し黙り込んでから、こう言いました。

「俺、思い当たっちまったんだよな。メールの生気が、どうしてこんなに足りなくなったのか……。あいつは、黄泉の門の戦いの時に、死にかけた俺に自分の力をよこした。力ってのは生気のことだろう? おかげで俺は黄泉の門から戻ってこられたんだが、あの時、あいつはきっと、かなりの量の生気を俺に渡しちまったのに違いねえ。その後も、ずっと海には戻らないで、メーレーン王女を助けにザカラスへ行ったり、デビルドラゴンを倒す方法を探して、あちこち回って歩いたり。回復する暇が全然なかったんだ。……俺は馬鹿だからよ、今頃になってやっとそれに気がついたんだぜ」

 フルートはすぐには返事をしませんでした。フルートのほうは、だいぶ前からその可能性に気がついていたのです。しょんぼりと肩を落とすゼンを見つめて、こう言います。

「ぼくだって、メールがこんなに大変なものを抱えていたとは気がつかなかったんだ。リーダー失格だよ」

 ゼンは何も言わずに海を見ていました。メールはその中で休んでいるのですが、海は暗い緑色で、見通すことができません。

 

 すると、フルートが急に表情を改めました。友人に呼びかけます。

「ゼン」

 うん? とゼンは振り向き、フルートが炎の剣を引き抜いて構えているのを見て驚きました。フルートが剣を振り下ろしてきます。

「うぉっ!」

 ゼンが飛びのくと、たった今までゼンが立っていた場所を、剣が切り裂きました。かすっただけで傷が火を吹き、全身が燃え上がる火の魔剣です。

「な、何を――!」

 言いかけたゼンにフルートがまた切りつけてきました。まったくためらいのない本気の攻撃です。ゼンはまた身をかわしてわめきました。

「何しやがる、フルート!? やめろ!!」

 フルートは冷静な顔をしていました。敵と戦っているときと同じ表情です。今度は炎の剣をゼンに突き出します。

 ゼンはとっさに身を沈めました。その頭上を剣がかすめていきます。とたんに、ゼンはちりっと熱いものを感じました。空気が剣に切り裂かれて熱を帯びたのです――。

 ゼンはかっとなりました。

「馬鹿野郎! 魔王に操られてるのかよ、フルート!?」

 飛び出し、体当たりを食らわせると、ガシャン、と音を立ててフルートが倒れます。

 その上に馬乗りになって、ゼンはフルートを抑え込みました。それでもまだフルートが攻撃してくるので、剣をむしり取って放り投げます。

「やめろって言ってんだろうが! 目を覚ませ、フルート!!」

 

 とたんに、フルートは抵抗をやめました。いつもの声で言います。

「ごめん。冗談だよ」

 たちまちゼンの全身から力が抜けました。苦笑いしているフルートを、呆気にとられて眺めてしまいます。

「なんだよ……冗談にもほどがあるだろうが。俺を殺す気か」

「うん、ごめん。ちょっとね、確かめたかったんだ」

「確かめたかった?」

 ゼンは目を丸くしました。ますます意味がわかりません。

 すると、フルートはゼンを押しのけて起き上がりました。剣を拾い上げて鞘に収めながら言います。

「君が海の魔法を使うかどうかをさ。本当は、君の中には渦王の魔力があるのかもしれない。追い詰められたら、とっさにそれを使うんじゃないかと思ったんだよ」

「だからって炎の剣を使うかよ。ちょっとでも当たれば、こっちは即死だぞ。しかも本気で切りつけやがって」

「そうでなきゃ、君も本気にならなかっただろう? あの程度の攻撃で君が負けるはずないのはわかっていたからね」

「おまえなぁ」

 ゼンはめいっぱい渋い顔になって腕組みしました。

「俺に海の魔力はねえ。そんなのわかりきってるだろうが。渦王の力は俺の中には留まらなかったんだよ」

「でも、君はハイドラを呼んだ。ハイドラは渦王にしか呼べない蛇なんだよ。それに、ユード海峡を抜けたとき、君とメールを呑み込んだ大渦巻きがいきなり消えた。あれもよほど強力な魔法でなければできないことだぞ」

 とフルートが熱心に言います。時折彼らを助けるように現れる力の数々は、ゼンがとっさに海の魔法を使っていると考えれば、すべてつじつまが合うのです。

 けれども、ゼンは首を振りました。

「俺じゃねえよ。ハイドラは自分から出てきたんだ。渦王はこのすぐ近くにいるからな。ハイドラは渦王を助けようとして、最初からずっとこのあたりをうろうろしていたんだよ。あの渦が消えたのだって、潮流のせいらしいぞ。海の水は満ち引きするからな。ああいう海峡では、急に流れが変わることがあって、それで渦が打ち消されたんだろう、ってギルマンが言ってたんだ。それにな――」

 ゼンの声が急に真剣になりました。目をそらすように海を見て言います。

「もし本当に俺に渦王の力があるなら、どうして俺はメールを元気にしてやれねえんだよ? 俺の中に海の力が隠れているかも、なんて、もう何度も考えたさ。だが、どんなに試してみても、俺はメールに力を与えられねえ。あいつがあんなにしんどそうにしてるのによ。海の力を使えるもんなら使いたいのは、俺のほうだ。だけど――どうしてもできねえんだよ!」

 吐き出すように、怒るように、ゼンは言いました。腹を立てている相手は、フルートではなく自分自身です。

 ごめん、とフルートはまた言いました。ゼンは何も答えません。メールがいる海をじっと見つめています。

 

 でも……とフルートは心の中で考え続けました。渦の中で意識を失ったメールが、一瞬で元気になって目を覚ましたことを思い出します。あの時、メールは生気をなくして死にかけていました。何かの力が働いて、メールの中の海の気を増やしたのです。あれは、ゼンが無意識に渦王の力を使ったんじゃないだろうか、と考えます。

 あるいは――

 フルートは目を空に向けました。暗くなっていく空で、雲が赤黒く光り続けています。闇をはらんだ分厚い雲です。天空の国はどこにも見つけられません。

 それでも、フルートはそっと呼びました。

「ポポロ……ポポロ」

 やはり返事はありません。

 夕映えが薄れて暗くなっていく空の下、ゼンは海を、フルートは空を、黙って見つめ続けていました。

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