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第13巻「海の王の戦い」

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56.少女たち

 ジムラの入り江は、氷河の痕に海が入り込んだフィヨルドでした。氷に削られた岩壁は、海面から頂上まで千メートル以上もの高さがあり、海の中にもそれと同じくらいの壁が続いています。つまり、入り江の両側は、頂上から海底まで二千メートル以上もある断崖絶壁になっているのです。

 その切り立った岩壁に沿って海中を進みながら、フルートは言いました。

「本当に険しい場所なんだな……。陸歩きが苦手な半魚人だけじゃなく、ぼくたちだってここを登るのは苦労するぞ」

「ワン、雨さえ降らなければ、ぼくが風の犬になって頂上まで運んでもいいけど、海の戦士全員を運ぶのはさすがに無理だなぁ」

 とポチが岩壁を見上げていると、戦車の手綱を握る老戦士が言いました。

「入り江に面した側は絶壁ですが、山の他の部分は、これよりはなだらかです。上陸できる場所も、入り江のあちこちにあります。人間たちは、そこに家を建てて村を作っているのです」

「村を作っていた――だよね。魔王が津波で村と村人を全部押し流してしまったんだから」

 とフルートは言って、眉をひそめました。魔王の青年が自分の故郷に何故そんなことをしたのか、フルートたちには知ることはできません。魔王になって闇に心を奪われたから、故郷にも愛情を感じなくなったのかもしれない、とも思います。

 ですが、フルートは、なんとなく割り切れないものを感じていました。今回の魔王は、他のどこの場所より先に、自分の故郷を滅ぼしました。それは、いくら闇の魔王であっても、普通のことではないような気がするのです。

 あの魔王の青年は何を考えているんだろう? 何を望んで闇の竜と手を結んだんだろう……?

 歴代の魔王の中では一番小柄で平凡そうな姿を思い出しながら、フルートは考え込んでしまいました。

 

 すると、そこへ行く手の偵察に行った魚が戻ってきました。ニシンです。もともと北の海に住む魚なので、冷たい海の中でも、群れを作って元気に泳いできます。

「報告します。行く手の海域で待ちかまえている敵を発見しました。海竜や巨大な海虫(うみむし)の集団です」

「海竜や海虫が冷たい海に? 聞いたことがありませんな」

 と老戦士が言うと、ニシンがさらに報告しました。

「海虫はどれも全長が二メートル以上もあります。人が襲われるような大きさです」

 一同は、思わず顔を見合わせました。

「ワン、どうします、フルート?」

「私が魔法でまず飛び込んだ方がいい?」

 とポチとペルラが言ったので、フルートは考え込みながら答えました。

「それじゃ完全な不意打ちにはならない。敵はこっち側からぼくたちが来ると警戒してるからな……。シャチ部隊はいるかい?」

「こちらに、勇者様」

 と後方の海から返事がありました。緑色の冷たい水の向こうに魚の姿の獣たちが控えています。

 フルートは言いました。

「また挟み撃ちで攻撃をかけよう。ぼくとポチがまず空を飛んで向こう側に行くから、敵がぼくたちに向かって攻撃を始めたら、君たちは後ろから敵に襲いかかるんだ」

「勇者殿自らが囮(おとり)になると? 危険すぎますぞ」

 と老戦士が驚くと、ペルラとシィも口々に言いました。

「私も行くってば、フルート! そう言っているじゃないの!」

「あたしもです! 前回みたいに、小犬に戻ってフルートさんのリュックサックに入ります!」

 あまり二人が熱心なので、フルートは思わず苦笑しました。

「いつものことだから、別に平気なんだけどな」

「ワン、それに、シィはともかく、ペルラは無理ですよ。風の犬になったぼくには乗れないんだから」

 とポチも言います。

 とたんに、ペルラは怒った顔をしました。燃えるような目でフルートをにらみつけて、こう言います。

「私を抱いていって、フルート! それなら私だって空を行けるはずよ!」

「え……」

 フルートは目をまん丸にして、思わずペルラを見つめてしまいました。大きくふくらんだ胸やくびれた腰、丈の短い裾からすんなり伸びる両脚――ペルラは全身から匂い立つような女らしさを放っています。彼女を抱きかかえるには、そんな体に触れることになるのです。

「なによ、できないの!? そんなはずないでしょう! ザフを魔王から助けたとき、ザフを背負って戦っていたんだもの! 私を抱えることだってできるはずよ!」

「そ、それは……できるけどさ……」

 顔を赤らめてしどろもどろになったフルートに、ペルラはさらに迫りました。

「じゃあ、私を抱いていってよ! 早く!」

 相手に有無を言わせません。

 

 戦車が海面に浮上すると、ポチがまず風の犬に変身しました。絶壁に沿って長々と体を伸ばして、ぶちの小犬に呼びかけます。

「直接ぼくに乗ってごらんよ、シィ。君は同じ犬だから、ぼくに乗れるはずだよ」

 そこで小犬はジャンプしました。大きなポチの背中に着地すると、楽々とその真ん中に座り込んで言います。

「本当だわ。全然危なくない」

 フルートはペルラの体に手を回しました。自分より背の高い彼女を、両腕で抱き上げます。

 ところが、勢いが良すぎました。いきなり高々と持ち上げられたので、ペルラは悲鳴を上げてフルートの首にしがみつきました。

「ご、ごめん!」

 とフルートは謝りました。

「勢いが余っちゃったんだ……。案外軽いんだね、ペルラ」

 ペルラは顔を赤らめました。

「そ、そんなことないわ。私は痩せてないもの。フルートが見かけによらず力があるのよ」

 そんなふうに言われて、フルートも赤くなりました。

「そんなことはないさ。だって、以前、落ちてきたのを抱き止められなくて、ひっくり返っちゃったことがあるんだから――」

 ふっとフルートが真顔になりました。照れていた顔が、たちまち普段の顔色に戻っていきます。

 それ、誰の話? とペルラは聞こうとして、ためらいました。フルートは、ここにはいない誰かのことを思い出していました。フルートの遠いまなざしは、腕に抱くペルラではなく、その誰かの姿を見つめているのです。

 朝日に輝く新雪の中、高い城壁から飛び下りてきた小さな少女。黒い翼のように青空の中にひるがえる衣、フルートを疑うことなく見つめる緑の瞳。そんなフルートの記憶の中の映像を、ペルラには見ることができません……。

 フルートは黙ったままポチの背中に乗りました。ペルラも黙ってフルートに抱かれていました。少女の両腕はまだ少年の首に回されていますが、少年はもう顔色一つ変えません。

 風の犬が舞い上がった空は、相変わらず厚い雲でおおわれていて、彼方に魔法の国を見つけることはできませんでした。

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