「戻ってきたわ! シルフィードたちよ!」
戦車から空を見上げていたペルラが、嬉しそうに声を上げました。ゼンはすぐ全軍に停止を命じ、他の者たちはペルラを見守りました。みるみる風が強まり、ペルラの赤い髪や黒い服がなびき始めます。ポポロによく似た恰好をしていますが、服の裾は短く、髪も結わずに垂らしたままです。
今、彼らは入り江の中ほどを進軍していました。入り江は幅が狭く、両岸から切り立った崖が迫っています。幅わずか三キロ、全長五十キロあまりの、川のような内海です。そこを海の戦士たちは泳いで進み、フルートやゼンたちは行く手の様子を知るために海上を進んでいました。頭上にはたくさんの海鳥の戦士たちが羽ばたいていて、やはり行く手の様子を探っては飛び戻ってきます。そこへ透き通った風の乙女たちがやってきました。ひゅうひゅうと音をたてながら、ペルラの頭上へ舞い下り、何かを話していきます――。
シードッグに乗ったザフが隣のクリスにささやきました。
「シルフィードたちは魔王を見つけたかな? 入り江の奥にいるってだけでは、あんまり広すぎて見当がつかないよ」
「そうだな。こんなに複雑な場所だとは思わなかったものな」
とクリスがささやき返します。
入り江は途中で無数の小さな入り江に枝分かれしていました。浅い入り江は湾になっていますが、深い入り江になると、ちょうど川の支流のように、山の間にまで入り込んでしまっています。魔王が隠れ住むには絶好の場所が、至るところにあったのです。
すると、ペルラが息を呑みました。仲間たちを振り向いて声を上げます。
「兄上と叔父上がいたわ! 入り江の一番奥の山の上で、岩に鎖で縛りつけられてるって――!!」
一同は驚きました。メールと三つ子たちが真っ青になります。
「山の上で岩に縛られてる……父上が?」
「兄上も? 罪人みたいに鎖で!?」
「未来の海王の兄上が!?」
少年少女たちは声を震わせていました。魔王の侮辱的な扱いに、これ以上ないほど腹を立てたのです。クリスが自分のシードッグへ命じます。
「行け、カイ! 兄上たちを助け出すぞ!」
「これ以上一分一秒だって、そんな恰好をさせておけるもんか!」
「行きな、マグロ、カジキたち! 入り江の一番奥の山だよ!」
「フルート! 私たちも早く――!」
いっせいに飛び出していこうとします。
とたんに、どん、と大きな音が海上に響きました。ゼンが戦車の底を拳で思いきりたたいたのです。大揺れの戦車からゼンがどなりつけます。
「どうしておまえら海の民はそう短気なんだよ!? おまえらが怒って飛び出していったら、それこそ魔王の思うつぼだぞ! だろう、フルート!?」
フルートも真剣な顔でうなずきました。
「そう、誘いに乗っちゃいけない。これは罠だ。渦王やアルバを助け出そうと突進を始めたら、必ず途中で待ち伏せに遭う。ペルラ、渦王たちがいる山はあとどのくらいで見えてくる? その先の地点に、魔王軍が待ちかまえているはずだよ」
ペルラはとまどいました。兄たちが山の上で縛られていると聞いただけでかっとなってしまって、肝心のことをシルフィードたちに聞き忘れたのです。シルフィードは風と共に飛び去っていました。
「海鳥、偵察に行け!」
とゼンが命じると、海鳥たちが入り江の奥へ飛んでいきます。
メールは真っ青な顔で鳥たちを見送り、そのまま行く手をにらみつけました。燃える青い瞳は、今にも大粒の涙をこぼしそうです。
すると、ゼンがメールをぐいと抱き寄せました。細い腕を強くつかんで言います。
「大丈夫だ。渦王たちは絶対に助けてやる。だから早まるなよ――。おまえらが突進を始めたら、海の戦士たち全員がそれにならうぞ。全軍で敵の網の中に飛び込むことになるんだからな」
そのことばに、メールだけでなく、三つ子たちまでがはっとしました。あわてて自分たちの周囲を見回します。頭上からは海鳥たちが、海面や海の浅いところからは海の民や半魚人、魚の戦士たちが、じっと彼らを見つめていました。怒りと憤り、不安、焦り。どの表情からもそんなものが読み取れます。ほんの少しのきっかけで、全軍が雪崩を打って突撃を始めそうです。
フルートが静かな声でまた言いました。
「そう、焦らないで……。待ち伏せてる敵を見つけて、こちらから襲撃をかけるんだ。待ち伏せている者は、自分が不意打ちされるとは思っていない。焦らなければ、必ずこっちが勝つよ」
メールはいっそう涙ぐみました。歯を食いしばり、ゼンの肩に顔を伏せてしまいます。ゼンはその背中を優しくたたきました。
「大丈夫、大丈夫だ――。俺たちは絶対に魔王に勝つ。信じてろ」
ゼンのことばはフルートと違って理屈は一切ありません。それなのに、何故かゼンに大丈夫だ、と言われると、本当に大丈夫なような気がしてきます。メールは広い肩に顔を埋めてうなずくと、声もなく涙をこぼし始めました――。
やがて、入り江の奥へ偵察に行った海鳥たちが戻ってきました。
「報告します。渦王様とアルバ様を、入り江の一番奥にある山で発見しました。崖の頂上付近の岩壁に、二人並んで鎖で留めつけられていました。入り江側からよく見える場所ですが、切り立った崖なので、手前から登っていくのは不可能です。舞い下りて話しかけようと思いましたが、渦王様もアルバ様も気を失っていて返事はありませんでした。見えない力に押し返されて、そばに近づくこともできませんでした」
「ワン、間違いなく罠ですね。わざと見える場所に二人を監禁して、挑発してるんだ」
とポチが言いました。メールと三つ子たちは唇をかんでこらえています。
フルートが海鳥たちに尋ねました。
「渦王たちはどのあたりから見えるようになる? まだ遠いかい?」
「ここから二十キロほど進んだところで、入り江は大きく左へ曲がります。そうすると、真っ正面に渦王様たちが見えてきます」
「はん。そこでこっちを逆上させて、突進させる計画でいやがるな。そんな手に乗るかってんだよ。――おい、どうする、フルート?」
とゼンに言われて、フルートは少しの間考え込みました。
「そうだな……またぼくとゼンで二手に分かれよう。ゼンは本隊と一緒にいてくれ。海の戦士たちの暴走を止められるのはゼンだけだからな。ぼくとポチは魚の戦士たちと一緒に先に行って、待ち伏せている敵を見つけて攻撃をかける」
「私もフルートと一緒に行くわ!」
とペルラが急に言いました。必死の表情です。
「戦闘には魔法が必要でしょう!? 私も行くわ!」
「ポチさんが行くなら、あたしも――」
とシィも声を上げました。シードッグに変身しているカイに向かって熱心に言います。
「お願い、カイ。あたしにまた首輪を貸して。シードッグになれれば、あたしも戦うことができるんだもの。あたしも力になりたいのよ」
「ポチ君のために?」
とシードッグのカイは苦笑しましたが、小犬のシィが真剣な目をしているのを見て、すぐに言いました。
「いいよ、また首輪を貸してあげる。でも、無理はするなよ。マーレはまだ魔王につかまっているんだ。シィまで捕まったり、怪我をしたりしたら大変だからね」
「わかってるわ。ありがとう、カイ!」
とシィが元気に尻尾を振り、巨大なシードッグは、また苦笑いの顔になります――。
「よし、それじゃこうしよう」
とフルートは言いました。
「ぼくとポチは戦車で、ペルラはシードッグに変身したシィで、魚の戦士たちと一緒に先に行く。敵が待ち伏せている場所を見つけたら、不意打ちをかけて戦い始めるから、ゼンは本隊を率いてすぐに駆けつけてくれ。ゼン、海の戦士を一人、ぼくたちの戦車につけてくれ。ぼくは戦闘に入ると戦車を操れなくなるからな」
「御者か?」
とゼンはちょっと考え、すぐに思いついた顔になりました。
「そうだ。一番じいちゃんだった海の民の戦士に、フルートと一緒に行ってもらおう」
「わしのことかな?」
と海上に顔を出したのは、髪も眉もひげも雪のように白い老戦士でした。冷たい海への遠征に参加した経験がある、たった一人の海の民です。
フルートはうなずきました。
「あなたなら入り江の様子も知っている。最適です」
「老いぼれても、まだお役にはたてますか。いや、老いぼれているからこそ、ですな」
と老戦士が笑いました。いかにも年老いた姿と声ですが、彼はまだ二十五歳です。人間ならば、まだまだ青年の年齢なのです――。
「気をつけろよ。後で戦場で逢おうぜ」
とゼンに言われて、フルートがまたうなずきました。
「ゼンこそ気をつけろ。戦いは大将が敗れたときに勝敗が決まる。魔王は絶対に君を狙ってくるからな」
とたんにゼンは笑い声を上げました。
「おう、来るなら来い。大歓迎してやる。魔王が自分で乗り出してきたら、捕まえて返り討ちにしてやらぁ。総大将が敗れて負けが決まるのは、あっちだって同じなんだからな」
相変わらず、あきれるほど前向きなゼンです。その勢いのまま、全軍に向かって声を上げます。
「いいか、おまえら! 絶対魔王の挑発に乗るんじゃねえぞ! 最後まで隊列を乱すな! いよいよ戦闘が始まったら、後は思いっきり戦え! それが今回の作戦だ!」
おおぅ、とお馴染みの鬨の声が海上に広がっていきました――。