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第13巻「海の王の戦い」

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53.アンドロギュノス

 巨大な雷が海鳥の群れを呑み込みました。数千羽の鳥たちがまばゆい光の中に一瞬姿を消します。稲妻が音をたてて空気を引き裂き、海面に落ちて猛烈な水蒸気を巻き起こします――。

 

 けれども、水蒸気が風にちぎれると、空にまた海鳥の群れが現れました。稲妻に打たれたはずなのに、一羽も負傷していません。

 すると、群れの中から声がしました。

「もういいよ、みんな! 早く離れて! 巻き込まれるぞ!」

 とたんに、ざーっと海鳥たちが散り始めました。黒雲のようだった群れが崩れ、あっという間に四方八方へ飛び去ります。その後に現れたのは、風の犬のポチに乗ったフルートでした。淡い金の光が周囲に広がっています。

「聖なる光で群れを雷から守ったのね。この坊や、小さいくせに、いっぱしの勇者じゃない」

 と女のアンドロギュノスが言いました。フルートのいるほうを向いていなくても、心の目でその姿を見ているのです。男のアンドロギュノスが笑うように言いました。

「くだらん。ユード海峡を抜けるときにも、こいつは鳥の群れに隠れてきたんだ。実戦で同じ手が二度も通じると考えるのは、子どもの浅はかさというものだ」

 魔法使いの手からまた攻撃魔法が飛びました。それを魔法の盾で跳ね返して、フルートが叫びます。

「光れ、金の石!」

 ペンダントがフルートの胸の上で強く光り出し、強烈な輝きを双頭の魔法使いへ投げました。闇のものを跡形もなく溶かす聖なる光です。

 けれども、今度はアンドロギュノスがそれを跳ね返しました。自分の周囲に闇の障壁を張り巡らしたのです。

「金の石とはこの程度の力か。噂ほどでもないな」

 と男が笑うと、女が言いました。

「あれは風の犬よ。雨に弱いわ」

 女が両手をかざすと、土砂降りの雨が降り出しました。空中のフルートたちを雨が打ち、ポチが一瞬で小犬に戻ってしまいます。

 空から海へ落ちながら、フルートは片手で小犬をつかまえ、もう一方の手で炎の剣を引き抜きました。炎の弾を撃ち出しますが、やはり闇の障壁に弾かれてしまいます。炎はアンドロギュノスの前で砕けて海に落ち、ジュンと音をたてて消えていきました――。

 

 フルートはポチを抱いたまま海に墜落しました。大きな水しぶきが上がって、そのまま見えなくなります。

 男が言いました。

「金の石の勇者は海中でも平気だぞ。とどめを刺さなくては」

「すぐそばに歯クジラがいるわよ」

 と女が口笛を吹くと、すぐに海中からクジラが上がってきました。シャチより二回りほど大きな体をしていて、口にはナイフのような牙が並んでいます。

 男が命じました。

「金の石の勇者が沈んでいった。追いかけて息の根を止めろ」

「あのあたりよ」

 と女も言って、フルートの落ちた海面を指さします。クジラは大きくうなずいて、海に潜っていきました。

 

 それを見送ってから、男は女に話しかけました。

「さて、あとは天空の国の魔法使いだけだ。何をしている?」

 男の頭は陸地を向いているので、海上の戦車に乗る少女の姿が見えないのです。

「魔法で攻撃してるわよ。さすがに天空の国の魔法使いね。強力よ。海面にこっちの兵士の死体がどんどん浮いてくるわ」

「やはり我々が直接戦わなくてはならんか。行こう」

「いいわよ」

 再びアンドロギュノスが反転しました。男が海へ向き直り、女は入り江のある陸のほうを向きます。男が、はっと気合いを込めたとたん、アンドロギュノスは海の上を動き出しました。飛ぶような勢いで海上を渡り、次の瞬間には二台の戦車の前までやって来ます。

 

 突然目の前にやって来た異形の敵に、戦車の少年少女は驚きました。赤毛の少女が身構えて叫びます。

「気をつけて! こいつは闇魔法使いよ!」

「この小娘が天空の国の魔法使いか」

 と男が手を向けました。どん、と巨大な魔法の弾が撃ち出されます。

 けれども、それは少女に届く前に弾けて消えました。ホオジロザメの戦車の前に海水の壁がそびえたのです。戦車の上で青い髪の少年が片手を上げていました。

「水の障壁。この坊やは海の王族のようね」

 と女が言うと、男が答えました。

「海王の王子の一人だ。魔王様が話しておられた。他にもまだ王子と王女がいる。きっと海中に隠れているぞ」

「残念ながら心の目では見えないわ。聖なる魔法で姿を隠されているのね。用心しましょう」

 目の前にいる赤毛の少女こそが海王の王女なのだとは、アンドロギュノスも気がつきません。

 ペルラは敵へまた手を向けました。攻撃魔法を次々繰り出しますが、それは闇の障壁に防がれてしまいます。

 男のアンドロギュノスがあきれたように笑いました。

「天空の国の魔法使いと言っても、この程度の力なのか。まったく、噂は大げさに伝わっていくもんだな」

「だから言ってるじゃないの。あたしたちに勝てる敵なんかいないのよ。あたしたちは完全体なんだから」

 男女がひとつになったアンドロギュノスです。男と女それぞれの能力を持ち合わせた、完璧な存在になっているという自負があるのでした。

 

 マグロとカジキの戦車の上では、ゼンが声を上げていました。

「かかれ、海の戦士! 敵の魔法使いを倒すんだ!」

 大勢の海の民や半魚人が海上に姿を現し、いっせいにアンドロギュノスへ突進します。

「数があれば勝てると思うのか」

 男のアンドロギュノスは冷笑すると、さっと手を振りました。とたんに、海中から黒い軍勢が現れます。魚や人、海の生き物たちの姿をしていますが、どれも醜く歪み変形した怪物です。

「行け、闇の怪物部隊! 金の石の勇者は魔石と共に海中に沈んだ! 今頃は歯クジラの胃袋の中だ! 恐れるものは何もない。存分に暴れるがいい!」

 怪物たちが渦王軍へ向かいました。海上で、海中で、両軍の兵士が激突して戦いが始まります。

 アンドロギュノスがまた笑いました。

「無駄だ。闇の怪物はどれほど攻撃されて傷ついても、すぐに回復してしまうからな。貴様らに殺すことはできん。貴様らはここで死ぬのだ」

 再び光の弾がアンドロギュノスへ飛んできました。ペルラが戦車の上から攻撃してきたのです。それも闇の障壁で砕いて、アンドロギュノスはますます笑いました。

「つまらん、つまらん。こんなに弱かったとはな! こんな連中は皆、魚の餌だ!」

 すると、思いがけず、目の前の海面で、どん、と爆発が起きました。闇の障壁にたてつづけにまた魔法がぶつかって穴を開け、魔法が飛び込んできたのでした。

「いつの間に」

 とアンドロギュノスは驚きました。ペルラが新しい魔法を繰り出したことに気づかなかったのです。急いで穴を塞ぐと、いまいましそうに鼻を鳴らします。

「ふん、一応は天空の国の魔法使いだということか――。他の部隊を全部ここへ呼ぼう。このあたりは浅い海だから、連中はこれより先には進めない。ここで一網打尽だ」

 男のアンドロギュノスに言われて、女のアンドロギュノスは両手を差し上げました。陸地に川のように伸びている入り江へ呼びかけます。

「おいで、魔王様に使える忠実な兵士たち! 渦王軍は噂ほどのこともない! 片っ端から殺して食っておやりよ!」

 入り江の奥の海面が真っ黒になりました。海底から魔王軍が浮いてきたのです。無数の白波を立てながら泳ぎ寄ってきて、アンドロギュノスの足下を通り抜け、渦王軍に襲いかかっていきます。その数は二万を下りません。

 不死身の闇の怪物に加えて魔王軍の大軍。海の戦士たちは、入り江の入口から外海のほうへ追い返されていきます。負けるな、踏ん張れ、とゼンがどなり続けていますが、敵の勢いを止めることができません。

「どれ、あのうるさい司令官の小僧を吹っ飛ばしてやろう。そうすれば、連中は総崩れだ」

 と男のアンドロギュノスがゼンへ手を向けました。ひときわ大きな魔法を撃ち出します。うなりを上げて飛ぶ黒い光に、隣の戦車からペルラが叫びました。

「危ない、よけて!!」

 メールがとっさに戦車の手綱を操りますが、攻撃が早すぎてかわせません。闇の弾がゼンとメールの戦車を直撃します。

 

 すると、戦車の前に海の水の障壁がそそり立ちました。闇魔法の弾を受け止めて散らします。カーテンのような障壁が海へ戻っていくと、戦車がまた姿を現しました。その上でゼンがアンドロギュノスへ両手を突き出しています――。

「馬鹿な!?」

 と男は驚きました。渦王の後継者のゼンはドワーフなので、海の魔法は使うことができないのだ、と聞かされていました。けれども、ゼンが今見せているのは、紛れもなく魔法を使うときの姿勢なのです。

「なに、どうしたのよ!?」

 と女が男の見ているものを確かめようと振り向きました。背中がつながり合った体を精いっぱいねじって、戦車のほうを見ます。

「ゼンとかいう小僧が魔法を使ったぞ! 海の障壁で俺の攻撃を防いだんだ!」

 と男が言います。今度は女がゼンへ魔法を繰り出しますが、やっぱり海から水の障壁がせり上がってきて、魔法の弾を砕きました。障壁の奥で手を掲げているゼンに、攻撃は届きません。

「確かに海の魔法ね」

 と女が茫然とすると、男がわめきました。

「そんなわけはない! あいつは魔法を使えない役立たずのドワーフだ! これは何かの間違いだぞ! きっと何かからくりが――」

 言いかけて、ふいにアンドロギュノスは声を呑みました。いきなり海中から手が伸びてきて、男と女のアンドロギュノスの足を一本ずつ捕まえたからです。

 ぎょっと足元を見ると、海中に大きな海草の塊が浮いていました。手はその中から突き出ています。こんな声も聞こえてきました。

「だぁれが役立たずだ、この男女野郎。好き勝手なことぬかしやがって。そんなに見たけりゃ、北の峰のドワーフの実力を見せてやるぞ」

 身震いするように海草の塊が揺れて滑り落ち、ゆっくり海中を沈み始めました。海草の中から一人の少年が姿を現します。それは、青い防具を身につけ、大きな弓矢を背負ったゼンでした――。

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