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第13巻「海の王の戦い」

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第18章 入り江の戦い・1

52.入り江の入口

 海の戦士たちが冷たい海に進攻して二日目の午後、軍勢はついに入り江の入口に到達しました。

 海面に浮上して眺めると、行く手には無数の島々が散在し、その奥に陸地が見えていました。険しい山々が連なる間に、海の水が入り込んでいるので、海岸線は複雑です。相変わらず厚い雲におおわれた空の下で、海は冷ややかな緑色をしていました。

 戦車に乗ったゼンに、半魚人のギルマンが言いました。

「あの、一カ所陸が切れているように見える部分が、我々の目ざしてきた入り江の入口だ。手前に見えている島々は、海底からそびえる山の先端にあたる。このあたりは、陸上も海底も険しい山脈になっていて、その谷間に海が入り込んで入り江を作っているんだ。入口から最果てまで五十キロ以上もある、細長い水路のような海だ」

 それを聞いてゼンは黙ってうなずいただけでしたが、隣からメールが言いました。

「入口から奥まで五十キロもある入り江なんて、なんだか川みたいだよね。幅も狭そうだし。それでもやっぱり海なんだ」

「元は川のあった場所ですよ、姫様」

 とギルマンは丁寧な口調になって答えました。

「それも普通の川じゃない。山に降り積もった雪が氷になって滑り落ちていく、氷河だったんです。氷河は大地を削りながら海まで進んでいた。ところが、海が暖かくなって氷が消えたので、その痕に海水が入り込んで、今のような入り江ができたんです。――渦王様からそう教えられました」

 ギルマンが説明しているのは、氷河があった海岸にできる、フィヨルドという地形のことでした。ふぅん、とメールはまた行く手を眺めました。連なる山々は本当に険しく、夏だというのに山頂付近には残雪が見えていました。雲は低くたれ込めていて、頂をその中に隠している山もあります。

「父上がにここまで攻めてきたとき、入り江の民は海辺を離れて裏山に逃げ込んだ、って言ってたよね? もっと小さな山を想像してたんだけど、あんなすごい山脈だったんだ」

 山々は切り立った崖になって海へ落ち込んでいました。どこにも上陸できそうな場所は見当たりません。

 

 すると、ギルマンが話し続けました。

「入口の浅い場所を越えると、その奥の入り江は急激に深くなります。水深は平均千メートルというところです。入口が浅いので、入り江の中は波が穏やかだし、西の大海から流れ込んでくる海流のおかげで、水も少し暖かい。人間たちは、入り江のあちこちにある小さな湾に村をいくつも作って、そこに暮らしています。元は魚を捕る猟師たちだったのですが、ある時から海賊になって、入り江から大海へ略奪に出かけるようになったのです」

 入り江のあるこのあたりは、北極圏に近い寒い地域です。気候が厳しく、暮らすのに楽な場所ではないので、入り江の民は他の場所へ富を求めて出ていったのでした。

 メールはまた、ふぅん、とつぶやきましたが、ふと隣のゼンを見て吹き出しました。

「やだ、何そんなに緊張してんのさ!? いくら魔王と決戦だからって、そんなのゼンらしくないよ。いつものようにやりなよ!」

 とたんにゼンは顔を赤らめました。口を尖らせて何かを言い返そうとして思い直し、肩をすくめて言います。

「いつものように、か。そうだな。じゃあ、やるか。――いくぞ、渦王軍! いよいよ魔王と対決だ!」

 声にいつもの威勢の良さがありません。メールはいっそう笑いました。

「もう一息だね。もう一度」

 ゼンは憮然としましたが、すぐに気を取り直すと、大きく息を吸い込みました。自分が浮いている海面に向かって呼びかけます。

「行くぞ、渦王の戦士たち! 魔王と最終決戦だ!!」

 とたんに海中から、おおぅ!! と返事があって、海の戦士たちが次々に浮いてきました。ゼンに向かって大きく手を突き上げ、尻尾やひれを振り回します。ゼンは命令を下しました。

「出発!」

 戦車が動き出すと、海の戦士たちもいっせいに泳ぎ出しました。その上空をたくさんの海鳥たちが飛んでいます。寄り集まり、黒雲のような群れになって戦士たちを追い越し、一足先に入り江へ向かっていきます。

 

 と、その中の十数羽が、急に引き返してきて言いました。

「警告! 警告! 行く手の島の陰で敵が待ち伏せしています!」

 上空から敵の影を海中に見つけたのです。

 ギルマンがゼンの戦車を追い越し、振り向いて呼びかけました。

「行くぞ、半魚人部隊! まずはわしらが露払いだ!」

 ざざーっと海面に白い波が立ち、無数の影が先に飛び出していきました。人の姿をした魚影――半魚人たちです。海面に近い場所を泳ぎながら、手にした銛や槍を構えなおし、あっという間に島陰に回り込みます。

 敵は数十頭の黒いシャチでした。渦王軍が通りかかったところへ襲いかかろうと待ちかまえていたのですが、逆に半魚人たちに襲撃されてあわてます。反撃に転じる余裕がありません。

 すると、頭上からも新たな攻撃が始まりました。海鳥の戦士たちが空から海にダイビングして、鋭いくちばしでシャチの体を突き刺したのです。シャチは急いで海中へ潜りましたが、そこにも別の敵が待ちかまえていました。渦王軍のシャチ部隊が襲いかかってきて、激闘が始まります――。

 

 

 入り江の入口に近い場所に、陸に立つように海面に立つ者がいました。人間の男女のようですが、体が背中の部分でつながり合っていて、頭が二つ、腕が四本、緑の長衣の下の足も四本あります。頭はそれぞれ正反対の方向を向いていて、ひとつは中年の男、もうひとつは中年の女の顔をしています。アンドロギュノスと呼ばれる怪物でした。

 アンドロギュノスは、入り江の入口を守る魔王軍の司令官でした。男のほうの頭が海を見ながら言います。

「始まったな。なかなか勇敢な戦いっぷりじゃないか。さすがは渦王の軍勢だ」

 すると、女の頭が入り江のある陸地のほうを見ながら言いました。

「敵に感心してどうするんだい。こっちは不意打ちに失敗したっていうのに」

「我々が待ちかまえていたことくらい、向こうも承知済みだ。それより、魔王様がおっしゃっていた魔法使いはどこにいる? 見えるか?」

「心の目には映らないわよ。魔法で隠されてるのね。ちょっとあたしにそっちを見せて。直接自分の目で探すから」

 とたんに、海上でアンドロギュノスの体が反転しました。女の頭が海のほうを、男の頭が陸地のほうを向きます。

 女はそのまましばらく海を眺めていましたが、やがて、薄青い目を細めて言いました。

「やだね。本当にこっちが渦王軍に押されてるよ。シャチなんて、もう二、三頭しか残っていないじゃない」

「シャチなぞどうでもいい。どうせあんな奴らはただの捨て駒だ。こちらの兵士はまだ山ほどいるからな。魔法使いの少女というのは見つからないのか?」

「そうねぇ」

 女はさらに海を見回し続けました。遠い海上に浮かぶ戦車を見つけて言います。

「あれに女の子が乗っているわね。ただ、恰好が違うわ。魔法使いの服を着ていないし、髪の色も緑よ。魔法使いの子は赤毛だという話だったわよね」

「緑の髪なら渦王の王女だろう。森の民の血を引いているらしいからな。とすると、一緒にゼンとかいう大将も乗っているな? 渦王の後継者だ」

「見えるわよ。青い胸当てをつけた男の子。へぇ、あんなのが次の渦王なの? どう見たって、山の猟師の子どもよ。弓矢まで背負っているんだから」

 女ははるか彼方まで見通せる目をしていました。そこからでは点のようにしか見えない戦車の乗員を、つぶさに観察することができます。

「ドワーフの血が混じっているらしい。力は強いが魔力はないから、恐れる必要はない。問題は天空の国の魔法使いと――金の石の勇者が持つ聖なる石だけだな」

 男の頭が言ったとたん、女の頭は、ふん、と顔をしかめました。

「聖なる石がなんだというの。あたしたちがそんなもので恐れ入るとでも思っているの? 闇の魔法使いの中でも屈指の実力者よ、あたしたちは。なにしろ完全体なんだから」

「むろんだ。だが、用心するにこしたことはない。魔法使いと勇者は、おそらく一緒にいるぞ。本当に見当たらないのか?」

「ちょっと待って。海の中も探してみるから――」

 

 その時、海上へ浮いてきた戦車がありました。先の戦車からそう遠くない場所です。先の戦車はマグロやカジキが引いていましたが、こちらの戦車は二頭の大きなホオジロザメが引いていて、少年と少女と犬が乗っていました。

 女のアンドロギュノスは腰に両手を当てて、それを眺めました。

「あれね。赤い髪に緑の瞳、黒い服の女の子――間違いないわ。あら、でも、一緒にいる男の子は勇者じゃないわよ。青い髪をしてる。あれは海の民よ」

「金の石の勇者が一緒に乗っていない……?」

 男のアンドロギュノスは目を上空に向けました。渦王軍の海鳥たちが海上を渡り、入り江の入口へと飛んでいくところでした。寄り集まって飛ぶ鳥たちは、まるで大きな黒雲のように見えます。

「魔王様がおっしゃっていた通りだな。勇者め、また鳥に紛れているぞ」

 と男は両手を差し上げました。

「落ちろ、稲妻! 鳥に隠れて飛ぶ馬鹿者を撃ち落とせ!」

 とたんに、海上に雷鳴が響き渡ります。次の瞬間、海鳥の群れに、目もくらむような閃光が降ってきました――。

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