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第13巻「海の王の戦い」

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45.海の王子

 渦王軍の先頭でアルバは魔法を繰り出し続けていました。

 魔王軍の兵は行く手にまだいますが、数がだいぶ減ってきていました。包囲網を抜けつつあるのです。水色に輝く水蛇のアクアが、水中で何度も回転しながら、敵をかみ殺しています。

 メールが戦車の手綱を握りながら言いました。

「もう少しだね。このまま敵を蹴散らそう」

 メールは今はもう鎧兜を着ていません。いつもの色とりどりの袖無しシャツに、うろこ模様の半ズボンという軽装ですが、その顔つきはまぎれもなく海の戦士のものでした。青い瞳が炎のように敵を見据えています。

 アルバはちょっと笑いました。

「こうして見ると、君はやっぱり綺麗だな、メール。君と結婚できなくなって、本当に残念だよ」

 メールは目をまん丸にしてアルバを振り向き、あわててまた行く手を見ました。

「こ、こんなときに何を言ってんのさ、アルバ! だいたい、あたいなんかよりずっと素敵な女性は、まわりにいくらでもいるだろ? あんたは海王の跡継ぎなんだからさ」

「君より素敵な女性は見つからなかったよ――」

 行く手から迫ってくる巨大なバラクーダを魔法で吹き飛ばしながら、アルバは言いました。苦笑するような声と表情です。

「今だから言うけれどね、ぼくは君が海王の城に来るずっと以前から、君のことを知っていたんだよ。父上と長年喧嘩をしている叔父上というのはどんな人物なんだろう、海の民のくせに島で暮らすなんて物好きだな……そう考えてね、父上にも誰にも内緒で城を抜け出して、渦王の島まで行っていたんだ。島の海岸で見かけたのは、母君と一緒にいた君だ。まだ三つか四つに見えた」

 メールはあきれました。

「その三歳のあたいに一目惚れしたとか言うんじゃないだろうね? そんなの変態じゃないのさ」

 どんな場所にいても、歯に衣着せぬ彼女です。

 アルバは笑って、また行く手に魔法を繰り出しました。大渦巻きを起こして、魔王軍の兵をなぎ払います。

「まさか。ぼくにはその趣味はないよ。ぼくが一目惚れしたのは、君の母上さ。緑の髪の貴婦人が、それは綺麗に見えた。海の民にはない美しさだったな。それ以来、ぼくは彼女を一目見たくて渦王の島に何年も通い続けた。いつも海からこっそり見ていたから、彼女も君もぼくには少しも気づかなかったけれどね。そのうちに、彼女が夫の渦王を心から愛しているのがわかった。それでやっと彼女をあきらめられたけれど、代わりに、もう一人の女性がぼくの心を占めるようになっていた。彼女と同じ緑の髪をして、彼女によく似た顔立ちをした女の子さ」

 戦いの最中だというのに、アルバは敵から目を離してメールを見つめていました。メールの髪は母親譲りの美しい緑色です……。

 

 メールは真っ赤になって顔をそらしました。わざと行く手の敵をにらみながら言います。

「あたいは母上の身代わりじゃないよ、アルバ」

「わかっているさ」

 とアルバはまた笑いました。これだけ話し込んでいても、敵が迫ればすかさずそれを撃退します。戦車は猛スピードで進み続けています。

「ただ、一度だけ話しておきたかったんだよ。君はゼンと結婚する。ぼくも誰か他の女性と結婚するだろう。でも、君と婚約したのは、従兄弟だからとか、君が受け継ぐ西の大海をほしかったからだとか、そんな理由じゃなかったことだけは、知っておいてほしかったんだ」

 メールはとまどって、従兄弟の顔をそっと盗み見ました。未来の海王は顔も姿も麗しければ性格も良い、申し分ない人物です。その彼が二十六になるこの歳まで独身でいた理由が、やっとわかった気がしました。知らず知らず顔が赤くなります。

「でも……あたいはゼンが好きなんだよ……」

 なんとなく弁解するような口調になって言うと、アルバは今度は穏やかに笑いました。

「それもわかっているよ。ぼくは正式に彼と決闘して敗れたんだ。君を勝ち取ったのは彼だからな。それに、どうもやっぱり、ぼくは彼にかなわないような気がしているよ。渦王の魔力もまだ手にしていないのに、どうしてこれだけのことができるのか――」

 アルバは後ろを振り向きました。海流の中、数え切れない魚が弾丸のように泳いでいます。その周囲や後ろでは海の戦士たちが激しく戦い、さらにその後ろでは戦車部隊が敵をなぎ倒しています。一糸乱れぬ進攻ぶりは、指揮官の統率力を現しています。渦王に従っていたはずの戦士たちが、今はゼンの命令の下、ゼンのために戦っているのです。

 ゼンが戦車で戦場を縦横無尽に走り回っていました。味方の兵が危なくなっているのを見ると、即座に助けに駆けつけます。使う武器も、弓矢、海の剣、自分自身の拳と実に多彩です。ゼンが駆けつけてくるたびに、海の戦士たちが奮い立って、いっそう勇敢に戦います。

「彼は立派な渦王だ……誰がなんと言ったってね。だから、ぼくも君たちの結婚を心から祝福するのさ」

 アルバにそんなふうに言われて、メールはまたとまどいました。従兄弟の顔を、なんとなく見直してしまいます……。

 

 後ろから半魚人のギルマンが追いついてきました。全速力の戦車に楽々と並んで言います。

「間もなく敵の包囲網を抜けます、アルバ様。あそこにいるのが最後の敵です」

 さすがのギルマンも、渦王の甥に当たるアルバに対しては丁寧な口調です。

 行く手に小山のようなものが見えていました。海中に黒くそびえています。アルバはギルマンに尋ねました。

「クジラか?」

「いいえ、もっと大きい怪物です。海上からも姿が見えています。海坊主だろう、と海鳥たちが話していました」

 アルバは眉をひそめました。海坊主は海に棲みついている巨人族です。さて、どうやって行く手から追い払おう、と考えます。

 

 すると、海上から声が聞こえてきました。

「放せ――! この手を放せ!」

 彼らは仰天しました。少年の声です。しかも、それは――

「ザフ!!」

 アルバが叫び、メールは即座に戦車を浮上させました。ギルマンが泳いでついてきます。

 海上ではまだ雨が降っていましたが、雨脚はだいぶ弱まっていました。明るくなってきた空の下に、巨人が海面から上半身を出して立っています。全身を緑色の毛でおおわれていますが、大きな一つ目の頭には髪の毛が一本もありません。

 怪物の周囲を渦王の海鳥部隊が飛んでいました。ぎゃあぎゃあ鳴きながら、真っ黒い集団になって旋回しています。鳥たちは海坊主の右手を見ていました。そこに少年が捕まっていたのです。

「放せ!!」

 少年がもがいてまた叫びました。今にも巨人に握りつぶされそうな姿に、メールやギルマンが息を呑みます。

「ザフ!」

 アルバが呼ぶと、少年がふいに黙りました。はるか下の海面に兄を見つけて、泣き出しそうな顔になります。

「兄上……ごめんなさい……」

 聞こえてきた謝罪にアルバが唇をかみます。

 

 すると、海坊主が言いました。

「こいつの命を救いたければ、今すぐ戦うのをやめて停まれ! 言うとおりにしなければ、こいつから体中の血を一滴残らず絞り出してやるぞ!」

 割れるような声が海の上に響き渡ります。

「アルバ! 魔法で助けなよ!」

 とメールが言いました。巨人が本当に今にもザフを握りつぶしそうにしているので、気が気ではありません。アルバは青ざめて首を振りました。

「もう何度も試しているよ――。魔法が跳ね返されてしまう。海坊主の周囲に闇の障壁が張り巡らされているんだ」

 魔王のしわざに違いありませんでした。

 ギルマンは後ろを振り向きました。渦王の軍勢が黒い影になって海面に見えています。せっかく敵の包囲網を抜けようとしていたのに、ここで停まれば、すぐ敵に追いつかれて囲まれてしまいます。下手をすれば全滅です……。

 

 すると、アルバが顔を上げました。弟ではなく、後ろに続く渦王軍のほうへ向かって言います。

「このまま予定通り先へ進め! 全員絶対に立ち止まるな!」

「アルバ!?」

 メールが悲鳴のような声を上げました。アルバはザフを見殺しにして先へ進め、と全軍に言ったのです。

 海の王子のことばは海中まで届き、戦士たちの驚きの声と共に、ゼンが海中から上がってきました。

「なに言ってやがる、アルバ! ザフは助けるって言ったはずだぞ!」

 どなりながら戦車で迫ってきます。

 すると、アルバが急に笑いました。

「もちろん助けるさ。でも、それは君たちの役目じゃない」

 アルバが手を動かしたとたん、メールの体が風にさらわれたように宙を舞い、ゼンの戦車へ飛び込みました。ゼンがあわててそれを受けとめます。

 驚くゼンとメールを残して、アルバはホオジロザメの戦車を走らせ始めました。

「ザフを助け出すのはぼくだ! 彼はぼくの弟だからな! 君たちはこのまま先へ進め!」

 そう言って、アルバはまっすぐ海坊主へ突進していきました――。

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