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第13巻「海の王の戦い」

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第15章 海峡・1

43.シルフィード

 「だめだ。やっぱり見当たらないぞ!」

 水しぶきをたてて海中から浮いてきたクリスが言いました。海上は雨が降り続いていて、一面灰色にけむっています。

 クリスを乗せた灰色のシードッグのカイが、青年の声で言いました。

「ザフの匂いもマーレの匂いも、まったくしない。彼らはこのあたりにいないな」

 海上にはホオジロザメの戦車が浮いていて、アルバとメールが乗っていました。アルバが言います。

「ザフは今朝から姿を見せていなかった。最後に彼を見たのはいつなんだ!?」

 彼らは皆あせった顔つきをしていました。ザフが軍のどこにもいないことにようやく気がついたのです。クリスが答えます。

「昨夜だよ。寝るときには確かにそばにいたんだ。だけど、今朝目が覚めたら――」

「もしかしたら、あたいが一番最後にザフに会ってるのかもしれない」

 とメールが言いました。

「夜中に満月を見たくなって海の上まで送ってもらったんだ。でも、海上で別れた後、ザフはまた戻っていったんだよ」

 そこへ海上に波を立てながら、マグロとカジキの戦車がやって来ました。ゼンとフルートとポチ、それにペルラとシィが乗っています。ゼンがアルバへどなります。

「やっぱりこっちにもいねえぞ! 海鳥部隊に聞いたが、誰も見かけてねえんだ!」

 すると、海の中から半魚人のギルマンも現れて言いました。

「海の戦士たちも誰もザフ様を見かけていない。どうやら、明け方に一人で先の海域へ行かれたようだ」

「やはり偵察に行ったのか。だが、今になっても戻らないとすると……」

 アルバがいっそうあせる顔になります。

 

 海の上を風が吹き渡ってきました。北から吹く風は、初夏だというのに、肌を刺すような冷たさです。

 すると、急にペルラが歓声を上げました。

「シルフィードだわ! 彼女たちに聞いてみましょう!」

「シルフィード? 風の精霊か?」

 とゼンが聞き返すと、クリスが答えました。

「ペルラはシルフィードから話を聞くことができるんだ。でも、静かにしてくれ。シルフィードの声はすごく弱いんだ」

 ペルラが両手を上げてシルフィードたちを呼んでいました。風がまた強くなって、海上の人々の髪や犬たちの毛並を乱します。ペルラも自分の長い髪を抑えました。その色は赤、裾がはためいている服は輝く黒です。

 透き通った美しい女性たちが、薄絹の服をひるがえして舞い下りてきました。ペルラのすぐそばを次々に通り抜けていきます。

 すると、ペルラが言いました。

「ポポロって魔法使いの恰好をしているのよ。魔王に邪魔されて呼べないから。気にしないで――」

 シルフィードたちは、ペルラの髪や目や服の色がいつもと違うことを不思議に思って、尋ねてきたのです。けれども、その声は他の誰にも聞くことができませんでした。ただ風の吹く音がひょうひょうと響いているだけです。

 ペルラはさらにシルフィードたちと話し続けました。半透明の乙女たちがペルラに一言二言話しては、また空の向こうへ飛んでいきます。風は留まることができません。通り過ぎる一瞬の間に、伝えたいことを話すのです。

 やがて、すべてのシルフィードが吹き過ぎてしまうと、ペルラは一同を振り向きました。……その顔は真っ青になっていました。

「大変よ! ザフとマーレは魔王のところへ行ったらしいわ! 銀髪の人魚と一緒に冷たい海を進んでいるところを見た、ってシルフィードたちが」

 とたんに、だん! と音がして、マグロたちの引く戦車が大揺れに揺れました。ゼンが拳を床にたたきつけたのです。ペルラとシィが振り落とされそうになって悲鳴を上げ、フルートやポチもあわてて車体にしがみつきます。

「あの馬鹿……」

 とゼンは言いました。猛烈に怒っている表情なのに、声はむしろ静かです。

「いい加減にしやがれ。俺が気にくわねえからって、勝手なことしやがって。――最悪だろうが!」

 フルートも青ざめて言いました。

「彼が魔王に対抗できるわけがない。間違いなく魔王に捕まったぞ。人質にされたんだ!」

「ワン、それだけじゃないですよ! 魔王はザフからこっちの様子を聞き出したはずです!」

 賢い小犬のことばに、一同はいっそう青くなります。

 

 やがて、じっと考え込んでいたアルバが口を開きました。

「しかたがない。ザフのことはあきらめよう」

 兄上!? とクリスとペルラは仰天しました。あきらめるというのはどういう意味だろう、とあわてふためいて考えます。

 アルバは重々しく言い続けました。

「ザフは指揮官のゼンの命令に背いて勝手な行動をとった。戦場で勝手なことをした兵士が命を落とすのは当然のことなんだ……。魔王はザフを人質に掲げてくるだろう。見捨てるんだ、ゼン。彼を助けなくていい」

 クリスとペルラは驚きのあまり何も言えなくなりました。シードッグのカイや小犬のシィも茫然とします。海王の長兄は、これ以上ないほど真剣な顔をしていたのです。

「そんな、アルバ!」

「なに馬鹿なことぬかしてやがる! おまえの弟だろうが!」

 と騒ぎ出したのはメールやゼンでした。フルートもきっぱりと言います。

「それはできなません。彼を助けなくちゃ」

「ザフを救おうとすれば全軍が危機に陥る。魔王はザフの命と引き替えに降伏を要求してくるだろう。その要求は絶対呑むわけにはいかない。そんなことをしたら叔父上は救えないし、海や世界は魔王に支配されてしまうんだからな――。ザフは見殺しにするんだ。これは彼が勝手な行動をとった報いだ。自業自得なんだ」

 普段穏和なアルバとは思えないほど厳しい声でした。クリスとペルラが泣き出してしまいますが、それでもことばをひるがえそうとはしません。

 

 すると、ゼンが渋い顔で言いました。

「ったく。いい加減にしろって言ってるだろうが……。俺たちが魔王の要求を呑むなんて決めつけるんじゃねえ。そんな向こうに都合のいいようなことを、誰がしてやるか。ザフを奪い返すんだよ。魔王の手からな」

「そんなことは不可能だ!」

「それを言うなら、渦王を魔王から奪い返すのだって不可能ってことになるだろうが。大丈夫だ、絶対二人とも取り返してやる。なにしろこっちには優秀な軍師がいるんだからな。――なあ、フルート?」

 いきなり自分にお鉢が回ってきてフルートは目を丸くしましたが、すぐにまた真剣な顔になってうなずきました。

「ザフを見殺しにはしない。絶対に助けて見せるさ。ペルラ、シルフィードたちをまた呼べるかい? 冷たい海のどこにザフが捕まっているか探してもらいたいんだ。ぼくらは予定通りユード海峡を抜けて、その先で待ちかまえている魔王の軍勢を突破する。そうすれば、魔王はぼくらを足止めしようとして、必ずザフを出してくる。そのときに彼を助け出すんだ」

「よし。兵士たちに伝えよう」

 と半魚人のギルマンが潜っていきました。海中に渦王の軍勢が待機しているのです。

「ペルラ」

 とクリスが自分のシードッグの上へ妹と小犬のシィを引き上げました。ペルラが空にシルフィードを探し始めます。

 

 マグロとカジキが引く戦車の上で、ゼンが声を上げました。

「出発だ! 救い出すのは渦王とザフ! なぁに、一人が二人に増えただけのことだ。海峡を抜けて魔王軍をぶっ飛ばすぞ!」

 非常に困難なはずのことも、ゼンにかかればなんでもないことのように聞こえます。

 すると、彼らの周囲で、おぉぉ! と声が響きました。たくさんの魚や半魚人、海の民が海面に姿を現します。海の戦士たちが浮かんできて鬨の声を上げたのです。いつの間にか頭上には海鳥部隊も集まってきて、賑やかに鳴きながら飛び回っていました。鳥たちはゼンの名前を繰り返し呼んでいます。

「おっしゃぁ! 行くぞ、渦王の戦士たち!」

 とゼンが叫ぶと、フルートも言いました。

「ユード海峡を通る海流は流れが急だ! そこをさらに全力で泳いで、できるだけ早く海峡を通り抜けろ! 敵は必ず出口で待ちかまえている! そこを突破するんだ!」

 おぉぉぉ、とまた鬨の声が響き渡ります。

 ゼンが高く拳をあげ、さっと前へ振り下ろすと、全軍はいっせいに泳ぎ始めました。ゼンの戦車も戦士たちも海中へ潜っていって、後には空を飛ぶ海鳥たちと、シードッグに乗ったクリスとペルラ、戦車に乗ったアルバとメールだけが残ります。

 アルバが苦笑して頭を振りました。

「まいったな……。ゼンの奴、見事に海の王をしてるじゃないか」

「海の魔法が全然使えないのになぁ」

 とクリスも信じられないように言います。

 すると、メールがにやっと笑いました。

「だから最初に言っただろ。ゼンたちを見た目で判断してると、後でびっくり仰天するってさ」

 それには異論の唱えようがない王子や王女たちでした――。

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