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第13巻「海の王の戦い」

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39.月夜

 海に夜が訪れていました。

 ずっと海流に乗って進軍していた海の戦士たちも、夜には泳ぐのをやめて眠りますが、その間も海流は彼らを北へ運び続けていました。暗い海の中から見る海面は、黒い天井のようです。その一カ所が明るい銀色になっています。

 クーン、と突然犬の声がしたので、ザフは目を覚ましました。彼が乗っているシードッグが何かを見上げています。それが袖無しシャツに半ズボンの少女だとわかって、ザフは驚きました。メールが戦車から抜け出して、海流の中を泳いでいたのです。

 ザフはシードッグでメールを追いかけました。手を伸ばしてメールの腕を捕まえます。

「待てよ、メール! あいつのところへなんか行かせないぞ――!」

 すると、メールが驚いたようにザフを見て、すぐに言い返してきました。

「違うよ。ゼンに会いに行くわけじゃないさ。ちょっと海上に出てみたかっただけだよ」

 日中ずっとアルバから力を送り込んでもらったおかげで、メールはだいぶ元気になっていました。少なくとも、見た目は普段と変わらないくらいにまで回復しています。

「海上に? どうして?」

 とザフが聞き返すと、メールは頭上を示して見せました。

「今夜は満月さ。眠れないから、ちょっと海上に出て月でも見ようかと思ったんだよ」

 黒い水天井に銀の灯りがともっていました。海水を通して月が見えているのです。

 そういうことならば、とザフはメールを自分のシードッグに乗せて、海上へ向かいました。しぶきをたてて海面に出ます――。

 

 夜の海は銀の鏡のようでした。

 黒い海面を満月が照らして、至るところを輝かせています。一面の光の中、海流の流れる部分だけが黒い川になり、波間で月影が砕けていました。ちらちらと銀のかけらがまたたきます。

 吹き抜ける夜風に髪をなびかせながら、メールは歓声を上げました。

「ああ、やっぱり綺麗だ――!」

 シードッグの背中で両腕をいっぱいに広げてほほえみます。そんなメールのほうがもっと綺麗だ、とザフは心の中で考えました。銀の輝きを浴びて、メールのほっそりした姿は月の女神のようです。

 けれども、メールは従兄弟の熱い想いには気づきませんでした。揺れては砕ける月を海面に眺めながら言います。

「二年半前に伯父上を助けに海王城に向かったときにも、こんなふうに月の海を見たことがあったんだよ。これからものすごい戦いが始まるってときだったのに、本当に、ぞっとするくらい綺麗だったっけなぁ……」

 

 メールの青い瞳は、目の前の海に遠い日の海を重ねて見ていました。謎の海の戦いのときのことです。父の渦王が海の戦士たちを率いていたのですが、勝手な行動をとって隊列から送れたメールを、ぜンやフルートが迎えに来ました。その戦車の中で、月の海を見たのです。

 フルートやポチは眠ってしまって、起きていたのはゼンとメールだけでした。月に誘われるように互いの話をするうちに、思いがけず、ゼンがメールの気持ちを理解してくれました。俺も人間の血を引いたドワーフだ。森の民の血を嫌がるおまえの気持ちは、嫌ってほどわかるぜ、と。

 あの時から、メールはゼンに惹かれ続けてきました。どんなに反発して喧嘩をしても、やっぱり好きでした。ゼンがポポロを好きだとわかっていても、それでもあきらめることはできなかったのです。

 ゼンが、アルバとの決闘に勝って、三年後に結婚しよう、と言ってくれたとき、メールは自分の耳を疑いました。ゼンはとても照れ屋です。その彼がそんなふうにはっきり言うのは、魔王と対決するより大変だったはずなのです。その後はもうめったに結婚ということばを言わなくなりましたが、ゼンはずっとメールを大切にしてくれました。一角獣伝説の戦いでは、メールが倒れるたびに、必死で救おうとしてくれました。事件はあっても、メールとゼンの間は順調で、メールは幸せで幸せで、なんだか夢を見ているような気持ちさえしていたのです。父の渦王が魔王にさらわれても、きっとゼンが助けてくれるから大丈夫、と落ち着いていられたほどです。

 けれども今、メールとゼンは離ればなれになっていました。同じ隊列の中にいて、さほど離れているわけでもないのに、なんだかひどく遠い場所に別れてしまったような気がします。

 どうしてあたいはこんなふうなんだろう、とメールは心の中でつぶやきました。ゼンのすぐ隣にいて、どこまでも一緒に行きたいのに、それができない自分自身を、死ぬほど歯がゆく感じます。呼んでも呼んでも振り向かなかったゼンの後ろ姿が浮かんできて、涙がこみ上げてきます……。

 

 ところが、すぐ近くの海から、急に声がしました。

「おまえら! こんなところで何してんだよ!?」

 ゼンがマグロの背に立って海の上に浮いていました。馬に乗るようにマグロにつけた手綱を握っています。メールはぽかんとしました。ゼンのことを考えるあまり、幻を見てしまったんだろうかと考えます。

 すると、ゼンが肩に留まっていた鳥に言いました。

「知らせてくれてありがとよ、ウミツバメ。もういいぜ」

 キーィッ、と鳴いて小さな鳥が飛びたちました。夜の中にすぐ見えなくなります。

「ったく。おとなしくしてろって言ったじゃねえか。なんでこんなところにいるんだよ?」

 とゼンがまた言って近づいてきました。やはり夢や幻ではありません。ザフが口を尖らせました。

「メールが月を見たがったから連れてきただけだ。君こそ何をしてる、ゼン。総大将がこんなところで油を売ってていいのか?」

「今は夜だ。俺にだって非番くらいあらぁ。俺も月を見に来たんだよ。海の上の満月は綺麗だもんな」

 メールは、どきりとしました。ゼンもあの日のことを思い出していたんだろうか、と考えてしまいます。

「こっちに来い、メール」

 とゼンが手を差し出しました。ごく自然な調子です。

 メールは夢中でその手をつかみ、ゼンが乗るマグロの背中へ乗り移りました。ザフが悔しそうに唇をかみ、ゼンをにらみつけてから海に潜っていきましたが、それに気がつく余裕もありませんでした――。

 

 二人の足下から、マグロが声をかけてきました。

「ご気分はいかがですか、姫様?」

「もう大丈夫だよ。ありがと、心配かけたね」

 とメールが答えると、とたんにゼンに頭を小突かれました。

「油断するんじゃねえや。やっと動けるようになったってだけのことなんだぞ。ちゃんとアルバのそばでおとなしくしてろ、跳ねっ返り」

「なんだって――!?」

 メールは怒って言い返そうとして、すぐに言えなくなりました。ゼンに抱きしめられてしまったのです。

「ゼ、ゼン……?」

 真っ赤になってあせると、ゼンが言いました。意外なほど真剣な声です。

「無理するなって言ってるんだ。無理に元気なふりをされたって、俺は嬉しくねえよ……。アルバに治療してもらって、早く本当に元気になれ」

 ゼン、とメールはまたつぶやきました。それ以上ことばが続きません。

 ゼンはその後も長い間メールを抱き続けていました。メールのほうが背が高いので、メールがゼンに頭を預けるような恰好になります。

 

 すると、ゼンが言いました。

「ごめんな」

 メールはびっくりして頭を上げました。ゼンがこんなふうに謝ってくれたことなど、今まで経験がありません。

「な、なんのことさ?」

 と聞き返すと、ゼンはいっそう強くメールを抱き寄せました。

「俺が渦王の力を使えねえことだよ。おまえのために渦王になるって決めたはずなのによ。肝心のおまえを助けられねえ……」

 ゼンの声は静かすぎて、まるでささやきのようでした。本当に深く強い想いを語るとき、ゼンはいつだって静かになってしまうのです。

 メールの目から涙があふれ出しました。ゼンを抱き返して、夢中で名前を呼びます。

 すると、ゼンが笑いました。

「泣くな――! 鬼姫の目に涙は似合わねえって、いつも言ってるだろうが」

 まるで小さな子どもをあやすように、メールの緑の髪を優しく撫でます。

 月が明るく照らす海。幾千万に砕けて揺れる銀色の中で、二人はいつまでも抱き合っていました――。

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