「メール! メール!!」
ゼンは必死で揺すぶり続けました。メールはゼンの腕にぐったりと抱かれたままです。
小犬に戻ったポチとフルートが戦車に飛び下りました。
「ワン、メール!」
「息はしてるのか!?」
「してる! 気を失ってやがるんだ! くそっ、起きろ、メール!」
一角獣伝説の戦いでメールは何度も倒れ、そのたびに弱っていきました。ゼンとしては気が気でありません。
すると、金の石の精霊が言いました。
「以前と同じだ。メールの中の生気が減っている。それでまた意識を失ったんだ」
フルートたちは驚きました。
以前メールが倒れた原因は、長期間陸にいすぎたせいでした。海の民は海から生きる力を得るので、海から長く離れると体の中から生気が失われて、やがて弱って死んでしまうのです。けれども、今、彼らは海のただ中にいました。
「どうしてだ!? なんでそんな馬鹿なことになるんだよ!!」
とゼンがどなりました。耳許で大声を上げられても、メールはやっぱり何も反応しません。
「とにかく、彼女を起こすぞ。こうしている間にも、生気はどんどん減ってしまうからな」
冷ややかにさえ聞こえる口調で言って、精霊は小さな手をメールに押し当てました。手のひらが淡い金の光を放ちます。
とたんにメールが身動きしました。ん、と声を上げて目を開け、驚いた顔をします。
「あれ……あたい……?」
ゼンはメールを抱きしめました。終わったはずの悪夢がまた始まったような気がします。
「いったいどういうことなんだ?」
とフルートは金の石の精霊に尋ねました。厳しい顔と口調です。
精霊は首を振りました。
「メールの体内の生気がまた減ってきているんだ。原因はぼくにもわからない。できるだけ楽な恰好をさせたほうがいいだろう。疲れると、その分また生気が減るからな」
ゼンはあわててメールの鎧を脱がせました。うろこをつづり合わせたような鎧は、戦車の床に落ちると、ガシャガシャと重い音をたてました。いつもの袖無しのシャツに半ズボンという恰好になると、メールは大きく息をしました。
「少し楽になったよ……。どうしちゃったんだろ、あたい。戦車に乗ってゼンたちが戻ってくるのを待っていたんだけど、急に目眩がしてさ、空と海がぐるっと回ったような気がした後は、もう全然覚えていないんだよ。気がついたら、ゼンたちが戻ってきてたんだ」
「ワン、本当に前と同じですね」
とポチは心配そうにメールを見上げました。意識が戻っても、メールは青ざめた顔をしていました。ゼンに抱かれて、力なく胸にもたれかかっています。
金の石の精霊がまた言いました。
「ぼくは目覚めさせることはできても、生気をメールに戻すことはできない。海の気は海の力と同じものだ。ゼン、君は渦王の力を受け継いでいる。メールに海の力を与えられないのか?」
ゼンは顔色を変えました。メールを抱えたまま自分の手のひらを見つめ、とまどいながらメールの手を取って握りしめます。ゼンとメールは、右の手と手を合わせることで、ほんのわずかですが、互いの力を受け渡すことができるのです。
けれども、メールは相変わらずぐったりしたまま、細い肩を上下させて息をしていました。ゼンはメールに海の生気を与えることができません。ゼンが唇をかみます――。
すると、フルートが思いついたように言いました。
「アルバだ! 未来の海王の彼なら、メールに力を与えられるかもしれないぞ!」
戦車の前のほうでは、マグロとカジキたちが心配しながら彼らを見守っていました。フルートのことばを聞くと水面で飛び跳ね、戦車を引いて海に潜り始めます。もちろん、アルバの元へ急いだのです。
息せき切って駆けつけてきた一行に、アルバは驚きました。メールが青い顔でゼンに抱かれているのを見て、また驚きます。
「海の気が足りなくなっているって? ずっと無理をしていたんだね、メール」
と言いながら片手をメールの顔の前にかざして動かし、やがて、包み込むようにその手を頬に当てました。そのままメールを見つめて言います。
「注意しないと。海の民は海の気の少ない場所で動き続けていると、体内の気が一定量より減ってしまったときに、急に倒れるんだ。そこまで自覚症状はほとんどないから、普段から気をつけているしかないんだよ」
「だが、こいつはずっと俺たちと海の中にいたじゃねえか! それでどうして海の気が減るんだよ!?」
とゼンが言いました。かみつくような口調です。
アルバは眉間にしわを寄せて言いました。
「無理をさせすぎたんだよ。もともとメールは海の気をずいぶん失って弱っていたんだろう? やっと動けるようになっても、限界点をちょっと上回った程度にしか回復していなかったんだ。長距離の遠征についてきているし、海の深い場所も進んだし……いくら海の中にいても、それ以上に生気が消費されてしまったんだろう」
ゼンはことばを失いました。
すると、まだ消えずにいた精霊が首をかしげました。
「メールの生気の戻りが悪いな……。アルバはずいぶんたくさん生気を送り込んでくれているのに、そのうちのごく一部しかメールの中に入っていかないぞ」
「普通なら、これですぐ元気になるはずなんだが――」
とアルバもとまどった顔になります。
メールが頭を振って言いました。
「ううん、気分は良くなってきたよ……。もう大丈夫、元気になったよ」
と立ち上がろうとします。
それを引き止めて、ゼンがまたどなりました。
「無理するなって言われてるのがわかんねえのか!? おとなしくしてやがれ!」
そんな言い方をされれば、いつもすかさず言い返すメールですが、今は何も言いませんでした。少しだけ良くなってきた顔色で、ただ戦車の中に座り込んでいます。その姿に、ゼンがまた唇をかみます。
二台の戦車の周りには海の戦士たちが集まっていました。いかにも具合の悪そうなメールを心配して見守っています。
シードッグに乗った三つ子たちもすぐ近くにいました。ザフがゼンを責めます。
「君はメールを元気にしてあげることもできないのか!? とんだ渦王後継者だな! 兄上がいなかったらどうなったと思うんだ!」
なに!? とゼンが血相を変えて振り向きました。クリスとペルラが青くなってザフを止めます。フルートたちもあわててゼンを引き止めようとしました。
けれども、ゼンは爆発しませんでした。ぎりっと奥歯を鳴らすと、まだアルバに手を当ててもらっているメールを見つめ、それを一度強く抱きしめてから放しました。メールの体が大きく揺らいだので、アルバがあわててそれを支えます。
「ゼン?」
驚くメールを残して、ゼンは立ち上がりました。
「メールをこっちの戦車に移す。フルート、ポチ、俺の戦車に来い」
メールはいっそう驚きました。
「なんでさ……!? あたいはゼンの戦車に乗るよ!」
とたんに、ゼンがどなりました。
「馬鹿野郎、またぶっ倒れる気か!? いいからこのままアルバのそばにいろ! ――俺にはおまえを元気にしてやれねえんだから」
一同は、はっとしました。ゼンの声は何かをこらえるように震えていたのです。
ゼンはメールを抱くアルバに背を向けながら続けました。
「悪いが、もうしばらくそうしてやってくれ。で、この後こいつが倒れるようなことがあったら、また頼む。こいつはいつも無茶するからな」
ゼンが自分の戦車に戻りました。メールがどんなに呼んでも騒いでも振り向きません。
代わりに金の石の精霊が言いました。
「ゼンの言うとおりにした方がいい、メール。君の生気は本当に少なくなっているし、回復も遅い。君が半分森の民のせいかもしれないな。このままアルバのそばにいて、治療を受け続けるんだ。でないと、本当に命に関わるぞ」
言うだけのことを言って精霊が消えていきます。
ゼン!! とメールは呼び続けました。海の中なので涙は見えませんが、泣き出しているのが声でわかります。
それでもやっぱりゼンは振り向きませんでした。フルートとポチが自分の戦車に乗り移ってくると、手綱を握って顔を上げます。
「メールを本当に元気にできるのは渦王だけだ――。とっとと魔王をぶっ倒して渦王を助け出す! 行くぞ、海の戦士たち!!」
ゼンは先頭を切って飛び出していきました。おぉぉ、と鬨の声を上げて、海の軍勢が従っていきます。
「ゼン……」
泣き顔でそれを見送るメールに、アルバは言いました。
「大丈夫、元気になれば、また彼のそばに戻れるさ。ゼンは君に島へ戻れとは言わなかった。その気持ちはわかってやらなくちゃね」
海の中を大軍勢が移動していきます。冷たい海へ向かう海流を目ざしているのです。魔王を倒す大進軍が、再び始まっていました――。