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第13巻「海の王の戦い」

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第10章 敵襲

28.静寂の海

 フルートたちが出撃して五日目の午後、偵察に出ていたサケが報告に戻ってきて言いました。

「我々が進んでいるこの補流のすぐ上を、海流の本流が通っていますが、その境界線付近にシャチの群れが出現しています。これまで見たこともないような、全身真っ黒なシャチで、獲物もいない海域をうろうろしています」

「また敵だな。気づかれないように素通りするぞ」

 と即座にゼンが言いました。今日もまたマグロやカジキが引く戦車の手綱を握っています。

 戦車のすぐ近くには、シードッグに乗った三つ子たちがいました。敵を回避すると言うゼンに、今日は誰も逆らいません。

 フルートが言いました。

「敵に見つからないように気をつけよう。今日は敵の伏兵を二度もやり過ごしている。これが三度目だ。魔王のほうでも、ぼくたちの行動を怪しみ始めているはずだからな」

「それ、どういうこと?」

 とペルラが尋ねました。海の王女は小犬になったシィと一緒に、クリスのシードッグに乗っています。本当に、昨夜からいやに素直です。

「海流を見張っているのに、ぼくらが全然姿を現さないからさ。ぼくらが本流じゃなく補流のほうを通って前進していることに、そろそろ気がつく頃なんだ。敵のシャチが本流と補流の境界線近くに姿を現しているのも、きっとそのせいだろう。ぼくらを捜しているんだ」 ゼンは、ふむ、とうなりました。

「もっと深い場所を行くか? 魔王に居場所を嗅ぎつけられて、また闇の敵を送り込まれたら厄介だからな」

 

 すると、ホオジロザメの戦車を操りながら、アルバが言いました。

「このあたりは補流の幅が狭いから、深く潜るとすぐ海流の外に出てしまうだろう。叔父上の救出が遅れてしまうぞ」

「じゃあ、シャチどもをどこかへおっぱらう方法があるっていうのかよ?」

 とゼンは聞き返しました。

「陽動部隊を出してやればいい。シャチたちの目の前をイルカに行かせるんだ。シャチなら後を追いかける」

「味方のイルカたちを囮(おとり)にするっていうのか!? 馬鹿言え!」

「馬鹿なものか。基本的な戦術だぞ。司令官なら、それくらい割り切って命令するものだ。シャチがイルカを襲っている間に、我々は先へ進むことができる」

 穏やかな口調でシビアな話をするアルバに、ゼンとフルートが反論しようとすると、それより早く偵察のサケが言いました。

「それはおそらく無駄でしょう。シャチがあまりこちらに近い場所を泳いでいたので、別の場所に誘い出そうと、我々サケ部隊で目の前を泳いで見せたのですが、連中はまったく関心を示しませんでした」

「馬鹿野郎、勝手な真似するんじゃねえ! 食われたらどうするつもりだったんだよ!? ったく、海の戦士ってヤツは、どいつもこいつも――!」

 ゼンはサケをどなりつけると、改めて全員に言いました。

「おい、潜るぞ。シャチどもがいる海域を越えるまで、もっと深いところを行くんだ」

 伝令の魚が命令を伝えるために離れ、やがて軍勢は補流のさらに下の海中へと潜っていきました――。

 

 

 海流の補流を抜けると、海は静かになりました。流れのほとんどない海水が、ほの暗い空間になって広がっています。暗い緑色の世界です。

 海を深く潜れば潜るほど、海面から差す日の光は弱まります。彼らの下には暗闇が広がっていて、海底を見通すことができません。そこはもう深海と呼ばれる場所でした。一日中日の光がさすことのない、暗闇の世界です。

 先頭になって潜っていく戦車が、ぎしりと音をたてました。戦車を引く魚たちがちょっと身震いします。

「どうした?」

 とゼンは声をかけました。魚たちの泳ぐ速度が鈍っています。

 すると、その隣でメールが急に座り込みました。

「ダメだ……もう立ってらんないよ」

 と膝を抱えて顔を伏せてしまったので、ゼンはますます驚きました。

「大丈夫か!? どうしたんだよ、急に!?」

 そこへアルバの戦車が追いついてきました。戦車を引く二匹のホオジロザメも、時折苦しそうに体を振っています。

「水圧が高くなってきたんだよ。いくら海の戦士たちでも、これ以上深く潜るのは危険だ」

「水圧?」

 とゼンが聞き返すと、アルバの戦車からポチが言いました。

「ワン、水の圧力――つまり水の重さですよ。深いところへ行けば行くほど、上から水の重みがかかってきちゃうんだ。でも、変ですね。ぼくたちはそんなの感じませんよ。どうしてメールや魚たちだけ?」

「君たちには、ぼくが水の魔法をかけているからだよ。水の抵抗や重さを受けにくくなっているんだ」

 とアルバが答えると、そこへシードッグに乗ったザフが追いついてきました。こちらも水圧などものともせず、ゼンに言います。

「海の王は自分だけでなく、海の軍勢全体に魔法をかけて、深海に潜れるようにするんだぞ。ゼンも渦王なんだから、それらしくみんなに魔法をかけてやれよ」

 以前ゼンに殴られた仕返しとばかりに、そんなことを言います。

 ゼンはまた驚き、口を尖らせました。

「できるかよ、そんなの……。アルバ、水の魔法をみんなにかけることはできねえのか?」

「さすがに全軍には無理だな。それは海の王の魔法だ。ぼくはまだ海と契約を結んで王になってはいないからね」

「俺だって、そんな契約やってねえよ」

 とゼンはますます仏頂面になりました。海と契約を結んでいないから、自分には海の魔法が使えないんだろうか、と考えます――。

 

 フルートが言いました。

「これ以上深く潜るのは無理だ。まだ見つかる危険はあるけれど、このあたりを進んでいくしかないな」

 こちらもアルバの魔法のおかげか、水圧などには少しも参っていません。

 そこで、彼らは薄暗い海の中を前進し始めました。

 海流から抜け出したので、あたりは信じられないほど静かに感じられました。通りかかる魚もほとんどありません。静寂の海を、ゼンが率いる海の戦士の大軍だけが進んでいきます。

 メールは青ざめた顔で戦車にしがみつき、行く手を見ていました。アルバがメールにも水の魔法をかけようとすると、あたいはいいよ、と断ります。

「他の戦士たちだって同じなんだからさ……。大丈夫、これくらいはなんともないよ」

 ポチは戦車からシードッグの上の小犬に声をかけました。

「ワン、シィは大丈夫? 苦しくない?」

「ええ、平気よ」

 ポチに心配されて、ぶち犬が嬉しそうに尻尾を振り返します。

 それを見て、ペルラが期待するようにフルートへ目を向けましたが、フルートのほうは少しも彼女を心配していませんでした。三つ子たちの様子を見て、海の王族は基本的に水圧が平気なんだと察していたのです。メールが水圧に弱いのは、彼女が海の魔力を持たないからなのでしょう。

 ペルラはがっかりした顔になり、また、そっとフルートを眺めました。金の兜からのぞく少年の横顔は、ただ行く手だけを見つめています――。

 

 ゼンが隣を行くアルバに尋ねました。

「海の王ってのは、遠征のたびに軍に魔法をかけていたのか? それでいつも軍と一緒だったのかよ?」

「そういうことだね。さすがにこれだけの規模の軍勢となると、海の王であっても、魔法をずっと持続させておくのは難しいからな。海の民なら少し魔法が使えるけれど、王族ほどの力は持たないから、やっぱり王が魔法をかけてやる必要があるんだ」

「なんだかポポロたちみたいだな。海の民というより、海に住む天空の民って感じだぞ」

「それもそのとおり。海の民の先祖と天空の民の先祖は、大昔は同じ一族だったと言われているからね。海と空に、それぞれ住み分けるようになっただけだ。だから、今でも海と空は兄弟の契りを結んでいて、困ったときには助け合うことになっているんだ」

 ゼンは黙り込みました。今まで漠然と考えていた海の民の姿が、次第にはっきり見えてきた気がします。彼らは本当に、海に住む魔法使いたちなのです。ポポロたちが光の魔法を使うように、海の民は海の魔法を使います。海の民を率いる海王や渦王は、その中でも最強の魔法使いです。つまり、海の国の天空王なのです。

「俺は魔法使いなんかじゃねえ……」

 ゼンは憮然としてつぶやきました。どこをどうしたって、それだけは間違いがありません。ゼンは魔法など使えないのです。

 

 けれども、ゼンはすぐに顔を上げました。戦車にもたれて青い顔をしているメールに声をかけます。

「がんばれよ。水圧なんかにへこたれるんじゃねえぞ」

 すると、メールが振り向きました。青ざめた顔に、にやっと笑いを浮かべて言い返します。

「何あたりまえなこと言ってんのさ、ゼン。あたいは渦王の鬼姫だよ。これくらい、全然どうってことないさ」

 その声は静かな海の中に伝わり、続く海の兵士たちの中からも、おう、と返事が上がりました。敵に聞きつけられないように、声量は抑えていますが、力強い声です。

 薄暗い海の中を、彼らは粛然と進み続けました――。

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