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第13巻「海の王の戦い」

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27.本

 「やっと見つけたぞ!」

 ずっと椅子に座って本を読んでいた眼鏡の青年が、突然声を上げました。白っぽい石壁に黒い大理石の床の岩屋の中です。読みさしの本のページを夢中でめくっていきます。

 こんなふうに一人黙々と本を読み、考え事にふけり、突然声を上げる青年の癖に、シュアナは、もう慣れっこになっていました。隅の水場からまた上がってくると、青年の向かいの椅子によじ登って話しかけます。

「何が見つかったの、アムダ様? 勇者たちを倒す方法?」

 シュアナの濡れた長い銀髪は背中を流れ、銀の魚の尾に絡まっています。紫の瞳の美しい人魚です。

 けれども、魔王の青年は相変わらずそんなものには頓着しません。本だけを見ながら満足そうに笑います。

「そうだ――これだよ。きっとあるはずだと思って、ずっと探していたんだ」

「なんなの?」

 シュアナは本をのぞき込みましたが、人魚の彼女に人間の文字は読めません。羊皮紙のページに並ぶ意味不明の模様に首をかしげます。

「叙事詩だよ。吟遊詩人が語った物語をつづった本だ。吟遊詩人たちは物語を曲にのせて歌うし、歌は口伝えで広めていくものだから、普通は本になんかならないんだが、ロムドは教育が進んでいて文字が読める国民が多いから、きっと本の形にもなっているだろうと思ったんだ。案の定だったな」

「これ、ロムドの本なの? 何についてのお話?」

「金の石の勇者の物語さ――。たくさんありすぎて苦労したよ」

 

 シュアナはまた首をかしげました。物語がたくさんあって困る、という意味がよくわかりません。

 すると、魔王の青年はテーブルのわきの床にうずたかく積み上げた本を示しました。ざっと見ただけでも百冊近い数があります。

「これが全部、金の石の勇者に関する本さ。これでも、ロムドで書かれた本に限定してある。あっちで山になっているのは他の国々で書かれたものだ。国が違えば情報も不正確になるから、あっちは除外したんだ」

 言いながら、青年は本の背表紙を確かめ、立ち上がって積み上げた本を眺めました。その中から、もう一冊の本を抜き出し、表紙をめくって著者を確かめます。

「うん、これだ……。同じ人物が書いているぞ」

「どういうこと、アムダ様? 意味が全然わからないよ」

 とシュアナが文句を言いました。学者肌の青年が考えていることは、人魚の彼女には難しすぎて、理解できなかったのです。

 魔王の青年は、満足そうな笑顔のまま話し出しました。

「ぼくは、金の石の勇者に関する正確な情報を得ようと思ったんだよ。金の石の勇者は世界的に有名になったけれど、あんまり不思議な能力の連中だから、おとぎ話や伝説の人物と混同されることが多い。ぼくが以前聞いた噂でも、金の石の勇者は大人の男で、見上げるような巨漢ってことになっていた。お供は人魚と白い狼だ」

「えぇ、それは無理だよ、アムダ様! 聖なる石を持ってる勇者に、人魚がついていけるわけないもん! 死んじゃうよ!」

「もちろんだ。白い狼と言われていたのも、実際には白い小犬だったしね。だいたい、金の石の勇者自身が子どもだった。いかに噂があてにならないかってことだ。勇者の出身国だって、ロムド、エスタ、ザカラス、メイ、果ては北の大地や天空の国だという説まであって、混乱しまくっていたからね。まず、彼の国を特定するところから始めて、次にその国の本の中に、彼の本当の姿を描写しているものを探したんだ。……この本に載っているのは、ロムド城のお抱え吟遊詩人が、金の石の勇者の冒険を語った叙情詩だ。それを城の書記が書きとめたものを本にしたんだな」

 シュアナは目をぱちくりさせました。

「けっこう大変だったんだね、アムダ様。それで、その本はちゃんと勇者のことを言ってたの?」

「ああ、勇者は金髪で青い目の小柄な少年だとちゃんと書いてある。年齢は十二歳になっているな。ぼくが見たあの少年は、確かに小柄だったけれど、十四、五くらいに見えたから、少し前の出来事を語っているんだろう。題名は『風の犬の戦い』だ。こっちが『黒い霧の沼の戦い』――うん、あのゼンという少年のこともちゃんと書いてある。ふぅん、ああ見えてドワーフなのか。ああ、いや、ドワーフと人間の間に生まれた子どもだ。なるほどね。勇者のお供に小人がいる、というのは有名な話だったけれど、実際にはこのゼンのことなんだな。あれは小人とは言えないだろう。どう見ても、外見は人間の少年だからな」

 

 また本に夢中になり始めた青年を、シュアナは見つめ続けました。アムダは平凡な顔をしていますが、シュアナの目にはとても美しく映ります。それを飽きることなく眺めながら、シュアナはまた言いました。

「ねえ、どうしてかなぁ、アムダ様。本になると、そこに書いてあることは絶対変わらないんでしょ? ちゃんと正しい勇者の話をしてる本があるのに、どうして世界中にはこんなにいろいろな勇者の噂があるの?」

「この本が世界中に行き渡るなら、噂も正確になるさ」

 と青年は本から目を上げずに答えました。

「実際には、本は人がペンとインクで書き写していくものだから、世界中に出回るほどたくさんは作れない。それに、本になったって、文字が読めない人間は世界中に大勢いるからね。勇者の物語を伝えていくのは、歌で語る吟遊詩人たちと、それを聞いて、口で伝えていく民衆ってことになる。語り伝えていくうちに、どんどん話が変わって、本当の勇者たちとは全然違った姿に変わってしまったんだろう。だいたい、魔剣や魔石を使って魔王と戦う勇者が、あんな子どもや小犬だなんて、普通は誰も信じないだろう? 見上げるような大男の勇者が小人や狼をお供にして戦ってるって話のほうが、よほど本当らしく聞こえるんだよ」

 シュアナは魚の尻尾でぴたぴたと椅子の脚を打ちました。

「でもさぁ、あの勇者は子どもでもすごく強かったよ。油断したら、こっちがやられちゃうよね」

「もちろん、そうだ。彼らは見た目通りの奴じゃない。子どもの見た目に油断して倒されたのが、先のゴブリン魔王だな。その話はデビルドラゴンから聞いている。勇者が天空の国の力を呼び寄せたんだ。……ああ、この本にも書いてある。仲間に天空の国の魔法使いがいるんだ。名前は……ポポロ。へえ、女の子か」

 シュアナはまた首をかしげました。

「渦王の城に行ったとき、女の子なんかいなかったと思うけど?」

「席を外していたんだろうな……。バラクーダが勇者たちと戦ったときに、海上に魔法の竜巻が発生して、バラクーダを吹き飛ばした。ゼンが魔法を使ったのかと思ったんだが、ポポロという魔法使いのしわざの可能性もあるな」

 フルートたちの軍勢は、海王がかけた守りの魔法の中にあります。闇の目で見通すことはかなわず、バラクーダの群れも全滅して一匹も報告に戻ってこなかったので、アムダはまだフルートたちの顔ぶれを正確に知ることができずにいました。

 

「これからどうするの、アムダ様?」

 とシュアナが尋ねました。青年はまた本に熱中し始めています。

「とりあえず、この本を読み込む。敵を倒すには、まず敵をよく知らなくちゃいけないからな。彼らがここに到着するまでには、戦略をたてられるさ」

 それきり、青年はもう何も言わなくなりました。本気で本を読み始めたのです。

 シュアナはそれを眺め続けました。時折眼鏡を押し上げながら本に読みふける青年は、彼女には本当に美しく見えます。テーブルにほおづえをつき、うっとりと見つめながら、シュアナは言いました。

「アムダ様があたしのものになってくれたら、あたし、渦王も金の石の勇者も、全然いらないんだけどなぁ。あたし、死ぬまで一生アムダ様のそばにいて、アムダ様を大切にしてあげるんだけど」

 けれども、人魚の少女の熱いつぶやきも、魔王の青年の耳には入りませんでした。

 奇妙な二人組がいる岩屋の外で、波の音が遠く果てしなく続いていました――。

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