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第13巻「海の王の戦い」

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21.盤上の駒

 「カッチュウザメがやられたな」

 と魔王は言って、じっと目の前のテーブルを見つめました。眼鏡をかけた小柄な青年です。

 人魚のシュアナがそれを聞きつけて尋ねました。

「どうしたの、アムダ様? 何かまずいこと?」

 そこは魔王の住処の岩屋でした。人魚が隅の水場から這い上り、魚の尾で器用に椅子によじ登って、テーブルをのぞきこみます。何か魔法の道具でもあるのかと思ったのですが、そこには大きなチェス盤がのっているだけでした。大理石で作った白と黒の駒が並んでします。

「なんだ、遊びの話?」

 とシュアナが言うと、魔王の青年は肩をすくめました。

「似たようなものかな……。海流の中で守っていたカッチュウザメの部隊から報告が来なくなった。金の石の勇者たちが、ぼくの防衛線をひとつ突破したんだ」

 人魚は目を丸くしました。青年を見上げながら言います。

「それってまずいんじゃないの、アムダ様? 金の石の勇者がこっちに攻めてきてる、ってことでしょう?」

「そうだ。渦王の力を得たゼンと一緒にね。カッチュウザメは四千匹を越えていたはずだ。それを破ったからには、渦王の軍勢を率いているんだろう。それに、渦王の島からカッチュウザメたちがいた場所までは、かなり距離がある。連中は相当のスピードで進軍しているな」

 青年はチェスの駒を取り上げました。白のクイーンです。黒のポーンを倒してその場所へ進め、驚いた顔をした人魚にまた言いました。

「チェスの駒で一番力を持っているのはクイーンだ。キングをがっちり守っている。クイーンは金の石の勇者、キングはゼン。今はまだこの二人が一緒にいるから、討ち破るのは難しいだろうな」

 

 シュアナは首をかしげてチェス盤を見ました。しばらく考えてから言います。

「ねえ、アムダ様、どうして闇の怪物に守らせないの? カッチュウザメは確かに強いけど、普通の魚じゃない。闇の怪物のほうがずっと強いのに」

 ふふん、と魔王は笑いました。同じチェス盤を見ていても、青年の目はずっと先の駒の動きを追っています。

「クイーンは聖守護石を持っているんだ。闇の怪物では、あっという間に聖なる光で消されてしまって、対抗できないさ。それに、このクイーンはもう一つ切り札を持っているからな」

「切り札?」

「願い石だ。金の石の勇者の体の中に同化している。聖守護石を持った彼が願い石に願えば、デビルドラゴンはこの世界から消滅してしまうんだ。切り札を使われたら、その瞬間にこちらの負けさ」

 シュアナはびっくりして、尻尾で椅子をたたきました。

「それって卑怯じゃない? そんなすごい切り札を持ってたら、全然勝負にならないよ、アムダ様」

「いや、そうでもない……。願い石を使えば、クイーン自身も死ぬことになるからな。勇者の魂と引き替えなんだ。いくら正義の味方でも、自分の命と引き替えるような真似は、なかなかできないさ」

 部屋は壁や天井全体がほの暗い光を放っていました。床の上に青年や人魚の影を落としています。すると、その影が揺らめき、大きく広がりました。中から声が聞こえてきます。

「オマエハ金ノ石ノ勇者ヲ知ラナイノダ、魔王。アノ少年ハ、世界ノタメニ自分ノ命ヲ捨テルコトヲ恐レナイ。普通ノ人間ト同ジヨウニ考エルコトハデキナイゾ」

 闇の竜の声でした。地の底から響いてくるように聞こえますが、実際には魔王の青年の内側に宿っていて、そこから話しかけています。

「ありえないな」

 と青年は答え、眼鏡を白く光らせて続けました。

「彼はまだ願い石を使わずに生きているんだ。いくら正義の勇者でも自分の命は惜しいって証拠だろう。本当に自分の命を捨てられるなら、もうとっくに願い石に願っておまえを消滅させているはずだぞ」

 それに答える声はありませんでした。影が縮まり、部屋が沈黙になります。

 

「まただよ。デビルドラゴンって、話しかけてきても、すぐこんなふうに黙っちゃうよね。なに考えてるんだろう?」

 とシュアナが唇を尖らせました。銀髪の美しい人魚です。そんな顔もとてもかわいらしく見えます。

「あれにはあれの決まり事があるんだろう。いいさ。こちらはこちらで考えればいいだけだ。所詮あれは闇の怪物だからな。人間のことはよくわからないのさ」

 あっさりとそう言いきって、青年はチェス盤に目を向けました。また白のクイーンを取り上げて先へ進めます。

「奴はぼくたちのところまでたどり着く。キングも一緒だ。渦王がここにいるんだから、絶対にやってくる。でも――黙って通しはしないさ。最大限、勢力をそぎ取ってやる」

 言ったとたん、盤上でいきなり駒が動きました。青年が手を触れていないのに、いくつもの黒い駒が前に滑って、白い駒を倒していきます。青年の魔法です。後には白のクイーンとキングだけが残ります。

「うまくいきそう、アムダ様?」

 とシュアナが尋ねました。心配しているのではなく、わくわくと興奮する声です。

「もちろんだ。だが、この二人が一緒にいては難しい。引き離さなくてはな――」

 また黒い駒が動きました。白のクイーンとキングの間に割り込んでいきます。それを眼鏡の奥から見つめて、魔王は考え続けました。

「連中のいる場所はぼくには見えない。海の魔法に隠されているからだ。ゼンが渦王の力を使っているんだろう……。だが、彼らの行く先々では、必ずぼくが置いた兵たちと戦いが起きる。それで連中がどこまで来ているかはわかるんだ。連中の進路に偵察と手勢を送り込んで、さらに勢力をそぐ。一石二鳥だな」

 若干の誤解を交えながらも、確実に作戦を練っていきます。

 

 すると、シュアナが首をかしげました。

「金の石の勇者はどうやってやっつけるの? 願い石ってのを持っているんでしょう? いよいよ危ないってなったら、やっぱりそれを使っちゃうんじゃない?」

「彼が死を覚悟すればな――。だが、それにも作戦は考えてある。たぶん、うまくいくさ」

 たぶん、と言いながらも、青年の声には自信があふれていました。作戦の成功を確信しているのです。

 うふふっ、とシュアナは笑いました。テーブルの上に肘をついて、うっとりと青年を見つめます。

「アムダ様ってほんとに素敵。アムダ様の頭の良さにかなうヤツなんて、どこにもいないよね」

 崇拝する声には甘い響きがあります。聴き惚れれば心まで絡め取られる、怪しい声ですが、魔王の青年はそんなものには惑わされません。

「ぼくに対抗できる頭脳の持ち主がひとりだけいる。ちょっと対峙しただけでわかった。ぼくの行く手を邪魔するのは、間違いなく彼だ。だから、その上を行って倒さなくちゃならないのさ」

 冷静に言って、白のクイーンを指先で倒します。盤上には白のキングだけが残ります……。

「金の石の勇者の死体は必ずあたしにちょうだいね、アムダ様。約束よ」

 と人魚がまた言いました。魚の尾は楽しげに椅子をたたき続けています。

 魔王の青年は何も言わずにただ笑いました。低い笑い声は、地の底から這い上がってくるようです。

 盤上に転がったクイーンは、部屋のほの暗い灯りに照らされて、骨のように白々と光っていました。

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